ここ数カ月ぐらい論文を書くために非常に不健康な生活習慣を送っていて、大体朝2時を過ぎて寝ることが常習化していた。しかし、俺の考えだとこの生活習慣は少なくとも論文を書く上では正しい。
なぜ俺が論文を書く上で悪い生活習慣を正当化できるかと言うと、俺の考えだと論文は論理ではなく感情で書くからだ。もちろん我々の書く論文というのはウェーバーの言うように「価値自由」が前提にあるものとされるので(少なくとも我々は「僕は立憲君主制こそが最も合理的な統治制度だと考える。なぜなら僕はマキャベリが好きだからだ。マキャベリたんぺろぺろ。」という内容の文章を論文と呼ばない。)感情論を書くわけではなく、論理的な思考能力が必要ではある(より彼の定義を正確に言えば記述を区分する必要がある)。しかし、論理や合理性だけでは論文が長くなればなるほど書くことに耐えられなくなる。なぜなら、大学生が単位を取るために書くような糞のような文章ならまだしも、完全に前提条件を作る作業から含めて自分で「書く」以上、不可避的に「調べる」という作業が必要になるからだ。この「調べる」という作業は「やっていることが面白い」という感情が無ければただの苦痛である。それで金がもらえるなら別だが、楽しくないと博士課程なんてやってられない理由がこれだ。
更に言えば、あらゆる学問は「絶対の探求」である。バルザックの「絶対の探求」に登場した頭のおかしい学者のように我々は「絶対」を探求しているので、不確かな原因と結果を結ぶ因果関係をもっともらしく文章で説明しなければならない。このような行動ははっきり言って不合理である。本当に合理的なら我々は学問を止めて分からないことは分からないし、見えないことは見えないと言わなければならないのだ。しかし、そのような結論に至ることは許されない。そのような結論に至る場合、文系の学問領域はおそらく全て否定されてしまう。社会学や政治学に「学」が付くのは、そこで提示される記述が説得力を持っているからであり、我々を「なるほど!」と言わせるだけのコンテンツを含んでいるからである。つまり、その内容によって我々を「学ばせた気」にさせるわけで、内容が絶対的な真実であるかどうかは実は問題ではないし、(辛辣な言い方をすれば)内容は全部嘘(かもしれない)、全部レトリック(かもしれない)ということがばれるので、問題とするわけにはいかないのだ。この意味で頭がおかしくないと論文なんて書いてられないし、学問なんてやってられないのである。正常な頭脳の持ち主である場合、文系の学問領域(もしかしたら理系の学問領域も)は否定して、「絶対」が存在しないことに絶望して、さっさとお金儲けの方法や結婚する方法等の生存に必要なことに時間を割くべきなのである。
しかし、だからこそ悪い生活習慣は正当化できる。傍から見れば「何やってんのあいつ?」みたいに見えてもやっている人間にとっては「新品のMHP3を店頭で並んで購入した日から毎日アドパを介して通信協力プレイをしている」ようなものだからだ。このような状態にならないと長い論文は書けないのだ。書いてもろくでもない内容になってしまうのだ。変態の如く他の90%ほどの人々にとっては全く無駄な作業(例えばエクアドルの憲法やモロッコの刑事訴訟法を調べるなど)を執拗にして、舐め回すように本を読み、弄り回すように考えて、時々“Eureka!!“と絶叫して、時々非実在害獣を狩猟して、2時ぐらいにもう疲れてきて寝るという状態が理想的なのである。
他方で、このような不健康な生活習慣は明確な限界を持つ試験(例えば俺が今から受けようとしているNY州司法試験)を受験する際には正しくない。論文と違い、こちらは論理と合理性だけが必要とされる。もちろん試験なので勉強量を維持するためには「夢」や「希望」が必要とする人も居るかもしれないが、ここで述べたように全ての試験には「限界」があるので、別に自分の「夢」や「希望」で試験の問題内容が設定されるわけではない。存在する情報を記憶してその情報を基に答案を書いて適切な選択肢を選ぶことが必要とされているので、たとえ勉強が嫌でも情熱が無くても(大半の日本人受験生のようにこの資格の意義は9割方自己満足で語り尽くされてしまうだろうということが分かっていても)記憶すべきことを記憶して、本番の試験で所持している記憶を利用して最も適切な回答をすることが求められる。このような作業をするためには不健康な生活習慣だと問題があるのだ。何より気持ちにまかせて徹夜をして翌日起きたらもう午前11時になってしまったり、途中で眠くなったので昼寝をする等の手段が取れず、午前9時から夕方まで上記した必要とされる作業を最適な状態で行う必要がある。したがって、この状態に自分を持っていくためには午前9時から夕方までを主要な活動時間とする必要があるのだ。
このように考えるとまともな論文を書く作業と試験を受ける作業及びそのための準備は両立すべきでないことが分かる。俺が論文を終わらせたタイミングは(自分で言うのも何だが)おそらく最適なタイミングだった。俺のやっている学問にとって最適だったかどうかは知らないが。
2012年5月30日水曜日
2012年5月28日月曜日
脱稿
論文が終わった。英語ではあるが今書けることは全部書いたと思う。今回は金も時間も無いので高い割に普通の味の蕎麦を食いに行くことはできない。
なぜ時間が無いかと言うと、7月24日と25日にニューヨーク州司法試験を受験しなければならないからだ。何もかもが最低の試験だったMPREのスコアもなぜかNY州の規定の点数を上回っていたのでどうにかなったらしい。なのでもうBarBriという俺の人生で初めての登場となる予備校での授業を受講している。予備校と言ってもマンハッタンにある本部以外は全部ビデオでしかもオンラインで観ることができるので受けたい時に受ければいい。
アメリカのロースクールが日本と決定的に違うところは、「そもそも学生が予備校を利用することは当たり前」という前提で作られていることだ。したがって、授業で触れる内容ははっきり言って70%ほどは司法試験の役に立つものではなく、どちらかというと純粋な法律学だし、大学は予備校のビデオ授業を受けられるように部屋を予備校に貸し与えるし、予備校へ行くように提案してくる。
予備校に行くようになっても結局NYUで暮らすので今後2カ月は何も変わらない生活が続くようである。「2カ月が過ぎた頃、異変に気付く。10冊の電話帳みたいな本を読み終えても日が暮れていない。齢26を超えて完全に羽化する。」みたいになればいいんじゃないだろうか。
なぜ時間が無いかと言うと、7月24日と25日にニューヨーク州司法試験を受験しなければならないからだ。何もかもが最低の試験だったMPREのスコアもなぜかNY州の規定の点数を上回っていたのでどうにかなったらしい。なのでもうBarBriという俺の人生で初めての登場となる予備校での授業を受講している。予備校と言ってもマンハッタンにある本部以外は全部ビデオでしかもオンラインで観ることができるので受けたい時に受ければいい。
アメリカのロースクールが日本と決定的に違うところは、「そもそも学生が予備校を利用することは当たり前」という前提で作られていることだ。したがって、授業で触れる内容ははっきり言って70%ほどは司法試験の役に立つものではなく、どちらかというと純粋な法律学だし、大学は予備校のビデオ授業を受けられるように部屋を予備校に貸し与えるし、予備校へ行くように提案してくる。
予備校に行くようになっても結局NYUで暮らすので今後2カ月は何も変わらない生活が続くようである。「2カ月が過ぎた頃、異変に気付く。10冊の電話帳みたいな本を読み終えても日が暮れていない。齢26を超えて完全に羽化する。」みたいになればいいんじゃないだろうか。
2012年5月20日日曜日
NYU 卒業
| 卒業式のあったBeacon Theater(ベーコンではなくビーコン)。この日はNYU仕様。 |
実は俺は卒業式のある金曜日をまだ木曜日だと前日まで勘違いしていた上、完全に意識の上からその事実が消えていたのでレンタル費用が75ドルもするクッソ高い気持ち悪いコスプレ衣装を頼むこと以外何もしていなかった。というか忘れていた。その結果、当日そのコスプレ衣装なるAcademic Attireを身に着けようとしたところ、帽子のサイズが致命的に小さすぎることが判明し、俺は帽子をスネークの如く現地調達しなければならなくなった。アメリカ基準のサイズが意味不明だったので、多分俺はアメリカ人より小さいと思い小さめにしようとしたところ失敗したらしい。
少し早めに会場へ赴き、係の人っぽい女たちに「帽子が小さいのででか目のやつに変えてほしいんだけど」とか言ったのだが、予備の衣装を用意しているくせになぜかサイズが全部小さいという意味不明な準備をしていて、どれをかぶってもサイズが合わず、「多分あんたの頭に知識が詰まりすぎてるせいよ。上に乗っければまあ大丈夫。走らないようにすればね!あははっ」といううざいアメリカンジョークを飛ばされたので、プランBのJ.D.の連中が脱ぎ捨てていった帽子をすいませんすいませんと頼んで拝借する策に出た。これが案外上手くいき、丁度会場前の脱ぎ捨てコーナーで回収作業に従事していたバイトの女の人が居たので、事情を話すとすんなり俺の持っていた帽子と俺に丁度いいサイズの帽子を交換してくれた。
それでじゃあ着ようと思ったのだが、着方が分からん。どうしようかなと思っていたところ、近くに居たほかのLL.M.の学生を祝いに来ていたフィリピン人のおばちゃんとおばあちゃんにまた若い若いを連呼されながら着方を教えてもらった。インド人の件といい、俺はアジア地域だと全般的に舐められるらしい。その上そこら辺に居た別のフィリピン人のおっさんが写真を撮ってやるとか言ってきたので俺のデジカメで写真まで写してもらった。引き籠りのくせにまるでカツオである。
| 内部の様子。人が沢山居た。 |
それから1時間以上待たされた後、中に入っていろいろな人の長ったらしい話を聴いた。特にうんざりさせられたのは国連で法務の仕事をしている女の人の新聞にでも書いてありそうな話と、トリニダードトバゴの総理大臣?の女の人の「私はここでつまらない長話をするつもりはない」が実はフェイントで、結局誰よりも長く大半は新聞にでも書いてありそうな話だった。学長と学生代表の話で十分だと思うのだが、計4人ほどの長話を聞かなければならなかった。
| 「君たちは今日で卒業だ!!」と話す学部長 注)まだLL.M.の学生は全員成績が確定していません。 |
いろいろな人のスピーチが終わると、約450人の卒業生全員が順番に舞台に上がって名前が呼ばれるという日本では考えにくい展開になった。当然450人も名前を呼び続けるのでかなり時間を食う。学部長も舞台で全員と握手するので大変である。朝彼はJ.D.の学生全員とも握手したわけで、よくこんなことを毎年続けるなと思う。
というわけでこれでNYUは終わりである。どの道これから数カ月はNYUに住むので全然終わった感は無いし、実は途中から「もうお前NYUどうでも良くなってねぇ?」という生活をしていたので終わりも糞も「俺たちの戦いはこれからだ!!Kの次回作にご期待下さい!!」みたいな感じである。
2012年5月17日木曜日
MHP3 高死亡確率クエスト 対策法 (1)
最近気付いたのだが、何か変なパズルゲームとMH4ぐらいしかモンハン関連で新しい動きが無く、ラベルを独立させているブログとしてはモンハンで何も書くことが無いというのも問題だなと思う。そこで、今更「MHP3をやっていてパーティーメンバーが死亡する確率が高いクエスト」の攻略法でも書こうかと思い立った。ちなみに俺はアドパの野良で6000回ほどやった人間なので、そんな人間の視点から見た対策法である。
1.概観
栄えある第1回は、これまで累計で最も多くの野良パーティーメンバーを戦闘不能に追い込んだクエスト「覇王降臨」の攻略法を書こうかと思う。なぜ「嵐龍天翔」や「王族の招宴」が1位でないかと考えると、(1)前者はそもそもアマツマガツチ自体への拒否反応、後者は野良での成功確率の低さがそれぞれ受注者の視点から考慮された結果、受注自体の頻度が低い、(2)MHP3で設定上強い立場に居るガンナーからすれば、頻繁に動くアマツマガツチやリオレウス・リオレイア稀少種よりアカムトルムの方が対処しやすく感じる、等の要因が考えられる。(2)で述べている通り、アカムトルムはソニックブラストと速度は遅いが追尾性能が高い突進の2つしかまともにガンナーを殺す手段を持っていないので、ガンナーの方が剣士より比較的楽ではある。
なお常識と言えば常識なのだが、忍耐の種や他の防御力強化手段があると、アカムトルムの攻撃による防御力低下のステータス異常は回復できる。案外剣士にとっては耐えられる攻撃が一撃死になる場合もあるので、不安な人は対処法を確保しておくと良い。
2.剣士について
A.スキル構成
まずスキルの構成だが、ガード不可能な武器を用いる場合、剣士はSPを食っても俺は高級耳栓を全般的に推奨する。アカムトルムは硬直して咆哮する頻度が非常に高く、かつ咆哮に追従する形で高威力の溶岩が噴き出るので、高級耳栓があれば攻撃にも防御にもプラスになる。狩猟笛を使う場合も聴覚保護の旋律を吹けるものを用いた方が良い。ランス・ガンランスの場合は心配な人はガード強化があればソニックブラストで死ぬことは避けられるが、別に無くても良い。硬直時間の長いソニックブラストをガードでやり過ごすのはもったいない上、撃った後ガードした人間に向かって突進されると他の人間は長距離移動を強いられて邪魔なので推奨しない。
なおアカムトルムの咆哮にはダメージ判定があるが、判定は前方に広く、また咆哮時の一瞬だけなので、高級耳栓を付けている場合はさっさと直立して鳴いているアカムトルムに近寄って殴れば良い。もちろんハンマーは咆哮後に頭が降りてくるのに合わせてスタンプか溜め2。降りてくる頭にも攻撃判定があるので、頭の両サイドいずれかに陣取って、体ではなくハンマーの部分だけを当てることをイメージすると良い。
B.要注意行動の捌き方
(a)体をひねりながらの突き上げ
剣士にとってもっとも厄介な行動パターンが体をひねりながらの突き上げである。「覇王降臨」の場合に食らうと150分の120程度は体力ゲージが減り、それに加えて防御力低下の状態異常になる。ガンナーはほとんどの場合即死だが、これに当たる位置に居る人はそもそもガンナーをそれまで全くやったことが無いような考えられないほどの下手糞なので、クエストをリタイアした方がいい。
捌き方だが、大体3パターンあり、(1)アカムトルムの頭がこちらに来る場合、(2)アカムトルムの尻尾がこちらに来る場合、(3)近づき過ぎていて判断に迷う場合が考えられる。もちろん死亡確率が最も高くなるのは(3)の場合である。まず(1)の場合、アカムトルムの頭がこちらに来るのを見たら頭が向かってくる向き(つまり画面手前)に走るか、そもそも頭が当たらない位置に事前に移動するかどちらかで捌くことができる。理想の形は後者の型だが、これは回数を重ねれば大体できるようになる。前者の型は最終的に緊急回避も使うことを考慮に入れておくと生存確率が上がる。
(2)の場合も(1)と同様で、尻尾が向かってきたら画面手前に走るか、そもそも事前に見切って尻尾の範囲の外に移動するかどちらかである。注意したいのはガードで尻尾を捌く場合である。この尻尾は辺り判定が微妙に分かりづらく、尻尾に正対してガードするとめくられてダメージが入る場合がある。その後の咆哮か倒れこみのコンボで死亡するパターンが片手剣・ランス・ガンランスの場合はあり得るので、ガードで処理するより移動して避けた方が無難である。
(3)の状況になる場合とは、攻撃を欲張り過ぎていて、太刀の大回転斬りを出し切った後や、スラッシュアックスの剣モード、あるいは斧モードのぶん回しで攻撃している際にカウンターで合わせられる場合などが挙げられる。これらの場合は硬直しているので、タイミングが悪ければ回避不能となり確実に食らう。運が良く攻撃判定がある頭か尻尾が届く前に行動可能な状況になった場合、文章で表現するのは難しいのだが、頭と尻尾を避けるようにアカムトルムが体をひねる動きに合わせて移動すると捌くことが可能である。決まるとやっている本人しか体感できないが非常に美しい。
他方、(3)の動きは美しいがリスクがあるため理想的ではない。理想的な型とはそもそも事前に攻撃範囲を見切ってその外で突っ立って避けられる状態にあることである。大体4人のパーティーメンバーの内の誰かが背面で攻撃している場合にこの動作をする場合が多いので、剣士で張りつく場合は常にアカムトルムがこの行動をする可能性を頭に入れておくと良い。なおアカムトルムがこの行動を連続で繰り出し360度回る場合もあるので注意である。俺は最高3回連続でこの行動をしたウカムルバスを見たことがある。
なおこの動作の後、アカムトルム・ウカムルバス共に頭が通常時の位置ではなく、若干左足寄りに降りるので、ハンマー・大剣等頭を狙う場合は覚えておくと良い。
(b) 追尾突進
アカムトルムの突進には、(1)クエスト開始時のような長距離移動型、(2)リオレイア・ディアブロスと行動パターンを共有する3連続突進、(3)無害な微速突進の3パターンがある。慣れれば(1)と(3)はアカムトルムの突進速度で区別して見切ることができる。当然無害である(3)の場合は殴りに行っても全く問題ない。
(1)の捌き方であるが、クエスト開始時の場合、100%の確率で集会所でそのクエストをクエストボードに貼った人間に突進してくるため、最初に全力疾走して避けるか、閃光玉で止める、あるいはガードして処理するかの3択である。野良だと閃光玉を使う人が多いが、若干タイミングに慣れが必要で失敗する場合もあるので、突進のターゲットにされている人から他の人は離れておいた方が良い。
クエスト中の場合、緊急回避をしても当たる場合がある程この突進は追ってくる。この突進のホーミング性能は距離が離れていればいる程上がるので、ガード不能な武器を持っている場合はできるだけアカムトルムの近くに位置取り、正対する時間を最小限にすることを心がけた方が良い。ハンマーであっても同様であり、アカムトルムが攻撃動作中などで硬直していない場合、振り向きに合わせて打撃を当てた後は速やかに前転してアカムトルムの正面の直線上から退避するという基本に忠実な動作が必要となる。
もっとも、個人的な概観から言えば、実は剣士で最も生存確率の高いのはハンマーを使う場合だと考えている。なぜかと言うと、手数を必要とする他の近接武器のように無理に張り付く必要が無いため、頭を攻撃→安全圏までの移動を最も合理的・効果的に行うことができる武器がハンマーだからである。したがって、アカムトルムが苦手だと言う人にはハンマーを使用することを勧める。
(2)の3連続突進であるが、基本的には(1)と同様で、そもそも突進の直進上に入らない場所に居ることが理想である。実は(2)の場合の方が当たり判定が小さく、追尾性能も低いため、避けるのは容易だと言える。当たった場合にハメ殺される可能性はあるが。
3.ガンナーについて
A.スキル構成
ガンナーの場合は剣士と異なり、そもそも咆哮の範囲外から攻撃できるため、高級耳栓を要しない。拡散弓を使う場合なら別だが、その場合であっても曲射等で範囲外から攻撃が可能なので、耳栓の優先順位は低い。
したがって、実はガンナーの場合の推奨スキルは存在しない。ガンナーで戦う場合アカムトルムはほとんど単なる的になって全然面白くないのだが、楽しみたい人は貫通弓・貫通ボウガンで気持ち良く貫通を通す、野雷で斬裂弾を撃って太い尻尾を斬る等すれば良いのではないだろうか。
B.要注意行動の捌き方
(a) 追尾突進
上述した通り、ガンナーを効果的に排除するための行動パターンをアカムトルムはほとんど持っていないので、長距離移動型の追尾突進のみに気を払えば後は何をしても自由である。捌き方だが、やはり中距離でアカムトルムの顔の直線状から外れた位置に居ることが効果的である。もっともガンナーの基本は「モンスターと目を合わせない」ということに尽きるので、この基本ができている限りアカムトルムに苦労することは無い。「当たったらほとんど即死」ということだけ頭に入れておけば良い。
4.各武器を使う場合の役割
(a) 切断武器
片手剣からランスまで、切断属性を持つ近接武器を使う場合はとりあえず尻尾を中心に狙う。アカムトルムは体が大きすぎることがはっきり言って弱点で、例えば頭も尻尾も2人張り付いても全く互いの行動を阻害しないような動きが可能なので、割り合い複数同位置に居ても快適にプレイできる。ウカムルバスと異なり本体のダメージとは無関係に切断できるので、最初にさっさと斬って弱点の頭や他の破壊可能部位に散る等すれば良いのではないだろうか。高級耳栓があれば尻尾の半分より外側に居ると完全に咆哮を無効化して攻撃を続けることが可能。もちろん素材に関心が無い場合は最初から弱点の頭に集中。
(b) 打撃武器
上述したようにハンマーをはじめとする打撃武器はアカムトルムに対して非常に相性が良い。何より頭がでかいので打撃武器2人で頭の左右から叩くことができる。大体体感だが1人打撃武器が居ればクエスト終了までに2回はスタンが取れる。
狩猟笛の場合は聴覚保護や攻撃力・防御力強化等の旋律が推奨される。アカムトルムには大振りな攻撃が多く、笛を吹くチャンスはいくらでもあるのでこちらも相性が良い。ヘイトを稼ぎやすいので、遠方に位置取り吹き専になると追尾突進のターゲットにされやすくなることには注意。
(C) ガンナー
自由。可能なら剣士で手が届きにくい背中や腹の破壊をすれば良い。
5.勝手なコメント
個人的には楽しいハンマーか双剣を用いる場合が多い。ガンナーの場合は何をやっても面白くないので大体貫通を通すか斬裂弾を撃つ。麻痺や睡眠で流れを止める人が鬱陶しい。アカムトルムを楽しみたい人は、アカムトルムがそんな人々に麻痺させられた場合は砥石や回復薬を使ったり、眠らされた場合は突っ立っておけば良いと思う。また、特に素材に関心が無い場合は中央部に砥石を採取できる岩があるので、クエストが終わるとそこへ行って砥石でも採取すれば良いと思う。
1.概観
栄えある第1回は、これまで累計で最も多くの野良パーティーメンバーを戦闘不能に追い込んだクエスト「覇王降臨」の攻略法を書こうかと思う。なぜ「嵐龍天翔」や「王族の招宴」が1位でないかと考えると、(1)前者はそもそもアマツマガツチ自体への拒否反応、後者は野良での成功確率の低さがそれぞれ受注者の視点から考慮された結果、受注自体の頻度が低い、(2)MHP3で設定上強い立場に居るガンナーからすれば、頻繁に動くアマツマガツチやリオレウス・リオレイア稀少種よりアカムトルムの方が対処しやすく感じる、等の要因が考えられる。(2)で述べている通り、アカムトルムはソニックブラストと速度は遅いが追尾性能が高い突進の2つしかまともにガンナーを殺す手段を持っていないので、ガンナーの方が剣士より比較的楽ではある。
なお常識と言えば常識なのだが、忍耐の種や他の防御力強化手段があると、アカムトルムの攻撃による防御力低下のステータス異常は回復できる。案外剣士にとっては耐えられる攻撃が一撃死になる場合もあるので、不安な人は対処法を確保しておくと良い。
2.剣士について
A.スキル構成
まずスキルの構成だが、ガード不可能な武器を用いる場合、剣士はSPを食っても俺は高級耳栓を全般的に推奨する。アカムトルムは硬直して咆哮する頻度が非常に高く、かつ咆哮に追従する形で高威力の溶岩が噴き出るので、高級耳栓があれば攻撃にも防御にもプラスになる。狩猟笛を使う場合も聴覚保護の旋律を吹けるものを用いた方が良い。ランス・ガンランスの場合は心配な人はガード強化があればソニックブラストで死ぬことは避けられるが、別に無くても良い。硬直時間の長いソニックブラストをガードでやり過ごすのはもったいない上、撃った後ガードした人間に向かって突進されると他の人間は長距離移動を強いられて邪魔なので推奨しない。
なおアカムトルムの咆哮にはダメージ判定があるが、判定は前方に広く、また咆哮時の一瞬だけなので、高級耳栓を付けている場合はさっさと直立して鳴いているアカムトルムに近寄って殴れば良い。もちろんハンマーは咆哮後に頭が降りてくるのに合わせてスタンプか溜め2。降りてくる頭にも攻撃判定があるので、頭の両サイドいずれかに陣取って、体ではなくハンマーの部分だけを当てることをイメージすると良い。
B.要注意行動の捌き方
(a)体をひねりながらの突き上げ
剣士にとってもっとも厄介な行動パターンが体をひねりながらの突き上げである。「覇王降臨」の場合に食らうと150分の120程度は体力ゲージが減り、それに加えて防御力低下の状態異常になる。ガンナーはほとんどの場合即死だが、これに当たる位置に居る人はそもそもガンナーをそれまで全くやったことが無いような考えられないほどの下手糞なので、クエストをリタイアした方がいい。
捌き方だが、大体3パターンあり、(1)アカムトルムの頭がこちらに来る場合、(2)アカムトルムの尻尾がこちらに来る場合、(3)近づき過ぎていて判断に迷う場合が考えられる。もちろん死亡確率が最も高くなるのは(3)の場合である。まず(1)の場合、アカムトルムの頭がこちらに来るのを見たら頭が向かってくる向き(つまり画面手前)に走るか、そもそも頭が当たらない位置に事前に移動するかどちらかで捌くことができる。理想の形は後者の型だが、これは回数を重ねれば大体できるようになる。前者の型は最終的に緊急回避も使うことを考慮に入れておくと生存確率が上がる。
(2)の場合も(1)と同様で、尻尾が向かってきたら画面手前に走るか、そもそも事前に見切って尻尾の範囲の外に移動するかどちらかである。注意したいのはガードで尻尾を捌く場合である。この尻尾は辺り判定が微妙に分かりづらく、尻尾に正対してガードするとめくられてダメージが入る場合がある。その後の咆哮か倒れこみのコンボで死亡するパターンが片手剣・ランス・ガンランスの場合はあり得るので、ガードで処理するより移動して避けた方が無難である。
(3)の状況になる場合とは、攻撃を欲張り過ぎていて、太刀の大回転斬りを出し切った後や、スラッシュアックスの剣モード、あるいは斧モードのぶん回しで攻撃している際にカウンターで合わせられる場合などが挙げられる。これらの場合は硬直しているので、タイミングが悪ければ回避不能となり確実に食らう。運が良く攻撃判定がある頭か尻尾が届く前に行動可能な状況になった場合、文章で表現するのは難しいのだが、頭と尻尾を避けるようにアカムトルムが体をひねる動きに合わせて移動すると捌くことが可能である。決まるとやっている本人しか体感できないが非常に美しい。
他方、(3)の動きは美しいがリスクがあるため理想的ではない。理想的な型とはそもそも事前に攻撃範囲を見切ってその外で突っ立って避けられる状態にあることである。大体4人のパーティーメンバーの内の誰かが背面で攻撃している場合にこの動作をする場合が多いので、剣士で張りつく場合は常にアカムトルムがこの行動をする可能性を頭に入れておくと良い。なおアカムトルムがこの行動を連続で繰り出し360度回る場合もあるので注意である。俺は最高3回連続でこの行動をしたウカムルバスを見たことがある。
なおこの動作の後、アカムトルム・ウカムルバス共に頭が通常時の位置ではなく、若干左足寄りに降りるので、ハンマー・大剣等頭を狙う場合は覚えておくと良い。
(b) 追尾突進
アカムトルムの突進には、(1)クエスト開始時のような長距離移動型、(2)リオレイア・ディアブロスと行動パターンを共有する3連続突進、(3)無害な微速突進の3パターンがある。慣れれば(1)と(3)はアカムトルムの突進速度で区別して見切ることができる。当然無害である(3)の場合は殴りに行っても全く問題ない。
(1)の捌き方であるが、クエスト開始時の場合、100%の確率で集会所でそのクエストをクエストボードに貼った人間に突進してくるため、最初に全力疾走して避けるか、閃光玉で止める、あるいはガードして処理するかの3択である。野良だと閃光玉を使う人が多いが、若干タイミングに慣れが必要で失敗する場合もあるので、突進のターゲットにされている人から他の人は離れておいた方が良い。
クエスト中の場合、緊急回避をしても当たる場合がある程この突進は追ってくる。この突進のホーミング性能は距離が離れていればいる程上がるので、ガード不能な武器を持っている場合はできるだけアカムトルムの近くに位置取り、正対する時間を最小限にすることを心がけた方が良い。ハンマーであっても同様であり、アカムトルムが攻撃動作中などで硬直していない場合、振り向きに合わせて打撃を当てた後は速やかに前転してアカムトルムの正面の直線上から退避するという基本に忠実な動作が必要となる。
もっとも、個人的な概観から言えば、実は剣士で最も生存確率の高いのはハンマーを使う場合だと考えている。なぜかと言うと、手数を必要とする他の近接武器のように無理に張り付く必要が無いため、頭を攻撃→安全圏までの移動を最も合理的・効果的に行うことができる武器がハンマーだからである。したがって、アカムトルムが苦手だと言う人にはハンマーを使用することを勧める。
(2)の3連続突進であるが、基本的には(1)と同様で、そもそも突進の直進上に入らない場所に居ることが理想である。実は(2)の場合の方が当たり判定が小さく、追尾性能も低いため、避けるのは容易だと言える。当たった場合にハメ殺される可能性はあるが。
3.ガンナーについて
A.スキル構成
ガンナーの場合は剣士と異なり、そもそも咆哮の範囲外から攻撃できるため、高級耳栓を要しない。拡散弓を使う場合なら別だが、その場合であっても曲射等で範囲外から攻撃が可能なので、耳栓の優先順位は低い。
したがって、実はガンナーの場合の推奨スキルは存在しない。ガンナーで戦う場合アカムトルムはほとんど単なる的になって全然面白くないのだが、楽しみたい人は貫通弓・貫通ボウガンで気持ち良く貫通を通す、野雷で斬裂弾を撃って太い尻尾を斬る等すれば良いのではないだろうか。
B.要注意行動の捌き方
(a) 追尾突進
上述した通り、ガンナーを効果的に排除するための行動パターンをアカムトルムはほとんど持っていないので、長距離移動型の追尾突進のみに気を払えば後は何をしても自由である。捌き方だが、やはり中距離でアカムトルムの顔の直線状から外れた位置に居ることが効果的である。もっともガンナーの基本は「モンスターと目を合わせない」ということに尽きるので、この基本ができている限りアカムトルムに苦労することは無い。「当たったらほとんど即死」ということだけ頭に入れておけば良い。
4.各武器を使う場合の役割
(a) 切断武器
片手剣からランスまで、切断属性を持つ近接武器を使う場合はとりあえず尻尾を中心に狙う。アカムトルムは体が大きすぎることがはっきり言って弱点で、例えば頭も尻尾も2人張り付いても全く互いの行動を阻害しないような動きが可能なので、割り合い複数同位置に居ても快適にプレイできる。ウカムルバスと異なり本体のダメージとは無関係に切断できるので、最初にさっさと斬って弱点の頭や他の破壊可能部位に散る等すれば良いのではないだろうか。高級耳栓があれば尻尾の半分より外側に居ると完全に咆哮を無効化して攻撃を続けることが可能。もちろん素材に関心が無い場合は最初から弱点の頭に集中。
(b) 打撃武器
上述したようにハンマーをはじめとする打撃武器はアカムトルムに対して非常に相性が良い。何より頭がでかいので打撃武器2人で頭の左右から叩くことができる。大体体感だが1人打撃武器が居ればクエスト終了までに2回はスタンが取れる。
狩猟笛の場合は聴覚保護や攻撃力・防御力強化等の旋律が推奨される。アカムトルムには大振りな攻撃が多く、笛を吹くチャンスはいくらでもあるのでこちらも相性が良い。ヘイトを稼ぎやすいので、遠方に位置取り吹き専になると追尾突進のターゲットにされやすくなることには注意。
(C) ガンナー
自由。可能なら剣士で手が届きにくい背中や腹の破壊をすれば良い。
5.勝手なコメント
個人的には楽しいハンマーか双剣を用いる場合が多い。ガンナーの場合は何をやっても面白くないので大体貫通を通すか斬裂弾を撃つ。麻痺や睡眠で流れを止める人が鬱陶しい。アカムトルムを楽しみたい人は、アカムトルムがそんな人々に麻痺させられた場合は砥石や回復薬を使ったり、眠らされた場合は突っ立っておけば良いと思う。また、特に素材に関心が無い場合は中央部に砥石を採取できる岩があるので、クエストが終わるとそこへ行って砥石でも採取すれば良いと思う。
2012年5月15日火曜日
ショウジョウバエ 対策法
久しぶりに記事を書くくせにクッソみたいな内容で申し訳ないのだが、大量発生したショウジョウバエの撃退法に醤油を使うと効果的であることが分かった。
実はテスト期間中でシェアしている(途中で消えたインド人に代わって入ってきた)アメリカ人が台所にバナナを置きっぱなしにしていたため、ショウジョウバエ(日本で一般的に言うコバエ)が俺の人生で過去類を見ないほど大発生していたのだ。このショウジョウバエの特性は「邪魔」だということに尽きる。別に病原菌のキャリア―でもないみたいだし、ランゴスタのように人間を刺したり噛んだりはしないようだ。ただぶんぶん飛びまくるだけである。むしタイプのコイキングみたいな感じだ。
非常に困ったことに、こいつらは努力値を素早さに全振りしているので日本に居る通常の蚊よりこいつらの方が素早い。ふつうに殴りに行っても6~7割は回避してしまうため、相手にしていると疲れるだけの場合が多いのだ。しかも繁殖速度が異様に早く、食料となるものが存在し続ける限り延々湧き続ける。
非常に困った状態で今日も論文を書いたり非実在害獣を狩猟したりしていたのだが、ふと机の上にあるキッコーマンの醤油瓶を見ると(気持ち悪いのだが)奴らが大量溺死しているのが目に入った。どうやら醤油の臭いが好きらしく、放っておくとあの瓶のちょっと開いている口から勝手に醤油の海に突っ込んで勝手に死ぬらしい。キッコーマンの完璧な監獄タイプの瓶の形も相俟って、自然と「ショウジョウバエ取り機」の役割を果たしていたようだ。というわけでこいつらに困っている人はとりあえずコンビニ等に行って(犠牲となる)キッコーマンのおなじみの瓶入り醤油を買ってきて、発生源(例えばアメリカ人が置きっぱなしにしているバナナ等)を除去した後、沢山湧いている場所に醤油瓶を置いておくといいらしい。
うわーこれノーベル賞ものの発見だわと思ってネットで検索してみたら残念なことに多くの人々が既に発見していた・・・。
2012年5月3日木曜日
FIVE (今更)感想
今更浜崎あゆみのFIVEという小さめのアルバムを聴いたので感想を書こうと思う。というか、全部Progressの感想である。
この人について今更言うことは無いし、俺はそれほどこの人の歌が全部好きでしょうがないというわけではないのだが、時々「おっ・・・・」と思わされる曲が売られる場合がある。ここで感想を書くProgressもそういった曲の1つである。
何より俺が感嘆したのは「全体的な落ち着き」である。特に歌詞は大人しか書けないような歌詞だなと思った。もちろんタイトルがProgressなので前向きな歌ではあるのだが、ひたむきな前向きさというよりは落ち着いて一歩一歩進むという意味での前向きさを感じる。曲も静かな前半から後半一気に激しくなる流れがかっこいい。
しかもこれがテイルズシリーズ最新作の主題歌だった(俺がアメリカに着いて少し経ってから発売されたのでどう考えてもできない)というのも意外と言えば意外だなと思う。テイルズの主題歌は個人的にはこれまでデスティニーとヴェスペリアしか当たりが無いなと思っていたのだが、このProgressも加えるべきだなと思う。PS3のヴェスペリア以降全く触れていないのでテイルズ自体はもうやらないかもしれないが。
この人について今更言うことは無いし、俺はそれほどこの人の歌が全部好きでしょうがないというわけではないのだが、時々「おっ・・・・」と思わされる曲が売られる場合がある。ここで感想を書くProgressもそういった曲の1つである。
何より俺が感嘆したのは「全体的な落ち着き」である。特に歌詞は大人しか書けないような歌詞だなと思った。もちろんタイトルがProgressなので前向きな歌ではあるのだが、ひたむきな前向きさというよりは落ち着いて一歩一歩進むという意味での前向きさを感じる。曲も静かな前半から後半一気に激しくなる流れがかっこいい。
しかもこれがテイルズシリーズ最新作の主題歌だった(俺がアメリカに着いて少し経ってから発売されたのでどう考えてもできない)というのも意外と言えば意外だなと思う。テイルズの主題歌は個人的にはこれまでデスティニーとヴェスペリアしか当たりが無いなと思っていたのだが、このProgressも加えるべきだなと思う。PS3のヴェスペリア以降全く触れていないのでテイルズ自体はもうやらないかもしれないが。
2012年4月28日土曜日
ファイナルファンタジータクティクス 感想
今までプレイしてきたRPGの中でも「最も好きなもの」を選べと言われたら、俺は間違いなく「ファイナルファンタジータクティクス(以下FFT)に決まってる」と言う。俺はこのRPGが今まで世界に存在したRPGの中で「最も優れている」とは思わない。ゲームとしての問題は誰が見ても沢山あると言わざるを得ない。しかし、俺はこのRPGが一番好きなのだ。一番好きな小説と同じで、技術においてはヘミングウェイやトマス・マンの方が断然上手いと思うのだが、それでも一番好きな作家がドストエフスキーで、一番好きな小説が「カラマーゾフの兄弟」だというのと同じである。「カラマーゾフの兄弟」もFFTも未完成(前者は明示的に第二部の構想があり、後者は黙示的に描写不足である)の作品なのだが、それでも好きなのである。
いつも通りあらすじを超簡略して書くと、ガリランド王立士官アカデミーに通う貴族の名門ベオルブ家の末弟ラムザ・ベオルブと、「親友」であり共にアカデミーに通う平民出のディリータ・ハイラルが、イヴァリースという国家の覇権をめぐる内戦「獅子戦争」に巻き込まれ、やがてラムザはその中で戦争を裏で操る存在と戦っていく・・・という話である。
俺がこのRPGをプレイしたのは小学校6年生の頃であった。使われている漢字の範囲は大体漢検3級~準1級に行くかいかないかだし、文章にルビも振られていないので、(俺は漢字は相当分かる方だったのだが)分からない漢字(枢機卿など)も沢山あった。しかも俺の友達は皆FF7やマリオカート64等が好きで、一緒に遊ぶ時に俺が面白いからやろうとか言いだすと意味分かんないから勘弁してよというリアクションが常に返ってきていた。なので皆がゴールドソーサーのスノボーやマリカーの対戦が面白い面白いと言う中、俺1人がこのRPGに熱中していた。文字通り熱中である。
何がそんなに面白かったのかと言うと、物語である。クロノ・クロスも突出していると思うのだが、FFTも別のベクトルで突出している。FFTにおいては身分による差別、宗教の問題等、具体的な社会問題はかなり鋭く(劇的に)描かれているのだが、より抽象的なレベルで(1人の小学生の視点から)「人が生きるってどういうことなんだろう」と考えさせる物語だった。
まず差別の問題についてであるが、アルガスという「貴族原理主義」と呼べるまでの徹底した貴族と平民の差別を強調する輩による「家畜に神はいないッ!」 という台詞があまりにも有名である。その時はアメリカに来て今のように奴隷制についてまともに勉強する機会があるとは思わなかったのだが、今のように現実として知っていなくてもかなり衝撃的な台詞だった。もちろん人間が他の人間を差別する現実があることは当時の段階で既に知ってはいたが、それはあくまで「社会のある1つの形」であって、個人の精神にまで踏み込むようなものではないと思っていた。アルガスはそれを貴族の視点から完全否定したのである。つまり、平民=家畜には、神という絶対的な存在の前での「弱者としての人々の平等」という、「救い」そのものが根本から無いのだ。宗教は「人間」である貴族のために用意されたものであり、人間ではない「家畜」である平民は、現実世界の外に救いを求めることすら許されないという考え方である。
何が悲劇だったかと言うと、(アルガスの台詞自体の問題よりも)主人公であるラムザはこの段階ではまだ「『親友』である平民のディリータの前でアルガスの考えを否定する言葉を持っていなかったこと」である。「親友」ならすぐにアルガスをぶん殴ってやらなければならなかった。逆に言えばやはり差別という問題はラムザやディリータ個人の感情だけでは対処できないほど根が深すぎる問題であり、チャプター1のジークデン砦における別れはこの段階で、もっと言えば彼らがイヴァリースで生まれ落ちた段階で運命付けられていたのである。後で触れるようにこの物語は「悲劇」なのだが、正史の中で「英雄王」になったディリータがイヴァリースに民主制を敷いたという事実が言及されていないこともまた、この問題の深さを示唆している。
次に宗教の問題だが、リオファネス城でのラムザと神殿騎士ウィーグラフの一騎打ちの中でのウィーグラフの台詞が印象的だった。「所詮、”神の奇跡”などそんなものだ・・・。その時々の執政者たちが自分の都合の良いように歴史を改ざんしているだけ。だがな、その行為のどこに問題があるというのだ?彼らが責められる理由は何もない。なぜなら”神の奇跡”を臨むのはいつでも民衆だ。何もせず、文句ばかり言い、努力はせず、他人の足を引っ張る・・・それが民衆というもの・・・そうした民衆が望むものを執政者たちが用意する・・・。歴史などその繰り返しにすぎん。たしかに執政者たちはそうした民衆の弱い心を利用していたかもしれん・・・。だが、民衆もまた、利用されることに満足しているのだ・・・。”神”なんぞ、人間のもっとも弱い心が生み出したただの虚像にすぎん・・・。それに気づいていながらその”ぬるま湯”に甘んじている奴らがいけないのだよ・・・。弱い人間だからこそ”神の奇跡にすがるのさ・・・。」という台詞である。プレイヤーとしてはリオファネス城における一騎打ちは、その後のルカヴィ戦を含めてこのゲームにおける最難関のポイントなので、台詞をいちいち気にしている場合じゃないのだが、台詞の内容は極めてラディカルな主張である。あらゆる宗教行為に身を投じている人々の感情を真正面から逆撫でするこの台詞に衝撃を受けた。日本人だからこそ書ける台詞だなと思う。
他方で、このウィーグラフの台詞は主張というより自虐に近い。ウィーグラフという、反政府勢力を率いて革命のために奔走していた一人の青年が、自分が抱いていた展望(彼が台詞の中で馬鹿にしている「民衆」の希望)を捨ててしまったことの結果である。なので、ゲームにおける彼の物理的な強さに反して、実は戦う前からラムザに彼は負けてしまっているのだ。もっとも彼の人生ははっきり言って苦難しか無かったので、(後に異端者として世界に追われる存在になったとはいえ)最初からアドバンテージを与えられているラムザを公正に擁護できるわけでもない。ウィーグラフもディリータもそうなのだが、「持たざる者はどこまで行っても持たざる者だった」という事実は、この作品の悲劇性を高めている。
他方で、このウィーグラフの台詞は主張というより自虐に近い。ウィーグラフという、反政府勢力を率いて革命のために奔走していた一人の青年が、自分が抱いていた展望(彼が台詞の中で馬鹿にしている「民衆」の希望)を捨ててしまったことの結果である。なので、ゲームにおける彼の物理的な強さに反して、実は戦う前からラムザに彼は負けてしまっているのだ。もっとも彼の人生ははっきり言って苦難しか無かったので、(後に異端者として世界に追われる存在になったとはいえ)最初からアドバンテージを与えられているラムザを公正に擁護できるわけでもない。ウィーグラフもディリータもそうなのだが、「持たざる者はどこまで行っても持たざる者だった」という事実は、この作品の悲劇性を高めている。
最後にチャプター4の内容に触れたいと思う。実はここまでで触れてきた宗教や身分差別の問題自体は、小学校6年生の自分にとっては確かにある程度は衝撃的だったものの、この感想の冒頭で触れているような「人が生きるってどういうことなんだろう」と考えさせるほどではなかった。最も大きな影響を持ったのは、やはりチャプター4「愛にすべてを」におけるラムザとディリータの異なる二つの人生の結末である。俺は(いつぞや書いたD. Gray-manの感想以外)商品のAmazonレビューとして感想を書いているわけではないので、基本的にネタバレ等は無視しているのだが、この作品の結末にはほとんど救いと呼べるものが無い。「異端者」ラムザは獅子戦争を裏で操っていた者と「誰か困っている人のために戦う」という自分の信念に従い戦って行方不明となり、「英雄王」ディリータは「自分からこれまであらゆるものを奪ってきたこのイヴァリースという世界にいかなる手段を用いても復讐し、自分が今度は彼らから奪う側に立つ」という自身の野望に従って王となったが、本当に愛していた(彼はオヴェリアに対しては本心から愛情を抱いていたと考えられる)オヴェリアに短刀で刺され、即座にオヴェリアから奪った短刀で彼女を絶命させた。「・・・ラムザお前は何を手に入れた?オレは・・・」という、彼の台詞でこの物語は幕を閉じる。
実は俺はFFTをプレイしてから長い間、ラムザのような自己犠牲が、ディリータの野望に比較してより強い正当性を持っていると考えていた。最後の台詞をディリータに喋らせていたこともあり、このFFTという物語は、「自身の『義』に従って、自分のためではなく、誰か他の人のために戦ったラムザこそが真の英雄だった」という物語だったと思っていた。しかし、本当にラムザやディリータのどちらかに、どちらかの生き方がより優れていると言わしめるだけの正当性というものがあるのだろうか?ラムザの「自己犠牲」がなぜ我々にとってより強い価値を持つと感得させるのか?
ラムザの「自己犠牲」の正当性について説明する1つの方法として、彼が「自分が本来得るはずだった利益を差し出し、あるいは捨て去り、自分にとって最終的には不利益にはなるが、それでも自分以外の者に対しては利益となる選択肢を選んでいるからだ」という説明の仕方があるだろう。すなわち、ラムザは「本来ならベオルブ家の末弟として、イヴァリースという絶対的に自分たち貴族にアドバンテージを与える社会で、自分たち貴族の利益のみを追及して安寧な生活を送ることが約束された地位にいたにも関わらず、自分たちのみならず平民をも含んだイヴァリース全土に被害を及ぼしかねないルカヴィという悪魔と、自分の命と引き換えに戦ってこの危険=不利益を取り除いた」結果、彼獲得した「利他性」故に我々は彼の行為を正しいとするのである。
しかし、ディリータの野望もこのようなラムザの「正しさ」とは別の意味での「正しさ」を持っている。ディリータの野望の正当性は、ラムザとは異なり、「利他性」ではなく、「公正」の概念で説明することができる。ディリータの野望は、「彼がこれまで被ってきた社会における「貴族」と比した場合の不均衡な利益の配分に対し、彼に配分されなかっただけの利益を取り戻し、あるいは奪い、均衡にして、結果を公正なものにしているからだ」と説明できるだろう。すなわち、ラムザと異なり本来的にこの世界で利益を得ることができない状態=「貴族」と比して不均衡な「平民」を前提として配分されていた利益と、殺されたティータのようにこの前提により「是」とされた奪われた利益に見合った、自身の被ってきた不利益と均衡するだけの(「不利益を贖う」)利益である「英雄王」という地位を得たことにより、我々は彼の野望を正しいとするのである。
より詳細な考察を加えると、上記したこの物語の最後の文脈を抜きに、客観的にラムザとディリータの人生をながめれば、両者が共に比較不可能な正当性を有していることが分かる。比較を不可能なものにする最も大きな壁は、「ラムザが持つ者であり、ディリータが持たざる者であった」という事実に他ならない。例えば、面白い思考実験として、ラムザとディリータの結末を反対だったと想定する。その場合、ラムザは最初から自分の利益だけを追及し「順当に」「英雄王」となり、不利益は最小化し、利益が最大となる。ディリータは反対に、最初から最後まで何も得られないばかりか、自分の命を含めた全ての自己利益を失い、不利益が最大化する。この場合、両者の結末は正当性の点で問題を抱える。ラムザはあまりに大きすぎる利益を得たばかりに不均衡な結果を生み、ディリータは大きすぎる不利益を生じさせたばかりに、自己犠牲によって得られるはずだった他者の利益によって得られた「利他性」が持つ正当性を、自らに生じた不利益が大きく減じてしまう。このように考えると、FFTにおけるラムザとディリータの「持つ者と持たざる者」の違いは、それぞれの人生が比較不可能なものとして正当性を主張するための必要な前提だったのだと考えられる。だからこそ、余計に救いが無い。最初からこの物語において彼らの人生に出口など無かったのだ。
これらのことを考えさせるRPGがFFTだった。下手な道徳教材よりよっぽど勉強になるRPGである。ここでは物語に偏重した感想を書いたが、こんな小難しいことを考えなくても(最初に述べたとおり問題はあるにはあるが)純粋にゲームとしてもFFTは面白い。(俺の彼女は途中で投げ出してしまったが)せっかく生きてるのならやってみるべきゲームである。
実は俺はFFTをプレイしてから長い間、ラムザのような自己犠牲が、ディリータの野望に比較してより強い正当性を持っていると考えていた。最後の台詞をディリータに喋らせていたこともあり、このFFTという物語は、「自身の『義』に従って、自分のためではなく、誰か他の人のために戦ったラムザこそが真の英雄だった」という物語だったと思っていた。しかし、本当にラムザやディリータのどちらかに、どちらかの生き方がより優れていると言わしめるだけの正当性というものがあるのだろうか?ラムザの「自己犠牲」がなぜ我々にとってより強い価値を持つと感得させるのか?
ラムザの「自己犠牲」の正当性について説明する1つの方法として、彼が「自分が本来得るはずだった利益を差し出し、あるいは捨て去り、自分にとって最終的には不利益にはなるが、それでも自分以外の者に対しては利益となる選択肢を選んでいるからだ」という説明の仕方があるだろう。すなわち、ラムザは「本来ならベオルブ家の末弟として、イヴァリースという絶対的に自分たち貴族にアドバンテージを与える社会で、自分たち貴族の利益のみを追及して安寧な生活を送ることが約束された地位にいたにも関わらず、自分たちのみならず平民をも含んだイヴァリース全土に被害を及ぼしかねないルカヴィという悪魔と、自分の命と引き換えに戦ってこの危険=不利益を取り除いた」結果、彼獲得した「利他性」故に我々は彼の行為を正しいとするのである。
しかし、ディリータの野望もこのようなラムザの「正しさ」とは別の意味での「正しさ」を持っている。ディリータの野望の正当性は、ラムザとは異なり、「利他性」ではなく、「公正」の概念で説明することができる。ディリータの野望は、「彼がこれまで被ってきた社会における「貴族」と比した場合の不均衡な利益の配分に対し、彼に配分されなかっただけの利益を取り戻し、あるいは奪い、均衡にして、結果を公正なものにしているからだ」と説明できるだろう。すなわち、ラムザと異なり本来的にこの世界で利益を得ることができない状態=「貴族」と比して不均衡な「平民」を前提として配分されていた利益と、殺されたティータのようにこの前提により「是」とされた奪われた利益に見合った、自身の被ってきた不利益と均衡するだけの(「不利益を贖う」)利益である「英雄王」という地位を得たことにより、我々は彼の野望を正しいとするのである。
より詳細な考察を加えると、上記したこの物語の最後の文脈を抜きに、客観的にラムザとディリータの人生をながめれば、両者が共に比較不可能な正当性を有していることが分かる。比較を不可能なものにする最も大きな壁は、「ラムザが持つ者であり、ディリータが持たざる者であった」という事実に他ならない。例えば、面白い思考実験として、ラムザとディリータの結末を反対だったと想定する。その場合、ラムザは最初から自分の利益だけを追及し「順当に」「英雄王」となり、不利益は最小化し、利益が最大となる。ディリータは反対に、最初から最後まで何も得られないばかりか、自分の命を含めた全ての自己利益を失い、不利益が最大化する。この場合、両者の結末は正当性の点で問題を抱える。ラムザはあまりに大きすぎる利益を得たばかりに不均衡な結果を生み、ディリータは大きすぎる不利益を生じさせたばかりに、自己犠牲によって得られるはずだった他者の利益によって得られた「利他性」が持つ正当性を、自らに生じた不利益が大きく減じてしまう。このように考えると、FFTにおけるラムザとディリータの「持つ者と持たざる者」の違いは、それぞれの人生が比較不可能なものとして正当性を主張するための必要な前提だったのだと考えられる。だからこそ、余計に救いが無い。最初からこの物語において彼らの人生に出口など無かったのだ。
これらのことを考えさせるRPGがFFTだった。下手な道徳教材よりよっぽど勉強になるRPGである。ここでは物語に偏重した感想を書いたが、こんな小難しいことを考えなくても(最初に述べたとおり問題はあるにはあるが)純粋にゲームとしてもFFTは面白い。(俺の彼女は途中で投げ出してしまったが)せっかく生きてるのならやってみるべきゲームである。
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