2010年7月30日金曜日

人事を尽くして天命に聴う

 フルブライト奨学金の出願書類を提出した。

この世界に何かしらの運命が存在するなら、俺にアメリカで勉強させろ。

2010年7月28日水曜日

死亡フラグが立ちそうな台詞

 こんなことをやってる場合じゃないが死亡フラグが立ちそうな台詞・・・。

(1)「ここは俺にまかせて・・・!お前達は先に・・・・!!」

この台詞に込められた意味は、①俺は主人公じゃない、②俺はラスボスとは戦えないただの当て馬である、③俺はこれから高確率で幽霊以外のポジションで物語に参加できない、④俺はここでやられる。

(2)「何だあの~は!!!」

「何だあのモビルスーツは!」、「何だあの反応は!!」「何だあのばかデカイ気は!!」この台詞に込められた意味は、①俺はモブキャラである、②俺はこれから主役を引き立てるための材料にされる、③俺はここでやられる。

(3)「こいつ・・・!急に動きが・・・!?」

この台詞に込められた意味は、①これから相手側のアクションシーンが誇大に描かれる、②これから俺は全身全霊を持って相手側のすごさを解説する、③俺はとりあえずこの台詞の後はやられないといけない。

 自分が主人公以外のキャラだったらとりあえず黙っておいた方がいいかもしれない。

2010年7月26日月曜日

気に入らないウカムルバスの狩り方

 俺はウカムルバスに閃光玉を投げまくってハメ殺す狩り方が嫌いである。アドパをやって初めて気付いたが、実に90%のプレイヤーが当たり前であるかのようにウカムルバスを閃光漬けで狩ろうとするのだ。閃光玉が無くなったらサインとか音で知らせて、他のプレイヤーがまた次の「閃光係」になる・・・。
 どっかの攻略本とかがこういった狩り方を推奨してるのだろうか?まあどんな狩り方をしても人の勝手なので、俺は何も言わないが、ただ俺はその「当たり前でしょ?」みたいな「閃光係」には協力しない。「閃光係」みたいなことをわざわざやるくらいだったら悪魔猫でも雇用すればもっと楽になるんじゃないの?と、勝手に思っておく。

2010年7月21日水曜日

「ドゥー・ユー・アンダスタンンンンドゥ!」

 またジョジョから学ぶ合コンの心得9パターンという謎の記事を発見した・・・。

「『ブッ殺す』・・・そんな言葉は使う必要がねーんだ。なぜならオレやオレたちの仲間は、その言葉を頭の中に思い浮かべた時には! 実際に相手を殺っちまってもうすでに終わってるからだッ! だから使った事がねェーッ! 『ブッ殺した』なら使ってもいいッ!」

長いよ。ちなみにジョジョについては「あーまたジャンプの後の方で濃いー漫画やってんなあ」ぐらいです。

2010年7月20日火曜日

「あー滲んでる滲んでる。滲んではるわぁー」

 遊んでもいいからできるだけ「俺って今血の滲むような努力してるかもしれんなあああ!!」って思うような時間をできるだけ取る。俺はまだまだ頭が良くなる。もう現在この一瞬に勉強してる時間があればそれで良い。

2010年7月16日金曜日

「勲章全部取っているのに何でクックの記録が無いんですか?」

 「え・・・だってイャンクックの訓練は2ndの時にやってて、引き継がれないんで。」ギルカのコメントに真面目にやってるって書いているのに、昨日初めてあんたチーターじゃないの?と疑われた。理由は「2ndから引き継いだ場合、2ndでやっていた訓練記録は全部引き継がれない」というルールがあるからである。
 もう覚えていないが、俺は2ndの時点でイャンクックだけ全武器でクリアしていたらしい。それ以降は完全に彼(彼女?)の存在は無視。訓練所TAに一生懸命になってる人とは価値観が違うらしく、俺は全然訓練所に関心が無い。モンハンはモンスターを狩るゲームなのでモンスターを狩れればなんでもいいよ。
 まあヘタクソはヘタクソだなーと思うし、上手い奴は上手いなーと思うが、実際の所は俺はこのゲームにモンスターを狩ることしか期待していないらしい。目標が無い分そもそも満たす器が無いということで、満たすことも満たされることも無く、それ故に飽きることも無いらしい。

2010年7月13日火曜日

「情けないモビルスーツと戦って、勝つ意味があるのか!」

 新ZRが到着した。持ってきたバイク屋の人の話だと、今日本で出回っている原付の中で最高の原付らしい。リモコンがオミットされたのは寂しいが、後は全体的にパワーが上がってる感じである。何より、音が違う。前のZRは少し粗い感じの音がしていたが、今回のZRは新車ということもあってかなり重厚かつ真っ直ぐな音がする。
 個人的に、自分の手足となる道具はかっこいいと思えることを要件としている。いくら性能が素晴らしくても感情移入できないものを使っているとテンションが上がらない。
 だからブランカも、ザンギエフも、ダルシムも、エドモンド本田も俺は使わない。リュウやケンじゃないとテンションが上がってこない。ガイルはぎりぎり使う。

2010年7月12日月曜日

無責任な責任論

 民主党が参議院議員選挙で目標としていた議席数を獲得できなかったことを受けて、早速日本お得意の無責任な責任論をメディアが報じまくっている。管首相は確かに消費税の議論を選挙までの短い期間で行うという愚行をしでかしたが、まだ鳩山内閣が総辞職してから1ヶ月程度しか経過していないのに、責任を取って止めろと言われても・・・。
 彼が今辞職して何かしら国政を動かすに当たってメリットがあるのだろうか?ただでさえ日本の総理大臣が頻繁に交替する点で、世界の先進国の中でも日本は「特異」な存在で、トップ同士が信頼関係を築くにも築く前に交替してしまうことが批判されている。そもそも「内閣総理大臣」の働きは1ヶ月程度で評価できるものではないだろう。バイトに遅刻したファミレスの店員を馘首するのとは訳が違うのだ。
 もし今のタイミングで内閣総理大臣が今回の選挙の「責任」を取って交替することを主張するのであれば、今のタイミングで内閣をもう一回ぶっ壊すことのメリットと一緒に論じてもらいたい。トップの人間が失敗したらとりあえず「責任を取って辞めろ」という浅はかな議論をする限り、日本のメディアは「マスゴミ」と呼ばれ続けることになるだろう。誰かの失敗を「責任」という言葉で糾弾するのであれば、せめて糾弾するに足る理由とその後に用意されるべき対応策を明確にしていただきたい。それが責任を論じる者の「責任」である。
 

2010年7月7日水曜日

ゼェェッッッットォォアァァアーーーーーーーールッッッ!!!!!

 俺のZRがついにぶっ壊れてしまった。高校2年生の時に通っていた高校の先生の目を(真面目な学生面を演出することで)欺いて原付免許を取得し、そこからつい数日前まで乗ってたわけだから、もう8年ぐらい俺を乗せたことになる。まあ、原付にしてはそこそこ往生したのではないだろうか。
 来年どうなるか未定だが今住んでる場所的にモーターが付いた乗り物が無いと不便極まりないので、早く次の原付を入手しなくてはならない。そもそもおばあちゃんに買ってもらったものということもあるので、今年壊れるというのもなんとなく暗示があったのかもしれない。
 ・・・今年に入って俺には不幸なことばっかり起こっているような気がする・・・。あ、そうかそうか。そう言えばまだ「良いことばっかり起こっているような気がする」って俺の人生で感じたことが無いわけだから、そういう意味ではずっと浮き沈みなしに直線が続いているのか。むしろ不幸な事件が発生しない方が不自然ってことで。
 それよりも自賠責を更新したばっかりでまだ3年分残っているんだが・・・。そしてNorthwesternにぼったくられたデポジット(意味不明の習慣)の7万円が今ボディブローの様に効いて来るんだが・・・。

2010年7月6日火曜日

「かまきりだぜぇ!」

 今日通勤電車を降りようとして乗降扉に向かったら前を歩いている初老の婦人の後頭部に赤ちゃんかまきりが居た。老婦人の羞恥心よりも赤ちゃんかまきりの生命の方が要保護性が高いと判断したため、そっとしておいてあげた。

2010年7月5日月曜日

GHANGEについて

 CHANGEは2010年4月11日に発売されたUVERWorldの新しいアルバムであるLASTに収録されている曲である。もともとはGOLDというシングルのカップリングだった。個人的にEndscapeを聴いて以降彼らのにわか(というか狂信的に彼らを全肯定しない)ファンになり、今までのアルバムに収録されてきた曲を聴いてきたが、今回のアルバムが個人的に一番好きかもしれない。じゃあ4月に買ってやれよと思われるだろうが、個人的に金欠で死にそうだったから仕方がないのだ。
 特にTAKUYA∞の歌詞を作る才能、というか日本語が生み出す情景を捉える才能に舌を巻いたのはGHANGEという割と後半にある曲を聴いた時である。ガンダムのタイアップということでどうせ「そういう感じの」曲なんだろ、という先入観を持って聴いている人も多分多いだろう。しかし俺はこの曲がガンダムとかに関係なくGOLDやGO-ONよりよっぽど優れていると感じる。
 具体的に言うと、後半の「簡単に裏切る様を見せりゃ、防衛本能で無意識に 「痛い思いはしたくない」と楯突きゃしないだろう」という部分が、この曲全体が持つ主体の多層性と不安定な「変わる」心境を際立たせている。登場する者を裏切る者と裏切られる者に分けて考えれば、裏切った側が最終的には関係性を自分の中から断ち切ることができず、そういった意味での「弱さ」や「恐怖」が浮かんだことが逆説的に否定したはずの人間性を肯定することとなり、心境の変化という感慨を生んだと解される。
 しかし、他方で裏切った側に問いかけている「僕」については、大きく分けて3通りの主体を想定できる。1つは超関係的な第3者が裏切った側に生じた上述した意味での「弱さ」を変化と捉えているという解釈であり、もう1つは裏切られた側が、裏切った側の逆説的な真実を看破しつつ歩み寄るようになったという意味で関係性に変化が生じたという解釈である。そして第3に、「僕」は裏切った側と裏切られた側を包括する概念であり、自分で自分に歩み寄っているという理解である。
 さらに、後半にある自分を取り巻く環境や状況が、そもそも自分を裏切っていると解釈できる「そんなこと吐いてる人たちの~」=本当は「弱さ」だと認識できている自分の姿の投影は、単に裏切られた者と裏切った者の二者間の関係性のみならず、それを取り巻く「裏切った世界」との関係を想起させる。
 しかし、こうして看破する(される)真実を前提にしても、最後に訪れる「人らしさを感じてた」という極めて個人的な心情は、かなり現実的で、謙虚な結論だろう。彼が自分の愛を犠牲にして成り立っているというネガティブだがしかし自己充足的な心情によって構成した世界は、取り巻く環境そのものの変化というドラスティックな変容はもたらさず、ただ自分を捉え直す(捉え直してもいいかもな程度の)という、見抜かれた(見抜いた)真実の鮮やかさに反比例するような醒めた感慨であった。
 個人的に素晴らしいと思ったのは、このような歌詞にCHANGEという現在の世界においてはどっかの大統領のせいでかなり前向きに捉えられがちな事実を、極めて謙虚で現実的な程度に留めて理解できている点である。曲調も激動とかと比べると若干抑え気味だが、この歌詞にはこの曲調でいいと感じる。

2010年7月2日金曜日

何・・・・だと・・・!?

 なぜかアラビア語みたいな英語がちゃんと読めるようになってきた・・・・。