2015年5月25日月曜日
2015年5月10日日曜日
幕末 感想
司馬遼太郎の「幕末」を読んだ。最近読んだ短編集の中では一番良い。全然本を読んでいないのだが。
いつも通り適当にあらすじを書くと、1860年に発生した桜田門外の変を皮切りに、幕末の日本で発生した倒幕運動の中で行われた暗殺事件を取り上げた作品である。文脈が共有されているので、斎藤一など、自然と司馬遼太郎の他の作品で取り扱われた登場人物が出てくる。
司馬遼太郎が言うように、暗殺という行為は、ほとんどの場合は無駄に終わる。世直しが目的でも全然世の中はそれだけで良くならないし、政権転覆が目的だったとしても全然「転覆」と言えるまでの変化が起こらなかったり、転覆した直後にまた別の勢力に転覆させられたりする。しかし、日本でも他の失敗国家の歴史が抱えているような血で血を洗う殺し合いが幕末に発生していた。特に京都はやばい。テロ集団が雑居していたようなものである。当時の住人からすれば今の観光地の姿はあまり想像できないと思う。
さて、本短編集の中で最も印象に残ったのは初代総理大臣となった伊藤博文の若かりし頃を描いた「死んでも死なぬ」と、桜田門外の変から8年後、幕末も幕末にイギリス行使を襲撃した三枝蓊らを描いた「最後の攘夷志士」であった。前者と後者は時代の変節というものが残酷であることをうまく対比させている。前者については、維新を成す殺人として正当化され、殺人者どころか権力を担う者となったのに対し、後者については謀反人として斬首され、「永遠の罪」を背負わされている。前者については、日本の初代総理大臣が歴とした殺人者であったことを描いている点でも面白いのだが、この対比が1860年以後の約10年間の日本の激変をうまく表現していると思う。「ほんの数ヵ月前なら、かれらは烈士であり、その行為は天誅としてたたえられ、死後は、叙勲の栄があったであろう。」という一文が、三枝ら報われなかった維新志士を表している。血に塗れて誕生した大日本帝国は、その後50年以上外国人と自国民の血を洗ったので、次は宇宙人とかゾンビとかの血を洗うようにならないで欲しいと願うばかりである。
いつも通り適当にあらすじを書くと、1860年に発生した桜田門外の変を皮切りに、幕末の日本で発生した倒幕運動の中で行われた暗殺事件を取り上げた作品である。文脈が共有されているので、斎藤一など、自然と司馬遼太郎の他の作品で取り扱われた登場人物が出てくる。
司馬遼太郎が言うように、暗殺という行為は、ほとんどの場合は無駄に終わる。世直しが目的でも全然世の中はそれだけで良くならないし、政権転覆が目的だったとしても全然「転覆」と言えるまでの変化が起こらなかったり、転覆した直後にまた別の勢力に転覆させられたりする。しかし、日本でも他の失敗国家の歴史が抱えているような血で血を洗う殺し合いが幕末に発生していた。特に京都はやばい。テロ集団が雑居していたようなものである。当時の住人からすれば今の観光地の姿はあまり想像できないと思う。
さて、本短編集の中で最も印象に残ったのは初代総理大臣となった伊藤博文の若かりし頃を描いた「死んでも死なぬ」と、桜田門外の変から8年後、幕末も幕末にイギリス行使を襲撃した三枝蓊らを描いた「最後の攘夷志士」であった。前者と後者は時代の変節というものが残酷であることをうまく対比させている。前者については、維新を成す殺人として正当化され、殺人者どころか権力を担う者となったのに対し、後者については謀反人として斬首され、「永遠の罪」を背負わされている。前者については、日本の初代総理大臣が歴とした殺人者であったことを描いている点でも面白いのだが、この対比が1860年以後の約10年間の日本の激変をうまく表現していると思う。「ほんの数ヵ月前なら、かれらは烈士であり、その行為は天誅としてたたえられ、死後は、叙勲の栄があったであろう。」という一文が、三枝ら報われなかった維新志士を表している。血に塗れて誕生した大日本帝国は、その後50年以上外国人と自国民の血を洗ったので、次は宇宙人とかゾンビとかの血を洗うようにならないで欲しいと願うばかりである。
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