2019年12月31日火曜日

ジョーカー 感想

 11月ぐらいにジョーカーを彼女と観に行っていた。前評判からすると質の高いサイコ映画という印象だったが、観た後は「うーん、そうかなぁ?質の高いサイコ映画はもっとサイコな感じでは?」という感じである。
 適当にあらすじをまとめておくと、ゴッサムシティというろくでもない街で大道芸人の仕事をしながらスターになることを夢観ている突然笑いだす持病を持ったアーサーと呼ばれる若き日のバットマンシリーズのジョーカーが、ろくでもない住民たち(理由もなく仕事を邪魔するクソガキ、不義理な同僚、事情を聴かない上司、ありもしない妄想だけを生きがいにしている母親、異様に絡んでくる電車のサラリーマン)などとろくでもない関わりをする内に「異様に絡んでくる電車のサラリーマン」を「不義理な同僚」からもらった拳銃で皆殺しにして、たまたまそのサラリーマン連中がゴッサムシティの上流階級で当時階層間闘争が過熱していたため下級階層の英雄とみなされ、「事情を聴かない上司」からクビにされた後に場末の飲み屋で不器用なコメディアンとして勤務していたら、その不器用さに目を付けた自分たちが自分たちと異なる連中を笑いものにしていると気づいていない連中からテレビ出演を持ち掛けられ、テレビに出て「自分たちが自分たちと異なる連中を笑いものにしていると気づいていない連中」の代表格を公衆の面前で射殺する話である。
 この「自分たちが自分たちと異なる連中を笑いものにしていると気づいていない連中」という部分が必要無い。「異様に絡んでくる電車のサラリーマン」と、「不義理な同僚」を殺すシーンはあっても良い、と思う。しかし多分「異様に絡んで」こなくても「不義理」でなくてもそれがサイコパスの話なら不意に殺した方が良い。不条理な境遇で虐げられている、という部分も必要ではない。個人的にはとにかく物語で人を殺したり殺人鬼になることに無駄な理由を付け過ぎている部分が嫌いであり、殺人という行為を大袈裟に描写する必要も無いと思う。そもそも俺が前評判で「俺の中のサイコ映画」みたいな期待を抱いていたのが間違いだが。理由は無いが人を好きになるようになんとなく殺した、というのが本来のサイコパスとしての一貫性ではないか、と勝手に期待をしていた。

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