2011年7月6日水曜日

新選組血風録 感想

 司馬遼太郎の「新選組血風録」を読んだ。俺にとっては「人斬り以蔵」、「燃えよ剣」に続いて3冊目の司馬遼太郎作品である。
 この人の文章の特徴は、「無骨」という点に言い尽くされるだろう。ヘミングウェイのようにできる限り修飾語を排して短文で文章を構成する特徴に加えて、この人は人に媚びるような(分かってくれとこちらに訴えるような)描写はせずに、あくまでこちらの構成的な解釈とは無関係であるかのように1つの情景が現実世界で流れるように文章が書かれている。特に読者は斬り合いのシーンでそう感じるのではないだろうか。
 こういった基本的な文章がもつ性質に加えて、この人の「過去を視る目」というのは個人的には面白い。なぜなら、彼は過去の出来事をそのまま「過去に発生した出来事」として描くのではなく、あくまで現在文章を書いている自分の視点で描いているからである。なので、現在では過去の歴史上の出来事はどのように理解されているのか、現代人の視点から見て過去の出来事をどう解釈すればよいのか、ということが文中で示されることがたびたびある。こういった性質は「歴史マニア」であることを文章を読むために要さない点で有益だろう。一言で言ってしまえばとっつきやすいのだ。
 さて、上に挙げた「燃えよ剣」が土方歳三の生涯を描くことに焦点が合わせられていた作品であったのに対し、今回取り上げる「新選組血風録」は、「新選組」という、1つの「武装集団」(勤皇と佐幕という、相対立する2つのイデオロギーの表れが攘夷志士と新選組であるとするならば、「武装集団」という言葉は表現するに足りないが)を巡る様々な出来事を描いた物語である。今は歴史ブームのおかげでわざわざ語る必要が無いかもしれないが、少なくとも1つの「佐幕」というイデオロギーを持って結成された「武装集団」ではあったが、その内に所属する人々は政治的というよりは「人間臭い」思想に従って行動していたということを描き出した点で、この作品には価値がある。幕府を支える治安維持組織というのは歴史の教科書的な理解であり、局長の近藤勇は「侍になりたい」という純粋な野望ゆえに新選組を作り、土方歳三は侍を体現する新選組という組織の存続に全てを賭けて死んだのだ。そしてこの「武装集団」を構成した人々も、この組織で権力を得るために「政治」を行った谷三十郎や、反対に権力に関心の無い沖田総司や井上源三郎、この組織を自分の思想のために利用しようとした伊藤甲子太郎、小つるとの安寧欲しさに怯懦に陥ってしまった鹿内薫など、1人1人自分の思いを持った人間が1つの「武装集団」の中に居たのだ、ということが描かれている。
 俺はキングの作品の感想を書いた時に何度か述べたように、きちんと人間を描こうとしている物語が好きなので、そういった観点からは「胡沙笛を吹く武士」や「沖田総司の恋」などについて語るべきかもしれないが、物語として真っ直ぐな美しさを持っていたのは「菊一文字」だと思う。キャラの立ち具合からすればずるいと言われてもおかしくないほどの性質を持った人物として描かれていた沖田総司故に「菊一文字」で描かれているような、「これが侍を描いた物語だ」と言えるような「真っ直ぐ」な展開が生まれるのかもしれない。なぜ彼があらゆる表現媒体で常に美青年として描かれなければならないのかということは、司馬遼太郎の作品を読めばなんとなく分かる。

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