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2011年7月29日金曜日

"GOOD LUCK MY WAY"

 ビザを入手した。
 こんなもんを入手するためにこんなに一生懸命になるとは思っていなかった。こんなに俺の障害になると思っていなかった。でもなんとかしないといけない状況になったら、なんとかなると思ってなんとかするしかない。「もうなんとかならない」(by麻倉葉)と分かっていても「なんとかなる」(by麻倉葉)と思うしかない。今のところ俺の人生はこの繰り返しである。多分今後も俺はそうする。そうやって生きていくしかないからだ。
 そして、ビザを入手したということは、やっと俺の旅が始まるということを意味する。この時をずっと待ってたぜ。

2011年7月15日金曜日

ビザ面接の思い出

 実は先週の金曜日ぐらいにビザ面接を受けに東京の米国大使館に行っていた。
 なので、実は「思い出」と言うまで記憶が風化していないのだが、非常に印象的に俺の記憶に刻まれた。俺は面接時間が朝9時ぐらいだったのだが、初めてビザ面接を受けるので少し緊張して、8時20分ごろにはもう大使館近辺にたどり着いていた。多分俺が一番始めの順番だろうから、少し待たされるのかもしれないと思ったのだが、別の意味で待たされることになった。ディズニーランドのアトラクション前のごとく、長蛇の列ができていたのである。
 正直これには少しびっくりさせられた。子供連れの家族から外国人まで実に様々な人が既に列を成していたのだ。皆一生懸命である。受付も担当していた警察官らしき人も大変そうだった。
 かなり長い時間待たされた後、複数のセキュリティチェックを受けて内部に入るのだが、内部は俺の想像と全然違っていて、映画館のチケット売り場みたいな感じになっていた。「面接」も一瞬である。名前と渡米目的と俺がフルブライターだということぐらいしか喋っていない。指紋を採る時間の方が面接よりも長かったかもしれない。
 しかし、俺はDS-2019無しで面接を受けたので、当然不許可の通知が(その場では)降りた。実はビザ面接には抜け道っぽいものがあり、東京の米国大使館に限りDSなしでも面接が可能なのだ。当然DSなしでやった場合はその後に再び署名入りのDSを大使館に送らなければならないので、二度手間になるし手続き的な問題があるのでやるべきではないが、俺の場合は渡米まで3週間を切っているのにまだDSが来ていないという意味不明な状況だったのでやらざるを得なかった。人生初のビザ面接が抜け道っぽい手続きだったというのは本当にたどたどしくていかにも初めて外国に行く人らしい。フルブライトも狙って俺になかなかDSを出さなかったのかもしれない。

2011年6月20日月曜日

「留学への道程」で俺が書き忘れていること

 もう半分ブログのテーマ等はどうでもいいのだが、一応留学ブログとして始めたわけだし、もう名実共に2011年度フルブライターになって留学する運命が確定したこともあり一区切りがついたので、ここら辺でまだこのブログに書いてなかった留学関連のことを書いておこうと思う。


1.出願した大学(俺が行きたかった順)

(1) New York University School of Law LL.M. in International Legal Studies

(2) Harvard University Law School

(3) Northwestern University School of Law LL.M. in International Human Rights

(俺にとってどうでもいい大学1)University of Virginia School of Law

(俺にとってどうでもいい大学2)University of California, Berkeley School of Law

最低5校とフルブライトの紙には書いてあったので5校出したのだが、4月ぐらいによくその紙を読んだら多くの人は10校ぐらいは出すとか書いてあったので大体10校ぐらい普通は出すのかもしれない。


2.利用した留学関連サービス等

アゴスの無料オンラインサービスで過去の出願結果やクラスサイズは見た。エッセー等は既に合格レベルのものを自分で書けていることを2年前の戦いで確認していたので、「新装版 大学院留学のためのエッセーと推薦状 (留学応援シリーズ)」を読んで自作。TOEFLも自学。面接も自習。金が無い。


3.獲得した奨学金等

日米教育委員会フルブライト奨学金(全額給付。大体占めて7万ドル(570万円ぐらい)
伊藤国際教育交流財団日本人奨学金(両立不能なので申し訳ないが内定を蹴った)
Transitional Justice Scholars Program(金は貰えないがインターンの機会とNYUの特定科目の履修登録優先権を獲得)


4.アメリカでの住居

大学の寮が決定済み。他の学生と(強制)シェア。家賃は1ヶ月1300ドル(大体10万円ぐらい)。ちなみに俺の今住んでいるアパートの家賃は3万円なので部屋は狭くなるのに家賃は3倍になる。


5.アメリカでの生活準備等

銀行:シティバンクのe-セービング円普通預金とドル建てのものを作成済み。

携帯:現段階ではアメリカで契約するかどうか不明。日本の携帯は海外だと通話料が高くなるので解約予定。寮の各部屋に固定電話用の電話線は引かれているらしい。

航空券:キャンセル待ちとか言われていたが実は取れているらしい。フルブライト奨学生は基本的にタダ。

ご飯:アメリカの電圧対応の電気釜を持って行くかどうか思案中。「宇宙兄弟」の溝口(「聞いているか真壁!!」の人)みたいに「僕には合わない・・・・」とか思うどころか、最近は(彼女と食べるもの以外の)食べ物がどうでも良くなってきたので買わない可能性あり。

服:多分日本のもので対応可能。しかしニューヨークは雪がすごいらしいのでダメかもしれない・・・。NYじゃなくてMAの話だが、大学の時の俺の恩師はハーバードの寮で雪国出身の留学生が寒過ぎて泣いていたとか言っていた・・・。

ビザ:DS-2019がフルブライトから来ないので話が進まない。実は現在の最重要項目。

運転免許:(実物のNYをまだ見た事ないから分からないけど)都会でしかも半分大学に住むようなものなので、国際運転免許証は申請しない。

2011年6月14日火曜日

2011年度フルブライト奨学生オリエンテーション&レセプションの感想(兼反省会)

 昨日、日米教育委員会事務所と米国大使公邸(大使館の横の屋敷)で2011年度奨学生のためのオリエンテーションとレセプションがあった。
 いきなり反省から入るが、俺は自己紹介の時に俺の研究内容をうまく(かつ短く)伝えられなかったと思う。「移行期の正義」の中に「平和構築」という違うJargonを重ねて説明してしまったので、知らない大多数の人々に非常に胡散臭い印象を持たせてしまった(実際レセプションの時に都市再生機構で働いている人に説明したが、これぞ「胡散臭いと思ってる顔」という顔をしていた)。別に自己紹介ぐらいどうでもいいかもしれない。しかし、レセプションの時に再会した、俺を内定させた面接官と喋った際にも、「面接の時に『そもそも移行期の正義とは何か』といった少し君にとって厄介な話をしたが、今後君が研究を続けていく上で君の研究を知らない人にも君の研究内容を簡潔に説明する技術は必要不可欠だよ。ほら、じゃあ君は何を勉強するためにアメリカに行くのか試しに言ってごらん?」と言われたし、俺は今後この(まだ認知度の低い)分野の専門家になるにあたって短いフレーズで的確に、具体的な研究内容を喋る技術をもっと磨かなければならないと思った。
 これと若干関連していることだが、俺はルース駐日大使と喋るのを完全に忘れた。オリエンテーション中の質問タイムの時に質問すれば良かったのだが、上述した理由で「移行期の正義って何?何言ってんの?」、「平和構築?はあ?」みたいなリアクションをこの人がするかもしれないと思うと、本当にそのやり取りが(まだ俺の説明する技術では)めんどくさいと思ってしまって、時間も限られてるしレセプションの時に回そう回そう・・・と思っていたら気付いたらレセプションが終わっていた。もう会わねぇだろうな・・・。
 とまあ反省することはあったのだが、ほぼ1日缶詰だったオリエンテーションには結構うんざりした部分もあったものの、レセプションは料理も酒もおいしくて素晴らしかった。俺は結構飲んでいたので、他の奨学生以外にも、国務省で働いている日系のアメリカ人(外見は完全に日本人)と、「日本人の祖父から習った日本語が難しいんだけど」とか、かなりどうでもいい話もした。ルースさんと喋りに行けよ・・・。
 とにかく、この1日を通じて分かったのは、フルブライト奨学金は俺が思っている以上にこの世界では特別であるということである。フルブライト奨学生は、自分が奨学生として選抜されたことを自身の生涯における重大な出来事の1つに挙げてもよいだろう。少なくとも、俺は俺の大切な人に話すべきことがこれで1つ増えたと思う。
 

2011年5月30日月曜日

I made the first step.

 NYUのTransitional Justice Scholars Programへの参加が許可された。多分日本人がこのプログラムに入るのは初めてなので、とりあえずフルブライト奨学金に提出した俺の研究計画の第1の関門をクリアしたことになる。
 フルブライト奨学生の実績がキャリア構築に有用だという考えは(表向きには)あるが、俺としてはこれで後先考えずに思いっきりやれる。明日死んでも後悔しないように今勉強しよう。

2011年5月18日水曜日

「死ぬほど痛いぞ」→I made it again!!

 今日破傷風とジフテリアの予防接種がようやく終わったのでフルブライトに証明書を提出した。ジフテリアを打った後に、「反応がすごいかもって言ってましたけど、やっぱり痛いですねジフテリア」って医者に言ったら「破傷風の方が死ぬほど痛いぞ。痛い痛い」とか、情緒不安定なガンダムパイロットみたいなことを言ってきた・・・そして実際痛かった。ジフテリアより重い感じの痛みである。
 これでようやく留学前の健診・予防接種関係の作業が全て完了した。あとはもしかしたら歯医者に行くかもしれないが、俺は生まれてから一度も虫歯になったことが無いので、他にやることがあったらそっちを優先しようと思う。とりあえず住んでいるところの掃除とか、論文の作成とか、英語の勉強とか、ビザ面接用の書類作成とか、ユナイテッド航空のキャンセル待ちの件とか、やることは沢山ある・・・。
 

2011年5月16日月曜日

サマースクール決定

 フルブライトから連絡が来て、俺はフルブライトのサマースクールを「免除」になり、代わりにNYUのサマースクールに参加することになった。このNYUのサマースクールは8月1日から2週間に渡って行われるものなので、日本を出るのは7月末ということになった。
 というわけで、他にNYUのロースクールに他国のフルブライターが来ていなければ、俺が他のフルブライターに会うのは6月13日の渡米前オリエンテーションとレセプションのみで、しかも日本人だけになりそうである。「横の繋がりが強い」とかフルブライト奨学金を評する人もいるが、俺の場合は(ある意味俺らしいが)この「横の繋がり」の構築を国際的な文脈で事実上無視してNYUで独走することになりそうである。

2011年4月19日火曜日

I didn't make it (泣)→ 「宇宙の話をしよう」

 英文健康診断書を作成したと思っていたら、依頼した医療機関が抗体値と確認した日付を記入しておらず、頼んだのにレントゲンを撮っておらず、さらに破傷風とジフテリアは全く理解不能だがそもそも抗体検査すらしていないという事実が判明したのでやり直しになった・・・。
 特に破傷風とジフテリアは抗体検査していないということを英文健康診断書に書く前に説明しろよと激しく思ったし、何よりポリオの予防接種をしたため1ヶ月経過しないと両方予防接種もできない・・・。というかそもそも抗体検査していない項目についても抗体があるという適当な事実を記入されていたこと自体、本当にろくでもない医療機関だなと思わざるを得ない。金もらってやってるのに何やっつけで作ってんの?と思った。結局今現在埋められるところだけは埋めて提出し、5月中旬にジフテリアと破傷風の予防接種の証明書を提出することにした・・・。
 なるほど、俺は自分の親(だった人)も含めた連中がこの英文健康診断書作成でどれだけ愚かな振る舞いをするかを予め予測して行動すべきだったのだ。俺の親が存在しなくなる前に高校生の俺は「将来フルブライト奨学生になる予定があるんで」と言って(1人は死にかけていた)彼らから母子手帳を確保するべきだったし、医療機関にはただ「ここに書いてある9つの感染症について抗体検査をして下さい」、「ならポリオだけ予防接種が必要なんですね?」と言うだけではなく、「はしか、風疹、おたふく風邪、ジフテリア、ポリオ、百日風邪、破傷風、破傷風追加免疫はちゃんと抗体検査してもらえたんですよね?『もう書けるよ』『ポリオ以外は大丈夫だよ』とかおっしゃっていますけど、ちゃんと書類に存在する全ての項目の診断、全ての病原菌について抗体検査してもらっているんですよね?だからもう書けるとおっしゃっているんですよね?説明して下さいよ」とうざいぐらい聞くべきだったのだ。
 なぜかこの件について俺にしては珍しく本当に頭にきたのだが、俺はこのろくでもない医療機関を怒ったり恨んだり呪ったりしないことにしようと思う。「宇宙の話をしよう」(by南波六太)というわけだ。俺はフルブライターだ。医者じゃない。俺の母子手帳の所有者でもなかった。日米教育委員会の職員でも無い。それよりも俺はアメリカでの1年の準備をするべきだ。少なくとも、俺にはもう俺がアメリカで勉強する姿が見えている。

2011年4月15日金曜日

I made it!

 英文健康診断書の作成を完了した。母子手帳が紛失していたことで今は亡き母に少しイラっとしたが、抗体検査の結果、俺はポリオ以外の抗体を全て備えていることが判明したので、実はまめに予防接種を受けさせてくれていた母には感謝すべきなのかもしれない。
 ポリオの予防接種については本当に一瞬で終わったのでびっくりした。何かスポイトみたいな器具に入っている怪しい液体を口の中にぴゅっと打つだけである。気持ち悪い液体だったが別に耐えられないほど苦いわけでもなかった。既にツベルクリン反応と抗体検査の際の採血で2度注射を刺されていたので、絶対注射されるわこれ・・・と思っていただけに良かった。大人がポリオの予防接種を受けるのは珍しいらしい。3900円でできた。
 というわけで俺の予想よりかなり早く、そして安く(3万も使っていない)フルブライト奨学生の身分を確定するための書類を揃えることができた。母子手帳も無いし病院には断られるし、最初は一体どうなるのかと思っていたが、案外やればなんとかなるものである。
 

2011年3月21日月曜日

俺の負け!!でもこれで始まり。

 Harvard University Law School LL.M.に落ちた。


 何も言えねーな。最善手を尽くしたのだから。これでいい。

だからこそ悔しいけどな!!


 そして、これで俺の進む道は決まった。俺は第1志望だったNew York Universityにフルブライターとして留学する。行くぜNew York!!

2011年3月18日金曜日

行くぜ抗体検査!!

 ~数日前の会話~

 「俺の母子手帳とかってある?フルブライトに提出する健康診断書作んのに居るんだけど?」「はあ?お前の母子手帳なんかねーよ。死ね!!」ガチャ!!・・・ツーツー・・・・

 
 という(半分)実話があったので、抗体検査を受けることになった(と思う)。フルブライトに提出する英文健康診断書には、はしか、風疹、おたふく風邪、ジフテリア、ポリオ、百日風邪、破傷風、破傷風追加免疫(?)についてそれぞれ抗体があるか、予防接種をいつ受けたのか書くことになっているので、母子手帳が無くてそれが分からない俺は、抗体検査を受けなければならない。多分死ぬほど金がかかる・・・が今更やらないっていう選択肢が無いのでやるしかない。
 一般にはフルブライターになるには内定者に選抜されればいいということになっているが、実際は①内定、②出願校の合格通知獲得、③所定の英文健康診断書と有効期限のパスポートコピー提出、④アメリカ本部にある財団の承認という要件を全て満たして初めてフルブライターになるのだ。俺は今③をどうにかしようという段階に居る。なので昨日家の近所の病院に電話して大丈夫だとか言われてフルブライトにもらった用紙を持って行ってみたら「うちではやったことがないんでねぇ~。ちぃぃぃよっとねぇ~。まあ~。あの~。難しいというか。無理かなあ~。うん~。」とか言われてダメだった・・・。
 

2011年3月15日火曜日

"Excelsior !"

 New York University School of Law LL.M. in International Legal Studies に合格した。

 第1志望だったこの大学院に合格したことは、今回の受験における俺の完全勝利を意味する。

 おそらく、多くの受験生は「何でNYUみたいなある種の中堅校がお前の宿願なのか」と聞きたいだろう。理由は簡単で、そもそも俺が留学しなければならない理由がNYUのTransitional Justiceに関する豊富なプログラムにあったからだ。フルブライトもTOEFLも推薦状もエッセイも俺の凄まじい成績も、全てはこの宿願を達成するための手段であり、NYUの合格は俺のこれまでの戦略が完全に俺の想定通りに機能したことを意味する。
 残る俺の関心事項はHarvardであるが、俺がHarvardを受験していた理由も実はこのNYUに起因する。NYUへの俺の熱意を揺るがすほどの本当の意味での「滑り止め」となる大学院は、HLSを置いて他に存在しない。Northwesternは俺の熱意という点についてNYUと比較になり得ないが、Harvardの合格でようやく俺の熱意を揺るがすことができる「客観的な結果」が生まれる。俺はそれを期待した。
 なので、NYUに合格した段階で今回の受験は実質的に俺の勝利で終わった。BerkeleyとVirginiaは俺にとってはもはや無価値となり、あとは、Harvardが俺の熱意を揺るがす「客観的な結果」をもたらすかどうかだけである。そして、どっちに転んでも俺の勝利は確定しているので、これで受験は終わりである。俺は王手をかけたのだ。
 

2011年3月11日金曜日

「待たせたな!」

 
Northwestern University School of Law LL.M. in International Human Rights に(再び)合格した。

 俺の予想通り、ここが合格通知第1号となった。と同時に、2011年度フルブライト奨学金受給が(ほぼ)確定。2010年度の第3の標的を討ち取り、この段階で2010年度の全ての俺の目標を達成した。

 俺はNorthwesternに「お前に宣言した通りフルブライトを獲って帰ってきてやったぞこの野郎!!」と言ってやりたい。

2011年1月13日木曜日

フルブライト奨学金内定者説明会 in Tokyo

 1月11日に東京の事務局でフルブライト奨学金内定者説明会に参加した。合格発表がまだまだ先の大学が殆どなので全然確定していない情報だが、今年度は俺が含まれる大学院留学プログラムは全員で23名居るらしい。同じプログラムといっても全員年齢もバックグラウンドもばらばらで奇兵隊みたいな感じだ。
 個人的に面白かったのは明石康さんがフルブライト奨学金受給者の用いるJ-1ビザに課せられる「留学後に2年間の自国滞在義務を果たさないとアメリカで就職や居住はできない」という要件を未だに満たしているのか分からないという話だ。実はこの要件には面白い抜け道があり、たとえニューヨークの国連事務局であっても、あくまでアメリカの私企業などではなく、「国連職員」として勤務する場合は形式的にはアメリカで働くことも可能だということだ。またあくまで就労や居住に課せられる要件なので、詳しく経緯は知らないが、アメリカでの就学は可能らしい。
 なので、留学後コロンビア大学へと進み、そのまま国連職員となってしまった明石さんは、(要件を満たしているかは別にして)少なくともフルブライト奨学生として留学した後日本で2年間滞在するという過程をそのまま経たわけではないらしい。これは俺にとっては朗報である。最初から俺は国際機関で就職するつもりだからだ。まあ今のところ日本の博士を投げ出すつもりはないので、アメリカで色々話を聞いててやっぱりそっちがいいなーとか、高田純次みたいなフラフラ感を持ち始めても安心ということだ。今のところ俺はフラフラするどころかガチガチだが。

2010年12月21日火曜日

「お前はもう死んでいる」

 Northwesternへ出すエッセイがいい感じに仕上がっている。まあ作年普通に合格した大学院だし、昨年度の水準のもので既に合格できるものになっている以上、あまりいじっても仕方が無い上に、俺は出願する前からこの大学院には確実に合格する気がする。「お前はもう死んでいる」だ。
 Northwesternは他のLLMと異なり、(MBAなら当たり前なのだが)選考過程に面接があるのが特色である。昨年度は修士論文がかなり佳境に入っていて余裕が無かったので、向こうとの約15時間もある時差を調べずに面接の予約を取ってしまって、結局朝4時30分に面接を受けることになってしまった。だが俺はTOEFLが要求点数に約20点ほど足りていないにも関わらず大逆転勝利を飾る英語面接がなぜかできたのであった。まあ、結局普通に合格しても金が無かったので行けなかったわけだが。
 今年は前年度の教訓を活かしてちゃんと下調べをしておいたので、こんな朝早くにやらなくて良いような時間に設定した。面接の形式はSkypeを使った面接である。俺はこの面接のために作年生まれて初めてSkypeを使い、パソコン用のマイクを3日前ぐらいに購入して面接に臨んだ。こんなんで本当に会話ができるのか半信半疑だったが、全然普通の電話と同じような感じで喋れたので面接を受けてる最中にすごいなあこれと思っていた。パソコン用のマイクはその後VC用のマイクとしてアドパで一時期使われたが、モンハンの音が聞こえない点と他人の生活音が異様に拾われる点が嫌になったので結局1年ほど封印されることとなった。多分今回も終わったらしばらく使わないことになるだろう。
 とりあえずNorthwesternに関しては面接の関係上正月をまたぐことになるので、また気合を入れ直してフルブライトと同じように俺が勝つつもりで臨む。

2010年12月10日金曜日

Certificate of Fulbright Candidacy 送付完了。

 HarvardとNYUにCertificate of Fulbright Candidacyを送付した。既に出願している3校の内、メールで確認を取って送ってくれと返信があったこの2校に先に送ることにした。とりあえずBerkeleyは来週の頭まで様子を見て送ることにする。
 というわけで、これで本命2校に関する出願作業は完全に終了である。Harvardの方はまだコンプリートメールが来ていないが、そもそも進捗状況はアプリケーション作成ページにあるTrack Your Statusで確認しろと願書受領メールに記載されていたので、わざわざ送って来ないのかもしれない。Berkeleyは俺のOutlookの故障なのか2通コンプリートメールを送ってきている。

2010年12月3日金曜日

2011年度フルブライト奨学金 内定

 2011年度フルブライト奨学金受給の内定を獲得した。


 だから俺が勝つって書いたでしょ。とか言ってみる。


 これで2010年度の第1の目標を達成。残るは第3の大学院の合格のみ。

 

2010年11月29日月曜日

LSAC・・・完全に終了

 先日問題にしていたLSACであったが、きっちり対応してくれたらしく、先程 Evaluation complete の表示になった。
 と同時に、一度ウェブサイト上ではUnder Reviewにもかかわらずもう各校に報告済みと表示されていたものが消えた。一体何だったのか・・・。とりあえず締切には間に合いそうである。評価内容は予想通り結局Superiorだった。まあこんなもんはHarvardに出願する人間の大半が同じ評価だろうからあまり意味が無いと思うが。
 とりあえず今後の「留学への道程」は、他の出願校の締切の関係上、遅くても来週報告されるフルブライト奨学金の結果を待って再開することになりそうである。と、油断していたら昨日の朝から風邪を引いてしまっていた・・・。そしてもう今日の昼ぐらいに治ってしまった。1週間ほど待つことになるのに治るのが早すぎる。モンハンへの期待が回復能力を劇的に高めたのかもしれない。

2010年11月25日木曜日

VS伊藤国際教育交流財団 2010

 実は数日前に伊藤国際教育交流財団との面接が東京であった。実は去年も俺は書類審査を通過したのだが、これも進路に関してやることが山ほどあったので、面接を辞退していた。
 伊藤国際教育交流財団についてはこの書類審査に要する願書が修論の要約と英文研究計画書以外全て手書きでしかも分量が多い点が厄介である。多分、単純に作業量だけで心を折られてしまう人も居るかもしれない。「手書き」という点が、多分やったことがある人にとっては思いの他大変だっただろう。文部科学省の長期派遣奨学金も分量は多いが、あっちはタイプできるのでまだましかもしれない。
 肝心の面接内容だが、実はフルブライトの面接内容とそんなに変わりが無い。英語が日本語になったぐらいで聞かれたことはほとんど同じである。この意味で、完全に俺の予想通りの質問内容だった。
 フルブライトの時と違って、当財団の本部が新宿にあったので、長らく懇意にしている山頭火でラーメンを食べるために新宿駅南口まで移動するのに時間がかからない点が個人的には非常に嬉しいところである。山頭火のラーメンはとろ肉チャーシュー麺の塩がうまい。
 とまあ全然関係ないことを書いたが、密かにBerkeleyの出願も月曜日に終わらせたので、これで12月1日締め切りの出願校への対応と、奨学金を得るための戦いという、11月の目的は達した。LSAC(笑)の問題も、各大学から「心配するな!」というメールをもらったので、出すものは出しているわけだし、全ての結果を待つしかない。

2010年11月24日水曜日

LSAC(笑)

 LSACがやってくれた。まだUnder Reviewの状態にも関わらず、さっさと仕事を終わらせるために前年度のレポートを大学に送付するとは・・・。いやーアメリカってすばらしい国だよね。何のためのUnder Reviewなのか全く意味が分からない(笑)
 結局大学に個別のメールを送ったが、これでまた新しいレポート送るために15ドル払えってことになると笑える。