2012年10月9日火曜日

義経 感想

 司馬遼太郎の『義経』を読んだ。他の彼の作品も読んでいるのだが、疲れていると短編集ぐらいしか食指が動かないため、別に感想を書く必要も無いと思っていた。
 いつも通り(ウィキペディアで源義経を見ろとは思うが)感想を書くと、源義朝と常盤御前の間に生まれた牛若が、己が源氏の「御曹子」であることを知り、亡き父の復讐のために源義経を名乗り、類まれな才を発揮して、数々の戦いで平家を打ち負かし、やがて滅ぼすまでの話である。
 本作品で面白かった点は2点あり、1つは司馬遼太郎が彼がやがて源頼朝と対立し、都落ちして討伐されるまでの様がほとんど描いていない点と、もう1つは義経の有する集団的な価値観と、当時の武家が有する個人主義的な価値観のギャップである。1点目は俺の彼女も指摘していたことなのだが、この本では古典の問題として国語の教科書やワークブックなどで登場するような「義経が逃げ惑う様」がほとんど描かれていない。焦点は彼という異端者がいかに数々の伝説の戦いで戦功を上げていったかという点にあり、彼が没落している最中の様子などは描かれていない。
 この点、一般的な彼の作風に対する解釈をそのまま適用してもこの理由を説明できそうだが、個人的な見解を述べれば、源義経という異能の生涯は、壇ノ浦で平家を打ち滅ぼした段階で終わったので書く必要が無いのだ。司馬遼太郎も何度も作品の中で「注意深く」言及していた通り、義経という若者は平家への復讐によって成り立っていた。平家への復讐を完遂することが彼の生の意義であった以上、それが達成されてしまえば彼という人物に意義など無い。むしろ作中で何度も言われているように、彼という政治的痴呆を野放しにしておけば、やがて源頼朝と彼の下に構築された鎌倉体制は彼の軍事分野での天才により滅ぼされてしまい、朝廷の傀儡である「新しい平家」に彼が成り代わってしまう。頼朝の政治観以上に大局的な見地からすれば、義経が「新しい平家」に成り代わることは、時代それ自体の要請でもなかっただろう。これは単に日本の歴史だけではなく、世界的な歴史の文脈においてもおそらく同様である。優秀な軍人は戦争が終われば邪魔になる。
 第2の点については非常に面白い解釈が本作品の中では提供されている。司馬遼太郎は戦争の作法の中に個人主義と集団主義との対立を見出しており、現在の日本が「病理」として社会的に言及している集団主義こそが義経の生きた時代にあってはむしろ異端であったと説いている。古来、合戦においては個人がいかに武功を上げるかといった観点で戦闘が行われていたが、これは義経の有する戦闘の価値観とは決定的に異なっていた。彼はあくまで源氏という一団の勝利こそが重要だと考えたと言及されている。個々人が自身の戦功を上げるために勝手に動くのではなく、明確な戦略と戦術に基づいて集団として個人が機能することが戦闘に勝利するためには合理的であると義経は看破していた。これこそが彼を異能たらしめた理由であり、一ノ谷や壇ノ浦で彼を勝利させた要因である。
 これら2点から分かる通り、源義経という人間は時代の異端児であった。しかし、彼が生まれる時代が間違いであったわけではないだろう。彼が現代に生まれていたとしても、合理的な思考法が既に戦争の中で採用されていた現代にあっては、皮肉にも彼自身が有する観念に従って、彼は単に凡庸な個人として集団の中に埋もれてしまっていた。彼はその時代に必要な異端として生き、必要な異端として死んだのだと思う。

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