2011年9月25日日曜日

Columbia Universityで「南南協力」について聞く

 日本の指導教官に入った方がいいとか言われていたUN Forumというメーリングリストで、Columbia University のSIPA(School of International and Public Affairs)でUNDPで働いている人が「南南協力」について講演をするという情報を入手したので、また新しいJargonを作りやがってと思いながら行ってきた。本当に国連という所は素晴らしい官僚組織である。
 実はNYUでもColumbia Lawの科目を一部履修できるので、俺は最初取ろうかと思っていたのだが、時間的な理由で無理だった。NYUとColumbiaはまあまあ離れていて、地下鉄だと30分ぐらい、マンハッタンの南から北へ上がるルートである。しかも出る場所によっては山道みたいな所(テイルズとかスターオーシャンで良くこんな感じの場面繋ぎエリアがあったよねっていう場所)を登っていかなければならないので、帰りは暗くなっていて嫌な感じだった。
 Columbiaだが、まあ普通の大学だった。NYUも人が多いが、Columbiaも人が多い。人種も様々である。SIPAでは日本人の組織みたいなものがあるらしく、講演会には(多分)日本人らしき人々が沢山居た。俺はもう開発学の修士を取っているので今更SIPA自体に関心は無い(Ph.D.もあるが少数精鋭)が、留学先に日本人が居なくてさびしいかもしれないと思っている人はとりあえずSIPAに行けばいいんじゃないだろうか。多分ここはハズレということは無いだろう。
 さて「南南協力」についてだが、簡単に説明すると今まで「南北協力」で、北(先進国)→ 南(発展途上国)の流れで開発支援していたのを、今後は南(発展途上国) → 南(より未発展な発展途上国)という流れで支援しましょうというJargonである。こうすると、理論的には北(先進国)の価値観や理念でコントロールされず、発展途上国がいわゆるOwnershipを持ったまま支援できるだとか、「南南協力」の当事国が隣国で歴史的・文化的なバックグラウンドを部分的にでも共有していた場合、北のそういったバックグラウンドを理解していない国がやるよりもよりスムーズに支援と能力強化ができるという点でメリットがあると言われている。まあ発想自体はごくごく自然で、発展途上国が発展して余裕が出てきたら考えられそうな戦略だなと思う。特にOwnershipは近年の国際協力における流行語大賞をあげても良いぐらい重要視されている概念なので、先進国が主役にならない開発支援の枠組みを考えるに当たって有用だとは言える。
 この概念について、例えばやばいやばいと言われながらも紛争研究のケーススタディに事欠かないアフリカにおける紛争は減少の傾向を見せているので、今後さらに平和構築が有効に機能して紛争後社会が安定し、開発が進めば「南北協力」より「南南協力」が開発援助において主流になる可能性もある。講演していた人が言っていた通り、この「南南協力」はまだ研究が進められていない新しいJargonなので、今開発系の学位課程修士1年とかで「やべーまだ何も修士論文の中身考えてねーけどそんなことよりさっさと修論終わらせて社会人になるまでネトゲでもしよう」とか言う人は、とりあえずこれについて書けば論文には「今まで先行研究はこの視点を見逃していた」、「まだあまり学会では触れられていない」とか定番のセールスポイントを書けて、中間発表とかで発表者も指導教官も聞いている人も困らないだろう。

2011年9月23日金曜日

Granito: How to Nail a Dictator 感想

 何かTransitional Justiceの授業の一環として、Granitoという映画を観てこいとかメールが来てたので行ってきた。NYUの近く(歩いて2分ぐらい)には場末の場末みたいな、キングの小説に登場してきそうな小さいシネコンがあるのでこういう時に便利である。
 一応俺はこの分野の専門家の卵の卵の卵・・・・すなわちモンスターハンターなのでこの映画について述べておく必要があるだろう。この映画は中央アメリカに位置するグアテマラ(コーヒーで有名)で、1954年に転覆された政府に代わり生まれた親米独裁政権の手で20万人の国民が虐殺され、近年になってようやくこの虐殺に加担した政権のトップ達を「戦争犯罪者」として裁くための文脈が国際的・国内的に形成されてきたことを追ったドキュメンタリー作品である。本作品は3部構成から成っており、第1部が内戦と虐殺の経緯、第2部が戦争犯罪法廷を開くまでのプロセス、第3部が今後の展望について述べられている。
 この映画の見どころについて、Naomi Roht-Arriazaってこういう人だったんだとか、エンドクレジットに何かNYUでTransitional Justice教えている先生の名前とかが載っていたなどといったマニアックな点は置いておいて、「20万人」といった抽象的な数字では語ることのできない被害者やその遺族の思いや、アメリカという大国の責任を描いている点にあると思われる。
 冷戦期の親米独裁国家樹立→内戦の典型事例の1つがグアテマラである。以前スネ夫とジャイアンの例で述べた通り、アメリカというジャイアンは、やたらスネ夫を作りたがる傾向がある。とりわけ9.11までは、親米である限りアメリカはこういった独裁政権という、自分が大層に掲げている自由民主主義や人権といった理念に反する政権があっても見逃してやるというダブルスタンダードで動いていた文脈があり、作者及び被害者が指摘する通り、このグアテマラにおける虐殺は、親米独裁政権を資金的に援助していたアメリカにも多大な責任があるだろう。ニカラグア事件のように現政府 v. 反政府組織(アメリカの支援付き)という構造があって、ニカラグア政府が国家としてアメリカは国際法違反だとか言えばいいのだが、グアテマラのケースは、既にアメリカの支援によって政府が転覆されて、その政府が自国の国民を虐殺しているので、現政府(アメリカの支援付き) v. 国民(反政府組織)という構造になる。こうなるとここで言う「国民」は国際法の主体にならないのでアメリカの国際法違反を直接訴えることはできず、せいぜい米州人権裁判所に訴えるか、国連の人権委員会なりがRecommendationsをグアテマラにするかどちらかが取りうる策であった。しかし、法律論的にはどちらも強制執行能力(やるとしてそもそもグアテマラを支援しているアメリカがやるのだろうか)があるのかという点で問題があり、また国際政治的には冷戦期で他の国連機関と同様、人権委員会(系)といった組織が十分に機能していたのかは不明な状況がある。結果として、クソのカスみたいな理由(一部の虐殺は政府と癒着していた地主があの土地に住んでいるマヤの人々が邪魔だから「反政府組織」ということにして排除してくれと訴えた結果行われたらしい)で20万人が殺されてしまった。
 さて、作品の内容であるが、かなり克明に1982年という、グアテマラがジョージ・オーウェルの『1984年』のようなろくでもない時代だった頃の状況を映し出している。作者は当時自作のドキュメンタリー映画のためにこの国を取材しており、その際に独裁政権の軍と反政府組織両方に取材することに成功している。なので、反政府組織狩り中の政府軍のヘリに同乗して取材していた作者に、現代のグアテマラで元反政府組織の一員が「あの時ヘリのパイロットを撃ってたらあんたは死んでたね。はは」とか言うシーンもあった。こういった死が隣り合わせに存在していた現実を描いたシーンは他にもあり、例えば政府軍が虐殺の対象者を名簿を持ってチェックする場面で、「この名簿に名前が載ってたらあいつは死んでた。はは」とか普通に言っててああこれが当時のグアテマラだったんだなということが分かる。
 また、タイトルのGranito(砂の粒)の意が表す通り、この虐殺の問題に内戦中、内戦後の現代で戦い続ける「砂の粒」のような一人ひとりの個人の役割が映画中では強調されている。「法外科医、国際弁護士、遺族、現地人権活動家など、これらの人々は一人ひとりでは小さな「砂の粒」だが、協力することで大きな力を生み出すことができる」という教科書のようなメッセージがこの映画には込められているだろう。カンボジアのクメール・ルージュを対象とした戦争犯罪法廷と同様に、グアテマラの事例でも当時虐殺を命じた軍政権のトップ(これぞ悪人といった男である)はかなり老齢になっているようなので、Transitional JusticeにおけるProsecutionにいつもつきまとう「時間との戦い」が今後の問題である。何せ虐殺の証拠(Command Responsibilityを問うための当時の作戦や具体的な指示等)は秘匿・消去されている場合が多いのだ。目的達成のためには一人ひとりのスペシャリストの協力が不可欠となる。この作品では彼らがどのように協力するのかということが、特に2部において描かれている。
 他方で、「教科書のような」と述べたとおり、若干作品構成はくどくて(作者の個人的なメッセージやらが強いのはいいのだが、もう少し「ドキュメンタリー」っぽくして作者が何か虚空を見つめたりフィルムを見つめてたそがれたりする描写を削ってくれるとありがたい)少し鼻につく感じはあったと思ってしまった。小中学校の人権教育の教材としては十分な役割を持っているが、2時間ほど観客をひきつけるような面白さを持っていたかと言われると、それは持っていないと言わざるを得ない。事実俺の前の席でこの映画を観ていた女の子は途中で寝てしまって、隣のラッキー(女の子がどんな女の子か見てないのでラッキーかどうか不明)な男に寄りかかっていた。まあこういった鼻に付くメッセージ性というのは、作者のグアテマラという国やその国に住まう人々に対する思いの表れと解釈すべきなのだろう。グアテマラの虐殺という事例に関心のある人が勉強目的でTSUTAYAで借りて観る映画ということで良いのではないだろうか。

2011年9月19日月曜日

鍋が食べたくなってきた in New York

 何かNew Yorkは急にすごく寒くなってきた。つい先日まで街を薄着の男女や性別不明の人々がうろつきまわっていたはずだったのだが・・・。何かこっちに来てから精神と時の部屋に入っているかのごとく、時間の経ち方が不明瞭になってしまったので実は長らくNew Yorkに暮らしていた人々にとってみればもう普通にこれぐらいの気温になって当然の時期なのかもしれない。そして俺は順当に鍋が食べたくなってきた。
 New Yorkという場所はこういう時、こういう日本人にとって便利である。先日行ったパールなんたらとかいう店もそうだが、小型の鍋を買うのにそれほど苦労しそうにない。しかももうおなじみになったサンライズなんたらとかいう店で、簡単に日本で売られているものと同様のごましゃぶとぽんしゃぶのたれや、白菜などの野菜も購入できるし、最近は全然日本と暮らしている時と同じような生活になってしまった。朝飯なんかは納豆まで食っていやがる・・・。これはこれで良いのだが、他方で外国に居るのに日本と同じような生活で、時折「あれ?俺ってアメリカの『文化』とやらを学ばないとダメなんじゃなかったっけ?納豆と味噌汁食ってるけど」という感覚を抱く。まあ今更シリアルとピザ食って生活しろって言われてもやらないが。今のところアメリカの食生活から学んだことは「外で食う場合は割高になるのを我慢しろ。牛丼屋なんて存在しねえ。味も妥協しろ。店員の態度も妥協しろ。店の使い勝手も妥協しろ。まあ、何だ・・・諦めろ」ぐらいである。とりあえず俺の見解だと、アメリカという国はあらゆる場所で極端な格差が発生していて、俺が見ている食文化というのはかなり下の方にあるものでないだろうか。上を見るのは今じゃなくもっとおっさんになってからということらしい。うん、そう思うことにしよう!
 というわけで、「上の食文化」が見えないただの引き籠りは、何の問題もなくアメリカでも日本と同様に鍋を食って勉強してモンハンをすることにした。将来アフガニスタンとかスーダンとかで生活するようになって日本食が食えなくなってモンハンができなくなったらどうするんだという気もするが、日本食が普通に手に入ってモンハンもできるんだからしょうがない。

2011年9月18日日曜日

「次」のモンスターハンターについて

 俺がアメリカに来ている間に日本では新しいモンハンの話題が出ている。一見、もう今後のモンハンは全部3DSで統一されるように見えるような発表のされ方である。
 俺は3DSを持っていないので、今回も3の時のように「モンハンのために新しくハードを購入する」かどうかということが、今後のモンハンをやる上での前提となるらしい。しかし、今回のモンハンが俺のような者に対し、新しくハードを購入してまでプレイさせるような魅力があったかというと、少し説得力に欠ける気がする。何せ、そもそも3DSに興味が無いどころか、3D機能も、タッチペン?で操作する機能も俺は必要としておらず、店頭で触った限り画面が小さいし操作もしにくそうだったので、中立的な評価どころか、マイナスの評価をしているのだ。3DS自体で俺に3DSを買わせるインセンティブを持たせることができない以上、新しいモンスターハンター3Gがどれほど魅力的であるかが問題となる。
 この点、今のところ俺の印象は良くない。伝統的に各シリーズで「主役」の扱いを受けるパッケージモンスターはブラキディオスという、はっきり言ってパッケージモンスターとしては歴代最低のビジュアルを持つモンスターである。ボルボロスやハプルボッカみたいなキワモノポジションにしか見えない。また、何より3→P3→3Gという、3回目のモンスターの使い回しというのが少し気になる。今のところ有意な差異化が図られるどころか、上記→に沿ってバージョンアップしているだけのように(しかもめんどくさいことに全部ハードが違う)見えるので、上記→の根本である3にあった水中戦を増やした(元に戻した)だけではあまり魅力的だとは言えないと思う。
 操作については文句を言ってもやれば結局慣れるものなのでいいとして、さらに問題であるのは3DSが携帯機としてPSPと同程度のネットによる協力プレイの状況を作り出せるか、ということである。今のところ「公式」にはアドパのような特別なソフト(あったとしてWiiでやるのだろうか)も無いし、KAIなどの「非公式」のソフトを使うしかないようだ。中にはアドパよりKAIの方が良いという人もいるようだが、俺としては今のところ「公式」のソフトを介さないと安定しないので使い辛い。特にアメリカに居ると、以前の記事で書いたようにアドパ以外の有効な接続方法が無いので、代替する接続手段がないと結構俺の使い方に関して言えば購買意欲が削がれてしまう。購買意欲の構成要素として、3DSがネットワークに繋げるかどうかというのは個人的に結構大きいポイントなので、発売日までにこれが可能だという情報を手に入れない限り俺は新しいモンハンも3DSにも関心を持たないだろう。
 より根本的なことを言うと、売り方に関して言えば、なぜ基本的な世界観・システムが同様であるソフトをわざわざ3回別々のハードで出さなければいけないのか、少し意味が分からない。悪質な完全版商法にしか見えない。わざわざユーザーがこの流れに沿って3回別々のハードを買ってCAPCOMについて行く必要は今のところ無いのではないだろうか。今出ている情報を見る限り、MH3・MHP3・MH3Gは結局殆ど同じ話(モンハンには「話」が無いので「話」に当たる部分はシステムやモンスターになる。この3作品はそれが基本的に同じで言わば「モンスターハンター3系」)なので、Wii・PSP(PS3)・3DSの内、自分が持っているハードで出たものを買って楽しめばそれで済む話だと思う。俺に関して言えば「PSPバージョン(HD含む)」のものを買ってプレイしたので、もう「モンスターハンター3系」が持っていたコンテンツは消費してしまったということだ。
 というわけで、「次」のモンスターハンターについては、あのリオレウスの背中にハンターがしがみついてガシガシ剣を刺しまくっていた「モンスターハンター4系」に期待することにしよう。

2011年9月9日金曜日

ご飯を炊く!→ 感涙

 アメリカに来てから1カ月経つが、重要な問題の1つが食事だった。確かに、アメリカには日本食のレストランなり、今まで食べてきたものの延長線上で食べられるものはあるのだが、「毎日の3食をどうするのか」という問題は、好きなものを見つけて食べるということとは違うと思う。もちろん俺がボンボンで金なんかいくらでもあるしなんなら授業料も自腹で払ってやろうかという野郎だったら別に自炊なんかしなくてもいい。NYUの周辺にはいくらでもレストランがある。
 しかし、苦学生にとって、やはりNew Yorkは基本的には買い食いには適さない町なのだ。俺の感覚だと1食5ドルを超えたあたりから高いな・・・と思ってしまうので、SUBWAYやマクドナルドで買って食べたとしても高いなという感覚がある。やはり自炊をした方が安い。
 そこで、俺は採りうる最善の策として、この1カ月間は、朝:フレーク(人間の食べるものじゃない)、昼:パン(日本のパンと比べると全然おいしくないが、Amy's Breadのパンだったらまだ許容範囲)、夜:パスタのサイクルを維持していた。毎日のパスタだが、これはもともと日本に居た頃から料理することができたのではなく、アメリカで練習して作ることができるようになったものだ。パスタは安い。ソースは余裕で1週間使えるし、野菜をちゃんと食べることができて栄養の面でも問題ない。俺はメジャーなパスタとして、カルボナーラ、ボロネーゼ(ミートソースの時もある)、ペペロンチーノを順番に1カ月間料理していた。正直イタリアに留学したわけでもないのに何で俺は毎日パスタを作っているんだろう・・・と思う時がけっこうあったが、上述した新しい調理の技術を習得する喜びも手伝って、なんとかこれまでやってこれた。
 しかし、やはりパスタが上手く作れるようになって、味が板に付いてくると流石にうんざりしてきた。ちゃんとおいしいのだが、やはりもっといろんなものを食べないと飽きてくる。そこで、何とか日本の米を手に入れてご飯を炊いてやろうと思い立った。
 ネットで検索してみると、New Yorkには結構日本食のための食材が手に入る「日系スーパー」なるものがあることが分かった。俺はとりあえず少し近場だったSunrise Martに行ってみた。場所はCooper Squareの近くである。全然大きくないので分かりにくいし、メインの売り場が2階でいきなりエレベーターで上がることになるが、入ってみると日本人の店員が普通にレジを打っているのが目に入った。肝心の米だが、若干割高だが、結構品ぞろえは豊富である。米以外にもネギや納豆、日本のお菓子やカップラーメンまで、普通に日本にあるスーパーのような品ぞろえである。俺が素晴らしいと思ったのが日本のサランラップが買えることだ。アメリカにも当然ラップは売られているが、最初にKマートで買ったラップは日本のものとは違う場所に刃が付いていて、本当に使いにくいし、すぐに切れなくなってしまってうんざりしていたのだ。
 そこで米を買った後、今度は和食用の器が必要だと思い、探しに行った。本当に簡単な食器を日本から持ってきておけばよかったと思ったのだが、アメリカのデパートの普通の食器売り場にはなかなか日本人がダイソーなり適当な所で買うぺろんぺろんの味噌汁用の食器などが売られていない。似た系統があったとしてもでかすぎるボウルだったり、皿のサイズもとても小鉢とは言えないサイズで和食に適さないものばかりである。「違うんだよ。こんなごわんごわんした奴じゃなくて、あのぺろんぺろんのクソみたいな食器が欲しいんだよ俺は!!」と本当に店員に詰め寄りたくなる。
 さて、俺がネットで見つけた店はPearl Riverという、ラブホテルみたいな名前の雑貨屋である。ソーホーにあるユニクロを過ぎて更に下ったところにあるこの店は、サイトの情報だと中国系?のものばかりで、なんか陶器のちゃんとした器ばっかりありそうで、あのぺろんぺろんの奴はなさそうだな・・・と期待していなかった。
 ところが、実際に行ってみると、New Yorkに在住してて安い和食器がほしい奴は全員ここに行くべき店だなと思わされた。素晴らしい。俺の欲しかったものはここに全部ある。ちゃんとぺろんぺろんの奴もあったし、地下に行くと電気ポットや炊飯器、日本人が普通に使っているキッチン用品などが全てあった。しかも日本のお菓子まで売られている。最初にKマートとかいうアメリカで無難そうなデパートに行くんじゃなくてここに来れば良かったと本当に思った。俺はそこでぺろんぺろんの食器とポッキーを買って家路についた。Snickersなんか食いたくねえんだよ!!
 しかし、俺は売られていた炊飯器は買わなかった。ちょっと彼女から聞いていた鍋で炊く方法を試してみたくなったのだ。鍋炊きご飯の作り方については白ごはん.comという素晴らしいサイトを参考にさせていただいた。初めてやることだし、最初にKマートで買った鍋なので少し不安だったが、思ったより全然上手く炊けた。そして一口食べてみると、アメリカで食ったものの全ての中で最も美味いではないか。1カ月以上口にしていなかった故国の味につい興奮して近くに居たインド人に「お前日本に来たら絶対日本の米を食べろよ!世界で一番美味いからな!!」とかうざいことを言ってしまった。

2011年9月6日火曜日

MHP3HDはダメだ。俺はやりたくなくなった。

 前回の記事でMHP3HDは「クソでもないかも」しれないゲームソフトとして述べたが、個人的には「ダメだこのゲーム。全然ダメ。めんどくさい。こんなめんどくさいことに耐えてまでやりたくない」という気持ちが高まってきた。
 アドパで「HDお断り」、「PSPのみ(orHDのみ)」といった部屋が乱立しているが、HDを使っている人はたとえHDのみの部屋に入ったとしても多分めんどくさい思いをする方が多い。俺がアドパでMHP3HDを使って体験した症状は下記の通りである。

・新しく部屋に人が入るとそれまで部屋に居た人がフリーズもしくは接続を切られる。

・オンライン集会所に行こうとしていて、接続画面が表示されている時に新しく人が入ると接続を切られ、L字型のチャット画面がL2を押しても表示されなくなる。

・クエスト中に突然フリーズしてBGMは流れたまま画面だけが停止してコントローラーによる操作を受け付けなくなる。発生確率の高いバグの1つ。クエストが終わったタイミングでセーブする前にフリーズすることすらある。

・「ルームから退出しました。ゲームをセーブせずにアドホック・パーティーへ戻りますか」というこれを書いた人の頭を疑わざるを得ない文章が表示されて、はいを選んでもいいえを選んでもどちらにしても再起動することになる(当然入っていた部屋からは退出してしまう)。しかも1人で訓練所に行っている時ですらこの文章が表示されることがある。ちなみに実際にはHD版で「ルームから退出」して「ゲームをセーブせずにアドホック・パーティーへ戻る」ことはできない。そもそも「ルームから退出」する(当たり前の)機能なんて無いのだから。完全に意味不明。

・クエスト中にメンバーの誰か(特定の1人が多い)の接続が切れてオフラインになり孤立する。発生確率の高いバグの1つ。

・アドホック・パーティー起動後にMHP3HDを起動しようとすると起動の途中で画面がフリーズする。

・クエスト中にチャットをすると画面が停止しかけることがある。実際停止して上記フリーズの症状が発生することもある。

・部屋を建ててもコメントがうまく表記されないことがある。全く空欄になる場合や、謎の漢字(中国語?)が表示される場合がある。しかもアドパを使っている人それぞれに違って見えるようなので、部屋を建てている人はコメントがうまく表記されているか確認する術がない。ちなみにこのバグはPSPを使っている人にも発生する模様。

・部屋に入った順番が入れ替わって表示されることがある。後から入った人がホストになる場合もある。

 MHP3HDに関しては、一応「HDのみでやれば安定する(かも)」、「PSP Remaster アドホックモードを切断することで安定する(かも)」といった情報があるが、実際は安定しない。たとえHD限定部屋を建てても、アドホックモードをゲーム設定から切断しても上記バグは発生し続ける。なので、俺はせっかく買ったMHP3HDをしばらく使わないことにした。別にゲームの本質自体がクソになっているわけではないが、俺の使い方に限って言えば、アドパを利用する限り上記バグが俺の時間とやる気を殺ぐので、やっていてめんどくさい。
 次に使うときはアドホック・パーティーがアップデートされて上記バグが改善された場合である。改善措置を実施しなかったらしなかったで企業としては(ある意味大企業らしい)潔いクソっぷりだが、わざわざPSPリマスターという企画のためにお粗末なシステムを作った結果、現状アドパでHDとPSPユーザーが分かれていることや、HDを使っている人がほとんど「バグがあって当たり前」、「突然接続が切れて居なくなってもしょうがない」と思って我慢して(あるいはもう見切りをつけて)いることを、製作した人々は考慮した方が良い。「文句があるならやらなければいい」、「たかが5000円もしないゲームごときで対応するだけ時間と金の無駄」といった態度は確かに自由主義経済で市場原理が働く「前提」がある限りある意味正しいが、このソフトを購入した10万を超える消費者の印象は少なくとも良くはならないだろう。(ある意味)残念なことにPSPリマスターという企画もアドホック・パーティーもモンスターハンターも「これで最後です」というものではないので、「損切り」の如く逃げ場がない以上、生産者は責任を取った方が今後のために無難である。
 もっともバグだらけのゲームを作るだけ作って売るだけ売って逃げた企業なんていくらでも存在するのが実状なのだが。所詮「たかがゲーム」なのである種の不備のある家電や車のように人の生死に関わらない分、企業の責任感も薄まるらしい。売った車のブレーキが利かなかったら「これが仕様です」とか言うと確実に訴訟で負けるしマスコミは叩きまくるが、売ったゲームがバグだらけで「これが仕様です」とか言っても言い逃れできる商売なのだ。ゲームを買った消費者の権利なんてそもそも無いに等しいと思われているのかもしれない。なので、買ったゲームが(ゲームの本質とは無関係の理由で)動かなくてうんざりしたら、諦めてそのゲームをプレイすることを止めるしかない。

2011年9月3日土曜日

セントラルパークに行ったついでにメトロポリタン美術館にも行く

シープ・メドウ。俺が行った時は閉まっていて謎のおやじが一人中に居た。

 Fallも始まって、最初の授業(ゼミ)の課題図書が論文約20本、本約10冊ぐらいになっていて(結局真面目に読んで行ったら全然関係ない話ばっかりされたが)、今後もこんな感じだとアメリカに来たのに図書館と大学しか行かなかったっていうことになる可能性がある・・・しかも彼女も隣に居ないと俺が外に出るインセンティブなんて前提として90%減の状態だ・・・と考えた結果、頑張ってセントラルパークへ行くことにした。なぜか俺はFallもSpringも金曜日が全く空いていて、しかも来週の月曜日が祝日なので4連休だったのでチャンスだと思ったのだ。
 結構早い時間に着いたので、リスを捕ま・・・写真を撮ることにしようと思ってリスを探したのだが、全然見つからず、NYUのOISSの横の茂みで2回遭遇したのにセントラルパークまで来て遭遇できないって何なの・・・とか、小学生の頃トキワの森でピカチュウを延々探し回ったことを思い出しながら1時間ほどうろうろした。走っているおじさんおばさんや、犬の散歩をしている人々が沢山いた。
 しかし全然見つからなかったので、もう疲れてきたしもういいよ。OISSの隣の茂みに居たリスの写真でも撮ってセントラルパークに居ましたってことにすればいいよこんなんと思ったので、美術館を目指すことにした。しかし広い広い。原付があればいいのにと何度も思った。

ベセスダの噴水。それはもう噴水だった。


メトロポリタン美術館外観


 20分ほど歩いて美術館に到着した。でかい美術館である。全然買う必要なかったのだが、事前にウェブで学生用チケット(13ドル)を購入していた。入る前に手荷物を預ける必要があるのだが、以外なことにカメラ(及び写真)は商業目的でなかったら使っても良いらしい。ただし、撮っちゃダメという表示がされている作品もあった。
 メトロポリタン美術館には、アメリカ、ヨーロッパ、アジア(日本含む)、現代美術、エジプト、ローマ、キプロス、アフリカ、オセアニアなど、世界各国の美術作品が展示されていて、詳しく観ていくと全部観終わるのに1週間ぐらい要するんじゃないかというほど作品数が種類・数ともに多い。俺はエジプトコーナー的な場所から観て行ったのだが、内部が広く更に複雑なので、マップを読んでも良く分からずに苦労した。日本人観光客(らしき人々)も結構居て、彼らはガイド?の人に説明を受けながら作品を観ていた。ガードマンらしき屈強な男女も多数居る。
 うろうろしていると11時半ぐらいになったので地下のカフェテリアに行って食事にしたのだが、高い・・・そして無駄に多い。ダブルチーズバーガーの付属のポテトだけで一食いけるんじゃないかという量だった。前の女がチキンを頼んでいたが、3人前ぐらいあるんじゃないかという量だった。ハンバーガーはバンズが冷たくてそんなにおいしくなかった・・・。寿司も売られていた。アメリカの美術館でわざわざ日本人が寿司を食べるってどうなの・・・と思ったので食わなかったが、後から考えると寿司の方が良かったかもしれない。

Agnes Northropの"Autumn Landscape"純粋に美しい作品



弓を射るヘラクレス。説明を見てなかったので作者は不明。こんな格好で射ってたら弓道部だとぶっ飛ばされる。


アメリカ人Jackson Pollock の"Autumn Rhythm (Number 30) 前衛的である。


インドの作品"Seated Four-Armed Vishnu" こういう系統の作品の前で記念撮影をしていた人はほとんどが合掌したポーズを取っていた。


鈴木基一の『朝顔図屏風』

 日本の作品については、アジア枠という扱いで、2階のアジアコーナー的な場所に中国や韓国などと一緒に展示されていた。個人的には日本の作品は良く他の国の作品と差異化が図られていたと思う。人間の肉体の美しさなどは(裸率の高い)ヨーロッパの作品などは良く描けていると思うのだが、静謐な空間や平穏といった概念は日本の作品の方が本当に醸し出すのが上手い。


野良リス発見!!

 本当は近くのアメリカ自然史博物館にも行こうかと思ったのだが相当疲れたので帰ることにした。何だよ結局リス居ねーじゃねーかよと思っていたのだが、椅子に座ってリスにぽいぽい餌をやっていたおやじに遭遇し、リスを撮影できた。結構誰も興味を示していなかったので、アメリカでリスを見かけることは野良犬を見かけるようなものらしい。