名古屋城 |
この前彼女と名古屋城に行ってきた。特に理由は無い。城が観たかったのである。たまたま本丸御殿が公開されていた。
虎の描かれた屏風 |
名古屋城は織田信長が生誕した場所とされる。行ってみたら分かるのだが、改修された部分が多く分かる通り、日本の戦時中空襲で特に天守を中心に破壊され尽くしたので、現在観ることができるのは復元されたものが多い。土塁や堀や門はウィキペディア情報によると比較的多く残っているらしい。
最近公開された場所の様子。奥の一段高くなった場所で偉い人間が客人と会っていたらしい。 |
そのまま暫く進んで店屋が多く並んでいる場所を通り抜けた所で、前田慶次が歩いていた。
是非写真を載せたい一方、他の人間のご尊顔も写っているために載せられないのだが、案外まともな見た目である。その前にくまモンのお面をかぶった人間とすれ違ったので、なるほど、傾奇者とか言っているし、戦国BASARAとか花の慶次のパチンコとか、前田慶次は最近そういう派手な解釈がされている表現が目に付くので、傾奇という概念をくまモンのお面を被ることで表現したのだな、と思っていたのだが、それは本当にくまモンのお面を被ったおっさんであった。後から護衛の足軽1人を引き連れて日傘のようなものをさして異様に面倒くさそうな感じで歩いてきたのが名古屋城の前田慶次であった。
つまり、名古屋城の前田慶次役の人は別にドラクエの遊び人やヘラヘラしている感じを傾奇の概念として表わすのではなく、不機嫌そうに振る舞っているヤンキーのような体裁、ファミレスやコンビニの店員に偉そうな態度で怒鳴りつけるようなステレオタイプ的な「ガラの悪い人」で表したのだ、と彼女に言ったりした。
「言い換えれば、名古屋城における前田慶次という表現装置は、『傾奇』という常況を逸した人の成について、単に派手な装束を纏うなどの外観を選択しなかった。『傾奇』という概念の1つの側面としての乱暴・狼藉=他者の利益を簒奪することに関する脅威を『面倒臭そう』な顔をして歩くことで表現し、それを現代における前田慶次の同一性の発露として見出したのである。それは、すなわち『傾奇』という概念の名古屋城的な展開でもあり、現代に生きる若者の鬱屈した自我の芽生えと、彼らが抱える社会性の間に生じた葛藤というテーゼに対する解答である」、とは彼女に言わなかったりした。