2010年8月27日金曜日

ソード・ダンス (1)

 刀彌舞姫は鞘から刀を抜き払い、透き通った刀身に見入った。刃紋は乱れの無い直刃。舞姫は自分が手にしている刀が自分自身に似ていると思い込んでいた。しかしそれは自覚された自己欺瞞であり、彼女の宿望の投影された姿に過ぎない。舞姫は自分の中の乱雑で対他的な暴力性を、抑えられないことを知っていた。彼女にとっては暴力こそが自己規範であり、それを客観的に否定するような環境を、これまでの人生の中で持ったことが無かった。
 彼女は浅く肩で呼吸しながら、ゆっくりと刀を鞘に収めた。刀身の光がしゃらしゃらとした音と共に消えていく様を見ながら、彼女は昨日と、そして昨年の4月5日と、同様の諦観を覚えていた。

 舞姫が出勤すると助手の男性が既に研究室に出勤していた。彼の名前を舞姫は覚えていない。「おはようございます、刀彌先生。」「おはようございます。」舞姫はコートを脱ぐと椅子の背もたれに掛け、そのままデスクトップパソコンのスイッチを入れた。「先生、暑くないんですか。今日は最高気温が確か20度を越えるらしいですよ。」舞姫はデスクトップの画面が出ると、画面を埋め尽くしている無数のフォルダの中から、今日精神鑑定を行う殺人者の情報に関するファイルを開いた。殺人者の名前は不死原快楽。3ヶ月前に新潟県柏崎市にある研修所で合宿を行っていた「ゆうゆうダンス倶楽部」のメンバー、85名を日本刀で惨殺した後、市内にある自宅への帰り道に立ち寄った保育園の児童と教師、及びたまたま園芸会で撮られた写真を園長に渡しに来ていた写真屋の男性、そして、たまたま現場を通りかかった人々、合わせて73名の首を斬って殺害し、殺人罪の容疑で逮捕されている男である。
 
 ここまでの情報を5分ほどで閲覧した舞姫は、半ば義務的に今日の彼との面談の時間を確認した。面談予定時間は4月5日午前10時30分。意味の無い作業である。彼女は更に機械的に先日行った精神鑑定の結果のリライトを行うことにした。面談の時間まであと1時間もある。

 10時15分頃に、不死原が警察官に連れられてやってきた。不死原は思ったよりも背が低く、まだ若いと言っていい顔をしていた。彼からはトイレの芳香剤のような香りがしていたが、髪は洗っておらず、髭と同様、伸ばし放題であった。じっと寝惚けたかのような顔で床を見つめている。
 不死原を左右から押さえ込むようにして連れている捜査官の一人は、珍しく舞姫の見覚えのある人間であった。「本日はお世話になります。新潟県警捜査第一課刑事部長の不死原苦です。どうぞよろしくお願いいたします。」「どうぞよろしくお願いいたします。ではこちらにどうぞ。」苦は早足で、他の2人の警察官と引き摺るようにして快楽を連れて舞姫と彼女の助手の後を追った。彼女以外の者は快楽に触れるたびに無表情のまま鼻から息を吐いた。

 不死原苦は不死原快楽の妹であり、快楽を逮捕した張本人である。快楽と苦は、10年以上、彼らだけで柏崎市にある一軒家で二人きりで暮らしていた。彼らの両親は快楽と苦が小学生の頃、交通事故で死亡している。親戚は彼らを自分たちの家に招き入れようとしたものの、親戚の家に何度連れて行っても、数時間すると苦が生家に戻ってしまい、誰が何を彼女に言っても彼女はその行動を繰り返したため、結局兄である快楽が1人で妹の面倒を見つつ、二人きりで生活をすることとなった。数学が得意であった快楽は塾で教鞭を取りながら、給金で苦を養いつつ、高校、大学と通った。彼と苦が18歳になるまで遺族年金が支払われていたし、幸い保険金も下りたので、彼らにはたとえ贅沢ができなくとも、毎日過ごすだけの蓄えがあった。
 快楽は大学卒業後、アルバイトとして勤務していた塾にそのまま就職した。彼は大学の成績も良かったため、周囲の人間は彼が都市の大企業に就職するか、そのまま数学の研究のために大学院に進学するものとばかり思っていた。しかし、彼は当時高校3年生であった妹の苦が、将来新潟県警で勤務することが夢であったことを知っていたため、新潟に残って彼女との生活を続けることを選んだ。

 事件当日、血に塗れた姿で日本刀を手に、自身が刈り取った首を、保育園の小さなグラウンドに足でサッカーボールのように転がして整列させている快楽の姿を見た、たまたま保育園の前を通りかかった主婦は、彼の姿を認めるなり絶叫し、瞬時に抜き放たれた刃によって絶命した。快楽が保育園児に比べて大きな彼女の頭部を、彼が整列させている首の方へ蹴り飛ばそうとしていると、再びたまたま通りかかった老婆が絶叫し、刹那、抜き放たれた刃によって首が切り離され、もう1つ蹴り転がされるボールとして、快楽の足下に目を見開いたまま転がった。この首も蹴ろうとしていると、再び駅から自宅へ帰ろうとしていた就職活動帰りの大学生が通りかかり、切断され、快楽の足下に臥した。快楽は、通りかかる人々が彼の姿を見て驚嘆する度、次々と絶叫→切断→キック→絶叫→切断→キック→絶叫→切断→キックというサイクルで殺人を1時間ほど繰り返した。
 最初は整列されていた頭部までの距離が遠く、また快楽が思っていたよりも人間の頭部が重かったこともあり、つま先でのトゥキックを用いていたが、列が近づいてくるとコントロールを付けるため、足の腹でインサイドキックを行った。時々キックの力が強すぎて、並べられていた頭部が転がされてくる頭部に衝突し、列をはみ出てころころと前に転がってしまい、その度に列をはみ出た頭部を柔らかなインサイドキックで再び列に戻す作業が生じたため、快楽は、中学や高校でちゃんとサッカー部にでも入っておけば良かったと思った。



 

 
 

 

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