2013年9月9日月曜日

1922 感想

 もはやこのブログの「小説の感想」ラベルでお馴染みの登場人物になりつつあるスティーヴン・キングの中編2本が収められた「1922」を読んだ。
 この本の内容をお馴染みの適当あらすじで書くと、この本は、土地の売買に関する言い争いで息子と(老獪な手法で)結託して妻を殺害した男の話である「1922」、癌で余命幾ばくと宣告された男が怪しげな男と悪魔の取引を行い、自分の寿命を延ばす代わりに、自分の親友を不幸にする契約を結ぶ「公正な取引」の2編から成る。原題が"Full Dark, No Stars (「星も無い真っ暗闇」)"であることから分かる通り、暗いと言うより陰惨な話ばかりの本である。原作は2010年に出版されていて、ちゃんとキングが仕事をしていたことに驚かされる。まだ彼女に貸してもらっていないので読んでいないが、(和訳本では)「ビッグ・ドライバー」という中編2本が収められた本とセットである。
 まず「1922」については、キングお得意の殺害プロセスと死体の描写、子供の描き方が見どころである。しかし、俺はこれらの描写以外に、個人的に(ほとんど本編とは関係ないが)「行き場の無い知力」ほど不幸なものは無いという感想を持った。別にこの本だけが起因になっていたり、今に始まったことではないのだが、俺は時々、その半分の部分の素晴らしさに目を瞑り、もう半分の悪い部分だけを見て、「もっと馬鹿で間抜けで人の感情とか考えとか全く分からず、毎日同じことを繰り返して何も考えない人間に生まれてくれば良かった」と考えたり、彼女に話したりして辟易させることがあるのだが、本作のウィルフレッドの描写や設定を読んでまたそのように考えた。
 ウィルフレッドの設定は大恐慌前の1922年、実は不況に差し掛かっていた農業を営んでいる田舎の家庭を支え、学位を持っているわけではないが、読書好きな一見しっかりした知力を有している男である。別にそれほど深く触れられていないし、上記した俺の脱線気味な勝手な感想が無ければ特段触れるような点でもないかもしれないが、この男は使用する目的も有さず、徒に本を通じて知力を高めていったことで(あまりにも無駄な)苦痛を味わうことになったと思う。具体性を持たない知力は中途半端な計画と、中途半端な結果に対する認識と、終わることのない悪夢をこの男に与えることになった。「行き場の無い知力」ほど悪いものは無い。それが無ければこの男も心の中に「陰謀男」を巣食わせることにはならなかったのだ。別の場所で何も考えずに農業を続けられたかもしれないし、何も考えずに妻の言うことも聞けたかもしれない。変な表現になるが、これは感想としては的を外しているが、俺個人にとっては的を得ている感想だと思う。
 次に「公正な取引」については、古いタイプの本来のキングらしい作品が好きな人は好きになると思う。全く新しさは感じないし、結末も展開も全てが誰でも読める内容だが、やはりスティーヴン・キングはこの中編で表現されているような(真っ暗で)「超自然的」な主題を取り扱うことから、未だに逃げていないのだなと思う。この種の作品に「戻ってきた」わけではなく、彼はそもそも「相変わらずそこに居る」ということなのだろう。

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