CHANGEは2010年4月11日に発売されたUVERWorldの新しいアルバムであるLASTに収録されている曲である。もともとはGOLDというシングルのカップリングだった。個人的にEndscapeを聴いて以降彼らのにわか(というか狂信的に彼らを全肯定しない)ファンになり、今までのアルバムに収録されてきた曲を聴いてきたが、今回のアルバムが個人的に一番好きかもしれない。じゃあ4月に買ってやれよと思われるだろうが、個人的に金欠で死にそうだったから仕方がないのだ。
特にTAKUYA∞の歌詞を作る才能、というか日本語が生み出す情景を捉える才能に舌を巻いたのはGHANGEという割と後半にある曲を聴いた時である。ガンダムのタイアップということでどうせ「そういう感じの」曲なんだろ、という先入観を持って聴いている人も多分多いだろう。しかし俺はこの曲がガンダムとかに関係なくGOLDやGO-ONよりよっぽど優れていると感じる。
具体的に言うと、後半の「簡単に裏切る様を見せりゃ、防衛本能で無意識に 「痛い思いはしたくない」と楯突きゃしないだろう」という部分が、この曲全体が持つ主体の多層性と不安定な「変わる」心境を際立たせている。登場する者を裏切る者と裏切られる者に分けて考えれば、裏切った側が最終的には関係性を自分の中から断ち切ることができず、そういった意味での「弱さ」や「恐怖」が浮かんだことが逆説的に否定したはずの人間性を肯定することとなり、心境の変化という感慨を生んだと解される。
しかし、他方で裏切った側に問いかけている「僕」については、大きく分けて3通りの主体を想定できる。1つは超関係的な第3者が裏切った側に生じた上述した意味での「弱さ」を変化と捉えているという解釈であり、もう1つは裏切られた側が、裏切った側の逆説的な真実を看破しつつ歩み寄るようになったという意味で関係性に変化が生じたという解釈である。そして第3に、「僕」は裏切った側と裏切られた側を包括する概念であり、自分で自分に歩み寄っているという理解である。
さらに、後半にある自分を取り巻く環境や状況が、そもそも自分を裏切っていると解釈できる「そんなこと吐いてる人たちの~」=本当は「弱さ」だと認識できている自分の姿の投影は、単に裏切られた者と裏切った者の二者間の関係性のみならず、それを取り巻く「裏切った世界」との関係を想起させる。
しかし、こうして看破する(される)真実を前提にしても、最後に訪れる「人らしさを感じてた」という極めて個人的な心情は、かなり現実的で、謙虚な結論だろう。彼が自分の愛を犠牲にして成り立っているというネガティブだがしかし自己充足的な心情によって構成した世界は、取り巻く環境そのものの変化というドラスティックな変容はもたらさず、ただ自分を捉え直す(捉え直してもいいかもな程度の)という、見抜かれた(見抜いた)真実の鮮やかさに反比例するような醒めた感慨であった。
個人的に素晴らしいと思ったのは、このような歌詞にCHANGEという現在の世界においてはどっかの大統領のせいでかなり前向きに捉えられがちな事実を、極めて謙虚で現実的な程度に留めて理解できている点である。曲調も激動とかと比べると若干抑え気味だが、この歌詞にはこの曲調でいいと感じる。
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