2015年6月25日木曜日

酔って候 感想

 一か月ぐらい前に司馬遼太郎の「酔って候」という素晴らしい中編集を読んでいたので感想を書く。実は読んで気づいたのだが、「酔って候」は前に感想を書いた「幕末」と対になっているような作品であり、「幕末」で登場してきた維新の「実行部隊」より、延長線である戦争をさらに遡って、より政治的な駆け引きを行っている人々として、「幕末の四賢候」の姿が描かれている。「賢候」と言うがタイトルから分かる通りこいつらが別に異様に賢いわけでもない。というか、島津久光自体は「賢候」ではなく「賢候」だった斉彬の兄弟である。
 いつも通り適当に四編のあらすじを書くと、生まれる時代を間違えたかのような酒豪である土佐の山内容堂の姿を描いた表題作「酔って候」(維新後は飲酒を原因とする脳溢血で死亡)、利用されまくり西郷との仲も悪かった薩摩の久光を描いた「きつね馬」、宇和島藩で蒸気船の開発を市井の天才にさせた伊達宗城が登場する(主役ではない。「天才」の方が主役)「伊達の黒船」、多分四編の中では一番賢い松平春嶽を描いた「肥前の妖怪」から成る作品である。
 「燃えよ剣」の近藤勇などと同じく、司馬遼太郎は無骨な文体で馬鹿とみじめな人間をとことん馬鹿でみじめに描く。今回は上記した島津久光がそのターゲットであった。人間というのはどの時代も自分の外に自分の世界を無理やり作ろうとするとみじめで滑稽に映るらしい。