2019年2月27日水曜日

Fantôme 感想

 先日とある事情で合計30時間ぐらい拘束される状態になった際に宇多田ヒカルのアルバムである「Fantôme」を20回ぐらい狂ったように繰り返し聴きまくる機会があった。「ファントーム」というタイトルはフランス語で幻や気配を意味するらしい。俺は1曲目の「道」、8曲目の「荒野の狼」、11曲目の「桜流し」が好きであるが、このアルバムの曲はどれも曲が進んでいくほど「展開」しているような感覚があり、それを確認するために狂ったように聞きまくったのだと思われる。あーこんな調子でどんよりしていくのかと思うと複雑になったり飛んだり跳ねたり進んでいる感じ。
 1曲目の「道」については上記リンク先に書かれているようにどう考えてもこれがいきなりアルバムの軸になっている。この曲は居なくなった人間が「幻」や「気配」として自分と共にあるというこのアルバムのタイトルそのままをそのまま歌っている。アルバムの1曲目としてもこの先の拡がりを感じさせるような作りになっていて完璧な印象を受ける。
 8曲目の「荒野の狼」はヘッセという俺が全く関心を持っていない作家の作品名から取ったらしいが俺の関心と全く関係なくサビに移る前のぼよよ~んとした部分から上述した「展開」を感じる曲。この部分の「展開」については俺の頭の中の映像としては実は複雑になったりしているというよりそのまま直進して欲しい部分に移動したような感じである。菩薩のような歌詞も欲しいものがそのまま来たという感じ。
 11曲目のヱヴァQのテーマであった「桜流し」だが、このアルバムのテーマというより俺が述べている「展開」が最後まで進展した曲だと思われる。CMなどで使われていた一見するとサビみたいな綺麗な音の氾濫みたいな部分は、実は曲の最後の最後の部分であり、そこまでいかないとこの「展開」を味わうことができない。キングダムハーツ系列のテーマ曲と同様に、本編を直接描写したようなわざとらしい歌詞や描写がほぼ存在しないのになぜかその本編の曲としてこの曲以外に考えられない作りになっている。この曲は別に構成も整っていない感じで俺の頭の中の映像としては鋭利なぎざぎざがゆっくりと自暴自棄に拡大して「展開」しているような感じなのだが、それでもなぜか整っているという意味で「完成度」が高いとか思わされてしまう。美しい暴力のような。