俺はアメリカに居た時に炭酸が欲しい病にかかっていた「炭酸野郎」だったと思う。振り込まれるフルブライト奨学金を使って毎週3本ぐらいは150ミリリットルサイズのペットボトルの炭酸飲料を購入していた、ということを今日日本に帰って初めて飲んだ7UPを飲んで思い出した。日本で7UPを売っているメーカーがサントリーだったということも今日初めて知った。
7UPはどう考えてもスプライトと競合しているが、1つ良いところを上げると炭酸が気持ち(2時間ぐらいは)スプライトより長持ちする点だったと思う。本当に気持ち程度である。アメリカのスプライトは開封して2日目の夕方ぐらいにはもう炭酸が全く感じられなくなっていたりしたので、俺は7UPの方が好きだった。炭酸飲料というのはつまる所「炭酸」という部分に価値の大部分が(99セントの缶だったら70セントぐらいは)あると思うので、いかに炭酸が長持ちするかという点は評価において大きなウェイトを占めると思う。流石にA&Wのルートビアなどは味の点で駄目なのだが。
アメリカで俺が最も飲んだ炭酸飲料は間違いなく(大学に置いてあった自販機の関係で)ペプシなのだが、最も好きになった炭酸飲料は間違いなくドクターペッパーである。どう考えても体に悪い味なのだが、そこが好きなのだ。コーラの風説に代表されるように、炭酸飲料を飲めば「骨が溶ける」とか言って多くの子どもたちが実は全く頼りにならない母親に叱られる以上、炭酸飲料などいっそのこと味からして「体に悪い」と言わしめんばかりの存在になった方が良いのだ。
俺のルームメイトは途中から(俺からすれば)底の浅い話すだけ無駄な野郎になって、「朝はジムに通ってるしプロテインも飲みまくっているんだよね、その上夏休み中もインターンしているし、なんて僕って『善良』なんでしょう!」みたいなアピールを露骨にする人間だったので、「毎日非実在害獣を殺しまくっているしドクターペッパーも飲みまくっているんだよね」という俺は、(彼らのような「善人」からすれば)全く異なる生物として捉えられていただろう。残念なことに俺は気持ち悪いプロテインなんかより、もっと日本のコンビニがドクターペッパーを売るようになって「駄目」な飲み物をたくさん増やして欲しいと思っている。
2013年1月25日金曜日
本を読まなくなる日常
俺は本を読んでいない。日常が他のことで忙しくなると、数ある娯楽の中から俺は読書を捨てる選択をしているらしい。まあ仕事とか論文とか生活とかうんざりした時に本を読むのと、モンスターを殺しまくるのでは後者の方が自分自身に快感が届くスピードは速いと思うので、「手軽」という理由で俺は読書を捨ててモンハンを取っているらしい。
論文を書いているくせに本を読まないというのは矛盾している、というのはまともな論文を書いたことのない人の意見であることに疑いが無い。一見不思議な話をするが、学問というのは熟達すればするほど本を読まなくなる作業になる。全く文章を読まないという意味ではなく、一冊の本の理解にかける時間が少なくなる、あるいは本の全容を理解しないまま、書いている論文の中で「引用」という形で理解をしている体を装うのである。「読む」というより「確認」に近く、論文を書いている時に「読む」のは純粋に作業である。
この作業についてより正確な言葉で言い換えれば、学問をしている時、俺たちは文章の取捨選択を素早く繰り返し行っているということになるだろう。少なくとも寝る前に本を読む時よりは早く行っているし、不思議な話で、慣れると初見の本だろうと、どの言語で書かれた本だろうと、文章の取捨選択ができるようになる。つまり自分の中で取捨選択をする際の基準がより強固になり、記憶や印象にとどめる前に、文章を「読む」前に、「見た」段階で意識から捨象する作業を連続して行っているのだ。
このような国語のワークブックで登場しそうな文章を俺が書くのも全て「本を読まなくなる日常」のせいだと俺は思う。思い出せば、俺が高校生の時に解いていた評論系の国語のワークブックの問題は「人間が無意識的に行っている事のパラフレーズ」に満ちていた。おそらく書いていた人間も俺と同様にそれほど健康的ではない日常を送っていたのだろうと思う。
この事に批判的に言及している以上、俺の「無意識」は「本を読まなくなる日常」から抜け出ることを望んでいると思うので、俺はまず彼女から借りたままになっている司馬遼太郎の「国盗り物語」を読むことにする。
論文を書いているくせに本を読まないというのは矛盾している、というのはまともな論文を書いたことのない人の意見であることに疑いが無い。一見不思議な話をするが、学問というのは熟達すればするほど本を読まなくなる作業になる。全く文章を読まないという意味ではなく、一冊の本の理解にかける時間が少なくなる、あるいは本の全容を理解しないまま、書いている論文の中で「引用」という形で理解をしている体を装うのである。「読む」というより「確認」に近く、論文を書いている時に「読む」のは純粋に作業である。
この作業についてより正確な言葉で言い換えれば、学問をしている時、俺たちは文章の取捨選択を素早く繰り返し行っているということになるだろう。少なくとも寝る前に本を読む時よりは早く行っているし、不思議な話で、慣れると初見の本だろうと、どの言語で書かれた本だろうと、文章の取捨選択ができるようになる。つまり自分の中で取捨選択をする際の基準がより強固になり、記憶や印象にとどめる前に、文章を「読む」前に、「見た」段階で意識から捨象する作業を連続して行っているのだ。
このような国語のワークブックで登場しそうな文章を俺が書くのも全て「本を読まなくなる日常」のせいだと俺は思う。思い出せば、俺が高校生の時に解いていた評論系の国語のワークブックの問題は「人間が無意識的に行っている事のパラフレーズ」に満ちていた。おそらく書いていた人間も俺と同様にそれほど健康的ではない日常を送っていたのだろうと思う。
この事に批判的に言及している以上、俺の「無意識」は「本を読まなくなる日常」から抜け出ることを望んでいると思うので、俺はまず彼女から借りたままになっている司馬遼太郎の「国盗り物語」を読むことにする。
2013年1月11日金曜日
Northwestern の悪夢再来・・・
実はあるUNVポジションの面接に呼ばれていたのだが、俺の担当者が面接時間は8:30とだけメールに書いていたので、「朝8時30分」と日本人的な感覚で解釈してしまっていた。実は夜8時30分からという意味だったらしい。
まあそうだよな?金曜日の朝8時30分から定時まで働く人種なんて日本人ぐらいだもんな?PMかAMかぐらいつけろよ・・・と思ったが世界の常識だと8:30は十中八九「夜8時30分」で、「オイオイ金曜の朝8時から仕事なんて勘弁してくれよ、金曜は適当に流して昼過ぎにフけるに決まってんだろ社畜野郎」ということらしい・・・。
これでまたNorthwesternの悪夢の再来だよ・・・。また俺は朝5時とかからそこそこ人生を賭けた面接を受けることに・・・。
まあそうだよな?金曜日の朝8時30分から定時まで働く人種なんて日本人ぐらいだもんな?PMかAMかぐらいつけろよ・・・と思ったが世界の常識だと8:30は十中八九「夜8時30分」で、「オイオイ金曜の朝8時から仕事なんて勘弁してくれよ、金曜は適当に流して昼過ぎにフけるに決まってんだろ社畜野郎」ということらしい・・・。
これでまたNorthwesternの悪夢の再来だよ・・・。また俺は朝5時とかからそこそこ人生を賭けた面接を受けることに・・・。
2013年1月2日水曜日
2013年度の標的
もう3年目の試みになるが今年の標的は下記。
1.俺の英語にスピードと正確性を持たせて、国連YPP試験の野郎をぶちのめすことができるようになる。
説明不要で問答無用。勝ちたかったらやるしかない。
2.「学生」を終わらせる
何かNYUが終わった時にもう学校で得るものって多分無いかもなーとか思ったのだが、一応博士論文を書いて提出しないと形式的に終わったことにならないらしいので、ある種の仕事のように粛々と終えようと思う。
3.何か書く
無意識的に年にいくつも文章を書いているので、結局また何か書くことになると思う。「何か」の中身だが、そろそろ「俺は素晴らしい奴らの一員だ絶対に許さない」という連中にうんざりしているので、「俺たちは駄目で駄目で駄目で駄目で駄目で駄目で駄目な奴らなんです許して下さい」という人々の「何か」にしようかと思う。
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