2012年4月7日土曜日

クロノ・クロス 感想

理由は知らないが最近クロノ・クロスのことばっかり思い出すので今更クロノ・クロスの感想を書こうと思う。なんかここ1年?ぐらいにPSストアでゲームアーカイブスとして800円で配信されたらしい。
 さて、クロノ・クロスは発売される前は誰もがクロノ・トリガーという、もしかしたら50年に1本ぐらいの伝説の大作の続編として期待されていたが、蓋を開けてみれば全然違っていたという作品である。それも個人的にはいい意味で違っていた作品だったと思う。今世界に存在するRPGの中には「ファイナルファンタジータクティクス(PS版に決まってんだろ)」、「ヴァルキリープロファイル」、「ゼノギアス」、「マリオRPG」、「クロノ・トリガー」といった全てがおそろしく完成度が高い作品(これらについてもいつか思い出したら感想を書きたい)があるが、クロノ・クロスもまぎれもなくこれらに列する1本である。50年に1本とは言わないが、10年に1本あればいい方の作品かもしれない。BGMも設定もシステムも良いのだが、とりわけストーリーの奥深さについては他の同レベルの作品の中でも突出している。
 めちゃくちゃ簡単にストーリーを説明すると、アルニ村という漁村で育った主人公セルジュが、ふとしたきっかけでほとんど同じだが少し違う世界、いわゆるパラレルワールドへ行ってしまい、やがて両方の世界(HomeとAnother)を行き来する星の命運をめぐる戦いに巻き込まれていく・・・という話である。
 しかし、上記したように、クロノ・クロスは単にクロノ・トリガーの続編というわけではない。もちろん登場する用語や人物の中にはクロノ・トリガーと同一の設定を持った人、物も多くあるのだが、それは「クロノ・トリガーの続きの世界」を意味しない。正確にクロノ・クロスとクロノ・トリガーの関係を描写するなら、両者は互いにコインの表と裏の関係である。クロノ・トリガーが表ならクロノ・クロスは裏である。つまり、同一平面上で決して交わることは無い。クロノ・トリガーをやった後にクロノ・クロスをやると、前作で思い入れのあるキャラクターの扱いに不満を覚える人も居るかもしれないが、それはお門違いである。なぜなら、同一平面上で地続きに交わることが不可能な世界にある以上、クロノ・トリガーで登場した人々はその世界で登場する「同じような人々」とは別のものであり、たとえクロノ・クロスの世界でろくな扱いをされていなくても、それはクロノ・トリガーの世界とは(直接的には)関係ないからである。つまり、クロノ・トリガーで星の命運をラヴォスから救った主要キャラクターは、クロノ・クロスとは決して交わることの無い別の世界で全く問題なく暮らしているということだ。
 より正確に言えば、「コインの表と裏」の関係は事象を単純化しすぎているだろう。クロノ・クロスの設定に従えば、それは単なる二面性ではなくむしろ多面性の中で理解されなければならない。交わることの無い世界が多元的に存在していて、その多くの世界の面のうちの1つの表と裏がクロノ・トリガーとクロノ・クロスだったということである。HomeとAnotherはクロノ・クロスにおけるパラレル・ワールドだが、よりメタフィジカルな次元でクロノ・トリガーとクロノ・クロスもパラレルな関係を持っているのである。この意味で、クロノ・トリガーが時間を超える冒険だったとすれば、クロノ・クロスで重視されているのは空間を超える冒険である。
 このようなクロノ・クロスという裏が生まれたのは、表であるクロノ・トリガーにおいて主人公達が本来滅びるはずだった世界を救って(1つの滅亡という運命を抹殺して)別の救済という運命に書き換えたからである。つまり、ラヴォスから星を救うという行為は、クロノ・トリガーにおける「救済された世界」をもたらすものであったが、同時に「滅びたはずの世界」という、客観的には等価値の正当性を有する可能性を否定するものだった。そしてクロノ・トリガーで否定された可能性は、クロノ・クロスというクロノ・トリガーの裏の世界で自身の正当性を主張したのである。セルジュ達の冒険は、この否定された正当性を主張しクロノ・クロスの世界に滅びをもたらそうとする「クロノ・トリガーで否定された可能性」=滅ぼされたラヴォスの意思=時喰い=サラを「救済」し、滅びの運命の連鎖から解放するために行われた。「救済」というのが味噌で、実は仮にセルジュ達が再び「クロノ・トリガーで否定された可能性」を否定すると、再び「クロノ・クロスの裏」を生みだし、延々と「等価値の正当性を持つ可能性」間の争いが繰り返されることになる。ラスボス戦で暴力によって否定するのではなく、クロノ・クロスという、心に働きかける7番目のエレメントで、否定された可能性の顕現である時喰いを癒す必要があるのは、この問題を解決するためだと考えられる。 これらを含めて、クロノ・クロスにおけるテーマは、やはり共に正当性を持つ表と裏の世界・可能性の関係であり、クロノ・クロスというエレメントが愛だけではなく、愛と憎しみ両方のかけらを必要とするのも、それら一方では正で他方では負とされる事柄の両方が世界にとって共に「正当な」ものだということを示しているのだと思われる。
 俺がクロノ・クロスをプレイしたのは中学校3年生ぐらいの時だったと思うのだが、純粋にクロノ・クロスの世界に引き込まれた。最初のOPに流れる「CHRONO CROSS~時の傷痕~」という現存するRPGのBGMの中で1位、2位を争うほどの素晴らしい音楽にかなり惹きつけられた。この最初に流れるBGMでは様々な10種の楽器の音がやがて1つに交わっていくのだが、今思えばそれはラスボス戦で6つのエレメントが持つ音をクロノ・クロスで1つにする行為そのものを表しているかのように思われる。この一貫した演出は素晴らしいと言わざるを得ない。もちろん「キャラクターが多すぎて1人1人の存在感が薄い」、「戦闘がやや面倒」等の問題もあるのだが、それらを含めたとしても死ぬまでに1度はプレイするべきゲームであることには疑いが無い。

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