2011年9月19日月曜日

鍋が食べたくなってきた in New York

 何かNew Yorkは急にすごく寒くなってきた。つい先日まで街を薄着の男女や性別不明の人々がうろつきまわっていたはずだったのだが・・・。何かこっちに来てから精神と時の部屋に入っているかのごとく、時間の経ち方が不明瞭になってしまったので実は長らくNew Yorkに暮らしていた人々にとってみればもう普通にこれぐらいの気温になって当然の時期なのかもしれない。そして俺は順当に鍋が食べたくなってきた。
 New Yorkという場所はこういう時、こういう日本人にとって便利である。先日行ったパールなんたらとかいう店もそうだが、小型の鍋を買うのにそれほど苦労しそうにない。しかももうおなじみになったサンライズなんたらとかいう店で、簡単に日本で売られているものと同様のごましゃぶとぽんしゃぶのたれや、白菜などの野菜も購入できるし、最近は全然日本と暮らしている時と同じような生活になってしまった。朝飯なんかは納豆まで食っていやがる・・・。これはこれで良いのだが、他方で外国に居るのに日本と同じような生活で、時折「あれ?俺ってアメリカの『文化』とやらを学ばないとダメなんじゃなかったっけ?納豆と味噌汁食ってるけど」という感覚を抱く。まあ今更シリアルとピザ食って生活しろって言われてもやらないが。今のところアメリカの食生活から学んだことは「外で食う場合は割高になるのを我慢しろ。牛丼屋なんて存在しねえ。味も妥協しろ。店員の態度も妥協しろ。店の使い勝手も妥協しろ。まあ、何だ・・・諦めろ」ぐらいである。とりあえず俺の見解だと、アメリカという国はあらゆる場所で極端な格差が発生していて、俺が見ている食文化というのはかなり下の方にあるものでないだろうか。上を見るのは今じゃなくもっとおっさんになってからということらしい。うん、そう思うことにしよう!
 というわけで、「上の食文化」が見えないただの引き籠りは、何の問題もなくアメリカでも日本と同様に鍋を食って勉強してモンハンをすることにした。将来アフガニスタンとかスーダンとかで生活するようになって日本食が食えなくなってモンハンができなくなったらどうするんだという気もするが、日本食が普通に手に入ってモンハンもできるんだからしょうがない。

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