2010年4月30日金曜日

地雷について

 「地雷」とは、モンハン用語でオンライン上で出会う期待はずれのメンバーや、広義にはネットという空間をいいことに他人を顧みない行動を取ることである。具体的には下記の行為が「地雷」と言えよう。

(1) 弱点属性を無視した装備を持ってくる(地雷度:☆)

これは数時間やれば必ず出会う類の輩である。例えばヴォルガノスに椿を持って行ったりしてしまう者を指す。もっともこんなのが1人居たところで4人でやってる時点で討伐に関しては十分であるから、「ああ、残念な人なんだな」ぐらいの感想しか持たない。


(2) 「迷惑をかけるので待機しときますね」と言う(地雷度:☆)

お前は何のためにゲームをやっているのか?と聞きたくなる。こういう輩に限って討伐するや否や全力疾走でモンスターの死骸にたかる。現実世界だと多分「ゼーハーゼーハー・・・ハハハ、やったぜ?俺?」みたいな感じか。こんなん言うくらいだったらやらない方がマシ。自分の実力に正直になった方が「遊び」は楽しい。「仕事」じゃないんだから。


(3) 罠をしかけてサインを出し続ける (地雷度:☆)

4人居る時点で十分以上に討伐可能なのに何で罠をしかけ続けてずっと罠の後ろに待機し、サインを出し続けるのか。サインは1回でいい。こういう輩が最も無残になるのは、罠を仕掛けたのに、結局モンスターがエリア移動して罠が無駄になったり、ずっと後ろで待機してて俺は安全だとか勘違いして、ラージャンのビームに焼かれて即死した場合である。


(4) 武器で他人を過度に阻害する(地雷度:☆)

4人でやってる場合はある程度は仕方ないが、少し注意すれば避けられる行為を何度も繰り返す輩が居る。例えば散弾を延々撃ち続けて他人の動きを邪魔する者、抜刀術を発動させてるくせに大剣を振り回し続けて他人の動きを邪魔する者がこれにあたる。


(5) VC中にどうでもいい音楽を大音量で聴かせる(地雷度:☆☆)

VCが敬遠される理由の1つ。君のオトモダチとやって下さい。


(6)武器で他人を攻撃して剥ぎ取りの邪魔をする(地雷度:☆☆☆)

過去に一度、討伐後の剥ぎ取りを全くの見ず知らずの他人が邪魔をして、部屋が崩壊した例がある。その時の会話→「すいません、邪魔されて剥ぎ取れなかったんですけど」「すいません、友達が・・・」「君達は中学生かな?」「高校生です」「まあ、いいや。あなたたちとは二度とやらないんで。Kさんありがとうございました」(被害者が退出)「あの、なんかすいません。落ちますね。」(加害者が退出)。君のオトモダチとやって下さい。


(7)上から目線で意味不明の命令をする (地雷度:☆☆☆)

ゲームでそんなに高いプライドを持たれても・・・・。最近出会った一番の地雷。「そうねぇ~系譜を7分でやってきて。それからだね。」→「興味ないです。さようなら。」(地雷以外全員自主退出)。君のオトモダチ・・・はいないか。

うーん、こういった行動(特に5~7)を取る輩にモンハンを通じて展望や救いや楽しみはあるのだろうか。「遊び」の意味を考えてしまう。

2010年4月27日火曜日

昼寝6時間

 今日は朝用事を済ませて家で本を読んでいると、意識が途切れて気付いたら18時になっていた。約6時間も寝てしまったのだ。もう昼寝というレベルではない。確かに「果報は寝て待て」というが、何をやっているのか俺は。
 ちなみに俺は高校生になって受験勉強をするようになるまで昼寝をしたことがなかった。起きる時間も5時ぐらいだし、夜9時までぐらいには眠くなっていたのだ。しかし、高校2年生の終わりぐらいから死ぬほど勉強するようになった結果、夜(朝)2時ぐらいまで勉強して、5時に起きて新聞を配り、その後に学校に行くという生活スタイルになった。
 その後、大学に進学すると、今度は朝2時30分に毎朝起床し、新聞を配るようになったため、新聞を配り終えて朝ご飯を食べてそれから12時ぐらいまで眠り、その後に学校に行くという生活スタイルになった。間違えて午前中の講義を履修していた場合などがあり、その場合は本当に眠たい中講義を受けることとなってしまうことがあった。
 大学院に進学するとやっと6年間もの新聞配達から解放され、午前中にも生活するようになったのだが、研究のせいで生活が不規則になり、眠る時は眠り、眠らないときは眠らないという生活になった。その結果、おそらく逆転させていた生活スタイルの名残から、昼寝という形で睡眠を取らせるように体が強制するようになったのかもしれない(それ以上に付き合っている女の子の影響を受けたのかもしれないが・・・。)
 まあ結果をちゃんと出していれば昼寝は特に問題ないと思う。しかし、スペインでは「シェスタ」という昼寝の習慣が有名であるが、その習慣が経済活動を停滞させると批判されたことがある。今日のように6時間も寝てしまうということはやっぱり俺の活動?が停滞するのかもしれない。

2010年4月21日水曜日

祖母について

 個人的な都合により数日ほど実家で過ごしていたため、ブログの更新が滞っていたが、そこで明らかになった事実は、やっぱり俺は実家に帰れないという事実である。何より個人的に許せなかったのはキッチンで犬を飼育しているという事実であり彼(彼女?)のすさまじい動物的な臭いがする中で自分の口に入れるものを作る姉とその配偶者の神経が理解できなかった。憎しみというよりは、「あはは。絶対無理」といった類の感情を抱かざるを得ない。無理である。色々な意味で。
 俺の実家は大往生した祖母が独力で資産を集めて土地を購入し、建築したものである。役所で入手できる土地に関連する書類には、全てにおいて所有者として祖母の名前が記されている。祖父は割合有力な人間であったらしいが、俺の母親がまだ小さい頃に死去したため、祖母は独力で生きなければならなかった。時代が時代なので大変である。祖母は学校を出ておらず、文字の読み書きや計算能力などはほとんどそなえていない。それ故、家や敷地、数多くの田畑の売買に要される大金を蓄えるためには、それこそ「人間力」をフル動員したとしか言えない。おそらく若い頃は田中角栄に近いパーソナリティを持っていたのであろう。
 今でこそ客観的に祖母のすさまじい(ある意味充実していたと言っていいかもしれない)人生に対して、俺は敬意を払うことができるが、俺は祖母が小学3年生ぐらいから嫌いであった。小学3年生の時、俺の家に遊びに来ていた友達の前で祖母は裸(どうでもいいが祖母と俺の母親は姉と違って巨乳である)で出て、友達に自分の背中へサロンパスを貼らせようとしたのだ。今の俺なら笑って許したかもしれないが、当時は俺の思春期の心情の影が見え隠れする年代に差し掛かっていたため、祖母に関する嫌悪感が形作られてしまった。これは俺にとってある種の原体験に近いものとなり、それ以降は物理的にも精神的にも祖母と距離を置くこととなった。
 こういった体験以上に、俺と祖母の間を隔てたのは、俺の歪んだ自立心の発達と祖母の過度な老婆心の了解不可能な価値観の対立だったと言える。俺はかなり他人を怖がった。1人で物を買いに行くことなどできない状況だったのだ。俺の行動力の無さを補うかのように、母親や祖母は俺を甘えさせた。しかし、今考えれば、これは単に俺の消極性を補うという俺以外の者の意思の力のみが働いたものではなかったかもしれない。これまでの人生で出会ってきた大人、特に俺より年上の女性は、小学校や保育所の先生から、フルブライトやノースウェスタンの女性の面接官まで、俺をいい意味で差別してきたからだ。祖母や母親も例外ではなかっただろう。これについては、あと10年後ぐらいに書きたくなればもっと詳しくどこかで叙述するかもしれない。こういった状況(より正確に言えば自分自身)に嫌気がしていた俺は、自分のキャパシティやパーソナリティを越えて、何でも自分で行おうとするようになった。1人で物も買いに行けない人間には土台無理な話である。『ダークタワー』のローランドの言葉を借りれば、「自己欺瞞はプライドの裏返し」だ。
 俺が高校を卒業して大学で様々な価値観に触れるまでの自立心は歪んだものであったが、着々と大きくなっていった。一方で、祖母(や母親)の老婆心は、彼女達の人生に訪れたいくつかの致命的と言っていい喪失から、拍車がかかっていった。祖母が俺を愛するほど(「すがる」という表現が妥当かもしれない)、俺は祖母を不必要なまでに否定していった。祖母は俺が生まれた段階で既に自分の人格を確固たるものにしていたため、俺が自分の人格を変化させることでしか、両者が歩み寄ることはありえなかったのだと、今なら言えるだろう。
 祖母は94歳まで生きた。俺には彼女が得たものが喪失したものより大きかったのか分からないが、少なくとも遺影は笑っている。それ以上の悲哀を知る姉と俺の願いが投影されたのだろう。
「自己表現が精神の解放に寄与するという考えは迷信であり、好意的に言うとしても神話である。少なくとも文章による自己表現は誰の精神をも解放しない。もしそのような目的のために自己表現を志している方がおられるとしたら、それは止めた方がいい。自己表現は精神を細分化するだけであり、それはどこにも到達しない。もし何かに到達したような気分になったとすれば、それは錯覚である。人は書かずにいられないから書くのだ。書くこと自体には効用もないし、それに付随する救いもない。」(村上春樹,『回転木馬のデッドヒート』)
 

2010年4月16日金曜日

個人的に気に入っている太刀TOP5

 俺は太刀が気に入っている。しかし、最初から太刀を遣っていたのではない。MHP2で初心者訓練に真面目に参加した時に初めて太刀を使用したが、その時に自分のイメージと全く異なるもっさりした太刀の動きが嫌になり、イャンクックを狩りに行くまでは双剣を遣っていた。だが、イャンクック戦でこのままソロでやり続けるのであればそろそろどんな大きさのモンスターでも等しく自分で全部位破壊して討伐できないとダメだなと思い、そこから太刀に手を出し、結局祖龍以外全てのクエストで太刀を遣った。今でこそ俺のギルカの武器使用履歴は虹色のような表示となり、あらゆる武器を遣えるようになったが、そうなったのはアドパでモンハンをやり出して以降であり、既にミラルーツZ一式を揃えた後の話であった。
 太刀の魅力は攻撃の出の速さとそのリーチであるが、より重要であるのは回避である。攻撃の出の早さは他の剣と比べると大剣と片手剣の中間ぐらいであるが、防御ができない分、回避の受付時間が長い。錬気ゲージを保つためには、その場で徒に攻撃を繰り出すのではなく、転がりながら斬り続ける技術が必要となる。太刀の性能を限界まで引き出すためには回避性能+があった方がいいだろう。腕が上がれば咆哮も含めて全ての攻撃を回避することが可能となる。この転がりながら斬り続ける技術は片手剣を使用する際にも応用が可能である。
 しかし、更に熟練が要されるのはパーティーを組んでいる時の立ち回りである。他のプレイヤーが近接武器を使用している場合、特に斬り下がりは他のプレイヤーをこかせる可能性が高いため、利用は控え、連撃の終わりには回避を入れた方がいい。もっとも、熟練されてくると実はこの斬り下がり自体、ソロの時ですら使用すべき局面が限られていることに気付くだろう。ラージャンと100回ほど戦うと分かる。
 以下に挙げるのが、俺が気に入っている太刀である。基本的に性能重視である。

1位 ミラザーゲスパノン (攻撃力:1248、切れ味:白、属性:龍300)

MHP2Gにおける太刀遣いの対古龍最終兵器。圧巻であるのは切れ味+1を発動させた状態での紫ゲージの長さであり、この状態だと他の龍刀を凌駕する性能を持つ。ソウルイーターファンじゃない人にとっては、形状が太刀ではないことが難点であるが、この太刀はJテオを十分ソロで討伐させる力を持っている。

2位 氷刃[雪月花](攻撃力:1344、切れ味:白、属性:氷200)

双獅激天をガチ(閃光と罠と引き離し一切無し)ソロでクリアした際に使用した太刀。ダオラ=レイドではなく、この太刀を選ぶ理由は武器スロットが2であるからである。俺がミラバルZで発動させているスキルが回復アイテム強化であったことから、天癒珠を武器スロットに付ける必要があり、ミラバルZの性能を限界まで引き出すためには、この太刀を遣うこととなる。もっともダオラ=レイドよりも個人的にはビジュアルや納刀・抜刀の音が気に入っているので、どの道氷属性太刀としてはこれを選ぶ。

3位 ラストエクディシス(攻撃力:1392、切れ味:白、属性:無)

村での最終クエストであるモンスターハンターをソロでクリアした際に使用した太刀。攻撃力の高さはゴゴゴに及ばないが、スロットが2つあることから、スキル調整がしやすく、他のクエストでも十分使用可能。見た目は太刀というよりクレイモア系。CLAYMOREファン垂涎の一振りである。

4位 砂猿薙[ゴゴゴ](攻撃力:1536、切れ味:白、属性:無)

武神闘宴をソロでクリアした際に使用した太刀。切れ味+1を発動させることで、属性ダメージ無しの太刀としては最高の性能となる。見た目は好き嫌いが分かれる薙刀型。

5位 飛竜刀[椿](攻撃力:1248、切れ味:白、属性:火450)

太刀遣いの対ウカムルバス最終兵器にして飛竜刀の最終型。作成するためには悪名高い火竜の天鱗が必要。


 

2010年4月15日木曜日

ちびまる子ちゃんと「交通の教則」

 皆さんは「交通の教則」というものをご存知だろうか。運転免許取得に要する試験勉強や、免許更新の際に交通安全協会(という日本最大手の天下り組織)の方から渡されるあれである。内容は定型がほとんど決まっていて、大体前半部分に最新の道路交通法改正情報、後半部分に道路交通法や標識の意味などが記載されている。
 最近免許を更新した際に入手する機会があったのだが、今まで見過ごしていたが、引っかかったのは「交通の教則」のキャラクタータイアップとして、ちびまる子ちゃんが選ばれている事実である。なぜ自動車が物語中に全くと言っていいほど登場しないアニメを交通安全協会はタイアップに選んだのか?俺は講習の最中にそれを考察していた。考察の結果、もっとも合理性のある理由として、「アニメの中で登場するキャラクターが、老若男女平等に描写されていて、かつ国民的な認知度のあるアニメと言えば『サザエさん』か『ちびまる子ちゃん』しかない」という理由だ。ドラえもんではおばあちゃんやおじいちゃんといった道路交通法上の保護が手厚い客体が存在しないし、クレヨンしんちゃんは(ごく一部の物語の本質を理解できない)PTAからの風当たりが強い。こち亀だと日常的に登場するこういった「シルバー要員」は夏春都かぎりぎり大原部長ぐらいしか存在しないし、割合上述した意味での「風当たり」もきつそうだ。何よりもうレギュラー放送が終了している。
 このような理由から、交通安全協会(という日本再大手の天下り組織)のお偉い(と思い込んでいる)人々は、フジテレビ系列で現在も放映されていて、割合視聴率を取っている「サザエさん」と「ちびまる子ちゃん」をリストアップしたのだろう。それではなぜ「サザエさん」ではなく「ちびまる子ちゃん」にしたか?「ちびまる子ちゃん」にあって「サザエさん」に無いものは何か?俺の考察の結論から言うと、それは両物語の性質からする若年層のとっつき易さの違いである。サザエさんにおいてのほぼ常時に渡って登場するキャラクター、すなわち主人公は成人女性であるのに対し、さくら ももこは小学3年生であり、若年層が感情移入しやすいのは自分に年齢の近い後者のキャラクターであろう。交通規則上、さくら ももこと同じ年代の低年齢層もまた、高年齢層と同等の要保護性を有した客体であり、交通安全協会の戦略からすれば、彼らに親しみを持ってもらうことが必要とされたのだと考えられる。確かに、カツオやワカメが主体となる物語も「サザエさん」には沢山登場するものの、それらの話に等しく登場できる権限を有しているのは、主人公であるサザエさんに他ならない。子どもからすれば、成人女性が引き起こす家事上のバカよりも、同年代の女の子が学校生活上や友人関係上で引き起こすバカの方がとっつき易いのだ。
 このような理由から「交通の教則」のタイアップとしてちびまる子ちゃんが選ばれたと考えられるが、個人的に引っかかるのは、キャラクター性を無視した台詞の割り振りである。特にいらだたしいのは父ヒロシの台詞であり、物語中では最もろくでもないおやじのくせに、「交通の教則」では「安全な運転のためにしっかり講習を受けよう!」、「危険で、他人の迷惑になるような行為はダメだぞ」、「決められた速度を守ることは安全運転の基本だぞ」等の言葉を発しているのだ。「お前に言われたくねえよ」という声が聞こえてきそうである。丸尾君とかに言わせた方が良かったのではないか。それはそれでいじられそうであるが。
 

2010年4月13日火曜日

呪いのお話

 俺は呪いの手紙を見た事がある。と言うと何いきなり電波を発しているんだと思う方もいらっしゃるかもしれないが、実際に人間の憎しみがこもった手紙というものが、俺の祖母と母親に届いたことがある。文章の内容を具体的に思い出すことはできないが、なぜか全部カタカナ(国語の教科書に載っているような昔の文章みたいな感じだ)で表記されていて、「オマエハイナクナッタホウガイイ」的な事が書かれていたことを覚えている。まだ俺の頭が今より大分悪かった時の話なので、誰が送ってきたのか等を知ろうなどとはせず、ただ不気味だったという記憶しかない。しかし、祖母や母親が時折微かに漏らす話を聞くと、彼女達をいじめたり、憎んでいる人(人々?)が同一地域に居住していたらしい。どうも祖母の「他人を見返したい」という反骨精神はその辺りに由来しているらしく、俺は「偉いもんになれ、博士になれ、大臣になれ」という念仏を祖母に聞かされながら育った。祖母の祈り(呪い?)は功を奏したのか、結局俺は修士を取って博士課程に進学してしまった。大臣になるつもりは無いが。
 「人を呪わば穴二つ」という有名な言葉がある。人への呪いはいつか回り回って自分への呪いへ転じる、ひいては人を呪うのであればそれなりの覚悟はしろという戒めの言葉である。「鬼神童子ZENKI」という漢字(と狙いすぎたお色気シーン)がいっぱい登場する懐かしい漫画で言われていたあれである。まあ、他人を憎むことと自分への被害に特段の因果関係は実際のところは存在しないだろうが、そもそも他人へ憎しみを持つことで打開できる事態(そもそも打開しようとする気概ではない)は少ないだろう。文字通り何も解決できない。憎しみによって相手をこの世界から消去しても結局記憶を消すことはできない。一瞬のカタルシス(の擬似めいたもの)を感じて終了である。その後に続く自分への負荷を考慮した行動ではない。
 考えてみれば、憎しみを相手に発する行為自体、実は愛情の裏返しである。自分の価値観を相手に理解(承服)させ、自分の正当性を相手に主張する行為に他ならない。俺はサントリーミュージアム[天保山]で行われていた「井上雄彦 最後のマンガ展」へ行ったことがあるが、展示されていたマンガの中で武蔵が自身の父親である新免無二斎へ向かって言った「憎しみだってつながりだ。」という言葉が呪いの全てを語っていると考えている。結局の所、自分の主張(憎しみ)を相手に伝え、それを認識させ、理解してもらうという一連のプロセスを経なければ、自分の満足は得られない。結局他人を呪うということは、他人を否定しているようで実は他人を尊重しなければ成立しない感情なのである。本当に他人を否定したければ、そもそも無視すれば済む。「憎い」と「どうでもいい」はやはり違う感情だと言える。
 と、客観的に考察し、言葉にできたとしても人間の感情はもっと深く、複雑である。より正確な言葉で言えば、そういった深さと複雑さが個別化されたものだといえる。つまり、他人の言葉による影響は、理解を導いても自分自身の納得を導くことは少ない。具体的な文脈に沿って他人を憎んでいる者が俺の文章を読んでも、「じゃあ明日から他人を憎むことを止めます。意味ないし」といった態度を取る可能性は低い。結局自分と折り合いを付けるのは自分以外存在しないし、それは人生にある多くの選択と等価値の、個人の自由な領域に属する。こういった考察をすると、南アフリカや東ティモールで行われた戦争犯罪者とその被害者の和解事業である真実和解委員会の試みが、いかに無謀(不毛と言ってもいいかもしれない)な試みか、理解できる。10年以上の個別的・具体的な呪いの文脈と、個人を折り合わせる技術は、まさに「人類の希望」、ドラえもんの道具に近いと言ってもいいかもしれない。
 他方で、真面目に生きている人々の多くが「そんなもんやってみないと分かんねえだろが」という人間の可能性を信じており、そういった(時折)無茶な試みの連続が、現在の文明を築いたし、多くの人間の気持ちを繋いできた。この「そんなもんやってみないと分かんねえだろが」という気持ちも、「オマエハイナクナッタホウガイイ」という気持ちも、等しく人間の「他者への繋がりに対する願い」であり、その意味では少なくとも「どうでもいい」という結論に、人間はまだ落ち着いて無思慮になっていないだけましということだろうか。
 

2010年4月12日月曜日

鳴牙駆流牙について

 タイトルの漢字の読み方は「ナルガクルガ」が正解である。この漢字表記、一部の熱狂的なナルガファンが勝手に付けたり、一部の中二病患者がその中二病のあまり「漢字かっこいい」「ハンター名は漢字でお願いします」といった痛い価値観から付けたのではなく、実際に発見された地域で呼ばれていた名前の表記はこうらしい・・・本当か?(http://ryubatu.wikiwiki.jp/?%A4%CA#x11bb067)
 ナルガクルガを初めて見た時にモンハンも新しい時代に入ったな、と思ったものだ。ゲームであんな動きを表現できるとは、と。初見の時は回避性能のついた防具も所持していなかったため、かなり長い間合いを取ってナルガクルガの攻撃が終了したときにカウンター気味に攻撃を当てていたのを覚えている。現在では回避性能のついた防具があれば+1でもナルガクルガの攻撃を全て避けることが可能であるため、いいカモになってしまった。アキヤマなら「カ・モ・な・のぉ~」と言ってしまうだろう。その割には未だに「ナルガクルガが倒せないので手伝って下さい部屋」が建っているが・・・。もっとも回避性能に頼りきってずっと至近距離で戦っていると通称「ビターン」(・・・本当か?)という尻尾を叩き付ける攻撃に泣かされることになる。ミラルーツZ一式でもライフの7割はトぶ。
 ナルガクルガを100匹狩猟すると「迅雷」という称号が手に入るので、キリン30匹狩猟で手に入る「疾風」と組み合わせている人もいる。個人的には「闇に走る赤い残光」という痛い名前のBGMが気に入っているので100匹狩猟することもそこまで苦痛にならなかった。常に1匹登場するクエストしかないドスギアノスよりはマシな作業だろう。ちなみにナルガクルガはMHP3でも登場が確定しているらしい。