今年の2番目の標的であったTOEFL-IBT100点を達成した。
100=R30、L25、S20、W25だった。
俺はもっと賢くなる。
2010年10月27日水曜日
2010年10月24日日曜日
1日寝かせる
エッセイなり論文なり、何かしら重大な文章を作ったときは、それが現段階で最高のものであっても、とりあえず寝かしてみるといいと思っている。
時間が切迫している時は別だが、個人的にはたとえどんなに自分自身で客観的な目で眺めているつもりであっても、文書を作成した今日の今日では、未だ書くという行為の熱狂のただ中に居て、欠点や足りない部分を眺める視点を持てないと思う。このブログに載せるような与太話なら別だが、重大な文章を眺めるためには落ち着いた目が必要である。
・・・・というわけで、今日作成した文章は次の日の自分に投げよう。頑張れ次の日の俺!!
時間が切迫している時は別だが、個人的にはたとえどんなに自分自身で客観的な目で眺めているつもりであっても、文書を作成した今日の今日では、未だ書くという行為の熱狂のただ中に居て、欠点や足りない部分を眺める視点を持てないと思う。このブログに載せるような与太話なら別だが、重大な文章を眺めるためには落ち着いた目が必要である。
・・・・というわけで、今日作成した文章は次の日の自分に投げよう。頑張れ次の日の俺!!
2010年10月21日木曜日
今後の流れ
そもそも留学ブログとして開設したくせにいつも適当な与太話を書き綴っていたKであったが、着々と留学への準備を進めていたのであった・・・。というわけで今日は今後の予定を少し。
(1)出願校について
昔の投稿を読んでもらえば分る通り、俺はLL.M 取得を目的に留学を目指している(いた)。今年の出願予定校は以下の大学
1. Harvard University (Deadline: December 1)
2. New York University (Deadline: December 1)
3. University of California Berkeley (Deadline: December 1)
4. Northwetern University (Deadline: January 17, 2011)
5. University of California Los Angeles (Deadline: February 1, 2011)
難易度的にはHarvardが一番難しい・・・とされているが、「入試」手続き的には実はNorthwesternが厄介である。俺は今年それで一発逆転大勝利を収めたが、日本人が苦手な面接があるからだ。
(2)奨学金
とりあえず今後の展開で確定的に言えることは、フルブライト奨学金との人生2度目の面接が11月に行われるということだ。これは重要である。去年の合格者の数からすると、Lawの分野は激戦区の1つだと言っていい。
実は去年は進路に関してやることが山ほどあったことと、俺は自分がLL.Mに合格することを全く信じていなかったので、TOEFLスピーキングの準備と同程度しか、フルブライトの面接には準備して行かなかった。だからこの2回目のチャンスは徹底的に準備をして臨みたいと思っている。想定問答の作成と、毎日のシミュレーション、自分の専門分野に関する基礎知識の掘り下げの繰り返しをやっていく。
(3)出願書類の作成について
TOEFLに関して言えばそれが足を引っ張らないレベルになるまではあと1歩である。実は求めらている点数を取らなくても合格できることは俺の今年の合格が既に示しているが、それでもリスキーであることには変わりが無い。
出願書類に関して言えばNYUが厄介である。Transitional Justice Scholars Program を俺は狙っているので、エッセイというよりここにはまともな論文の水準の(だけど長すぎない)文章を提出しなければならない。これも現在の構想からすればあと1歩というところだろう。
推薦状については、現在の指導教官、法学部だった時の先生2人の3通を用意する。幸いこの点に関して言えばそれほど心配していない。真面目に授業に出て凄まじい成績を残していった過程で、俺は多くの「良い先生達」に自然に出会えたからだ。
というわけで、天王山の戦いの中でもここからが修羅場である。それでも毎回言うが俺はこういう時間が自分の人生にあって本当に良かったと心から思う。
(1)出願校について
昔の投稿を読んでもらえば分る通り、俺はLL.M 取得を目的に留学を目指している(いた)。今年の出願予定校は以下の大学
1. Harvard University (Deadline: December 1)
2. New York University (Deadline: December 1)
3. University of California Berkeley (Deadline: December 1)
4. Northwetern University (Deadline: January 17, 2011)
5. University of California Los Angeles (Deadline: February 1, 2011)
難易度的にはHarvardが一番難しい・・・とされているが、「入試」手続き的には実はNorthwesternが厄介である。俺は今年それで一発逆転大勝利を収めたが、日本人が苦手な面接があるからだ。
(2)奨学金
とりあえず今後の展開で確定的に言えることは、フルブライト奨学金との人生2度目の面接が11月に行われるということだ。これは重要である。去年の合格者の数からすると、Lawの分野は激戦区の1つだと言っていい。
実は去年は進路に関してやることが山ほどあったことと、俺は自分がLL.Mに合格することを全く信じていなかったので、TOEFLスピーキングの準備と同程度しか、フルブライトの面接には準備して行かなかった。だからこの2回目のチャンスは徹底的に準備をして臨みたいと思っている。想定問答の作成と、毎日のシミュレーション、自分の専門分野に関する基礎知識の掘り下げの繰り返しをやっていく。
(3)出願書類の作成について
TOEFLに関して言えばそれが足を引っ張らないレベルになるまではあと1歩である。実は求めらている点数を取らなくても合格できることは俺の今年の合格が既に示しているが、それでもリスキーであることには変わりが無い。
出願書類に関して言えばNYUが厄介である。Transitional Justice Scholars Program を俺は狙っているので、エッセイというよりここにはまともな論文の水準の(だけど長すぎない)文章を提出しなければならない。これも現在の構想からすればあと1歩というところだろう。
推薦状については、現在の指導教官、法学部だった時の先生2人の3通を用意する。幸いこの点に関して言えばそれほど心配していない。真面目に授業に出て凄まじい成績を残していった過程で、俺は多くの「良い先生達」に自然に出会えたからだ。
というわけで、天王山の戦いの中でもここからが修羅場である。それでも毎回言うが俺はこういう時間が自分の人生にあって本当に良かったと心から思う。
2010年10月19日火曜日
クージョ 感想
「クージョ」はスティーヴン・キングの書いた、いわゆる「キャッスル・ロックもの」の中でも映画化された代表的な作品の1つである。
いつも通り簡単にストーリーを紹介しておくと、メイン州のキャッスル・ロックという、キングの作品の中ではおなじみの架空の(ファンにとってはほとんど実在の)町において、車の修理工が飼っていた「クージョ」という名前のキャッスル・ロックで最大のサイズのセントバーナードが、狂犬病に罹患して文字通り「狂犬」と化し、偶然車の修理を頼みに来たドナと息子のタッドが、故障した車の内外を挟んでそこにいた狂犬と対峙する物語である。
この物語においては上記した簡単な筋道に沿って展開されるものの、キングお得意の本筋を取り巻く人間の姿を描いた群像劇こそが本当の見所であろう。簡単に言えば、「渡る世間は鬼ばかり」の世界で問題が発生してえなり君とピン子さんが対峙しつつ、回りのろくでもない親戚連中などの姿が描かれるような感じである。「クージョ」を読む前にキングの処女作である「キャリー」を読んでいたため、こういった群像劇調の描写に明確な変化があったことがよく分かる。
勿論、それらの群像劇は卓越した人間観察の賜物であろうが、個人的にTOEFLの帰りのバス(2回目の登場)で読んだ時に感じたことは、「ホラー」あるいは「サスペンス」といった人の恐怖心を加速させる文体を要する作品においては、写実的な、あるいは現実主義的な人間描写と、読者を煽り、導き、疾走させるための描写との間に緊張関係が存在しているなということである。
例えば、多少のネタバレを怖れずに例を挙げると、故障した車の中でドナとタッドが外を徘徊するクージョに恐れおののき、泣き喚くシーンがある。タッドは4歳児程度であるからまだ分かるが、俺はそれを読んでいる時に、「果たして30を越えた女が強化ガラスに守られた車の中で、文脈の前置なしに無条件で子どものように1匹の犬を怖れて泣き喚くものだろうか?」という疑念が湧いた。なるほど、犬が読者である俺の予想を越えてトラかサイ、もっと言えばイビルジョーのようなでかさだったのかもしれない。しかし、やはり「犬」である以上、読者に与える想像の刺激には自ずと限界が生まれてしまうのではないだろうか。車の外をゴジラが暴れ回っているわけではないのだ。現実的な人間の描写としては限界を逸脱しているように見える。
他方で、「クージョ」をホラー、あるいはサスペンスとして成り立たせている「読者の恐怖感を煽る」という無数の要素の1つとして考えれば、ドナは泣き喚く必要があったのだとも言える。「主要登場人物が泣き喚かないホラーなんてホラーではない。考えてみろ?きちんとキングはそのための複線としてドナが家庭内の不和を原因として心神耗弱気味になっていたことも描いていたし、多少小説作法としては幼稚だったがクージョの必殺タックルで車の強化ガラスにひびを入れさせて、【もしかしたら・・・】という描写もしていたじゃないか?お前は彼の人間を描く才能に入れ込み過ぎているんだよ。K君。」という心の声も聞こえた。
この2つの文体の相反する要素の配分を考えるのは骨だなと思うし、多分キングはそれを半分は本能的に行っているんだろうなと思う。「クージョ」は少なくともこのバランスの維持に関しては「許容範囲」ではあるし、それよりもおそらく読者はヴィクとドナの夫婦関係、息子ブレットをめぐる修理工の一家の攻防という、他のそれだけで作品になってしまいそうな秀逸な群像劇に気を取られてしまうだろう。
いつも通り簡単にストーリーを紹介しておくと、メイン州のキャッスル・ロックという、キングの作品の中ではおなじみの架空の(ファンにとってはほとんど実在の)町において、車の修理工が飼っていた「クージョ」という名前のキャッスル・ロックで最大のサイズのセントバーナードが、狂犬病に罹患して文字通り「狂犬」と化し、偶然車の修理を頼みに来たドナと息子のタッドが、故障した車の内外を挟んでそこにいた狂犬と対峙する物語である。
この物語においては上記した簡単な筋道に沿って展開されるものの、キングお得意の本筋を取り巻く人間の姿を描いた群像劇こそが本当の見所であろう。簡単に言えば、「渡る世間は鬼ばかり」の世界で問題が発生してえなり君とピン子さんが対峙しつつ、回りのろくでもない親戚連中などの姿が描かれるような感じである。「クージョ」を読む前にキングの処女作である「キャリー」を読んでいたため、こういった群像劇調の描写に明確な変化があったことがよく分かる。
勿論、それらの群像劇は卓越した人間観察の賜物であろうが、個人的にTOEFLの帰りのバス(2回目の登場)で読んだ時に感じたことは、「ホラー」あるいは「サスペンス」といった人の恐怖心を加速させる文体を要する作品においては、写実的な、あるいは現実主義的な人間描写と、読者を煽り、導き、疾走させるための描写との間に緊張関係が存在しているなということである。
例えば、多少のネタバレを怖れずに例を挙げると、故障した車の中でドナとタッドが外を徘徊するクージョに恐れおののき、泣き喚くシーンがある。タッドは4歳児程度であるからまだ分かるが、俺はそれを読んでいる時に、「果たして30を越えた女が強化ガラスに守られた車の中で、文脈の前置なしに無条件で子どものように1匹の犬を怖れて泣き喚くものだろうか?」という疑念が湧いた。なるほど、犬が読者である俺の予想を越えてトラかサイ、もっと言えばイビルジョーのようなでかさだったのかもしれない。しかし、やはり「犬」である以上、読者に与える想像の刺激には自ずと限界が生まれてしまうのではないだろうか。車の外をゴジラが暴れ回っているわけではないのだ。現実的な人間の描写としては限界を逸脱しているように見える。
他方で、「クージョ」をホラー、あるいはサスペンスとして成り立たせている「読者の恐怖感を煽る」という無数の要素の1つとして考えれば、ドナは泣き喚く必要があったのだとも言える。「主要登場人物が泣き喚かないホラーなんてホラーではない。考えてみろ?きちんとキングはそのための複線としてドナが家庭内の不和を原因として心神耗弱気味になっていたことも描いていたし、多少小説作法としては幼稚だったがクージョの必殺タックルで車の強化ガラスにひびを入れさせて、【もしかしたら・・・】という描写もしていたじゃないか?お前は彼の人間を描く才能に入れ込み過ぎているんだよ。K君。」という心の声も聞こえた。
この2つの文体の相反する要素の配分を考えるのは骨だなと思うし、多分キングはそれを半分は本能的に行っているんだろうなと思う。「クージョ」は少なくともこのバランスの維持に関しては「許容範囲」ではあるし、それよりもおそらく読者はヴィクとドナの夫婦関係、息子ブレットをめぐる修理工の一家の攻防という、他のそれだけで作品になってしまいそうな秀逸な群像劇に気を取られてしまうだろう。
2010年10月14日木曜日
MHP3 体験版 感想
とりあえずMHP3体験版のモンスターを一通り狩ったのでその感想を。ちなみに収録されているモンスターは初見でも1人で十分狩れるものだった。
(1)ロアルドロス
3rdの世界で初めて遭遇したボスモンスター。文字通りごろごろ転がって来る。肉質が全体的にやわらかいので近接だとどれでも普通に戦えるモンスター。新しく加わった疲労という概念のせいでかなりエリア移動を、しかも早い速度で行う。ボルボロス亜種も同様だがランス以外で追撃するのは近接だと難しい。結局最終エリアまで強制的に走らされる仕様に見えてしまう。基本的にいやらしい攻撃も特性も存在しないため、初心者だったらまずこいつで適当に装備を整えるのもありかもしれない。
(2)ボルボロス亜種
こいつと戦ってるとああ確かに「壁」って言われるかもなあと感じた。太刀はリーチが長く、いろいろな攻撃、特に上段斬りがでかい頭に当たってはじかれてしまうため、相性が良くないかもしれない。体感的には片手の方が楽だった。初見だと2段階突進という必殺攻撃に結構びっくりしたが、慣れるとそもそもホーミング性能が悪いため、真横に走れば避けられる。結構1段階だけの割合も高い。足のダメージ蓄積が結構早くダウンさせやすいので、太刀はできるだけ頭を避けて下半身に攻撃をたたき込み、ダウン後に気刃大回転切りまでのコンボを繋げる教科書通りの動きで安定して戦える。こいつも疲れると逃げるので、倒すのに時間を食う場合が多い。
とりあえず最初に孤島に入ったときに今普通に歩いてるけどこれがMHP3の世界なんだなあと、不思議な感じがした。体験版の感想としてエフェクトがしょぼくなった、狩猟後の音楽がしょぼい、等の意見もあるみたいだが、個人的には十分モンハンをしてる感じがあったので特に問題を感じない。結局「住めば都」になるし、ならざるを得ないと思う。
(1)ロアルドロス
3rdの世界で初めて遭遇したボスモンスター。文字通りごろごろ転がって来る。肉質が全体的にやわらかいので近接だとどれでも普通に戦えるモンスター。新しく加わった疲労という概念のせいでかなりエリア移動を、しかも早い速度で行う。ボルボロス亜種も同様だがランス以外で追撃するのは近接だと難しい。結局最終エリアまで強制的に走らされる仕様に見えてしまう。基本的にいやらしい攻撃も特性も存在しないため、初心者だったらまずこいつで適当に装備を整えるのもありかもしれない。
(2)ボルボロス亜種
こいつと戦ってるとああ確かに「壁」って言われるかもなあと感じた。太刀はリーチが長く、いろいろな攻撃、特に上段斬りがでかい頭に当たってはじかれてしまうため、相性が良くないかもしれない。体感的には片手の方が楽だった。初見だと2段階突進という必殺攻撃に結構びっくりしたが、慣れるとそもそもホーミング性能が悪いため、真横に走れば避けられる。結構1段階だけの割合も高い。足のダメージ蓄積が結構早くダウンさせやすいので、太刀はできるだけ頭を避けて下半身に攻撃をたたき込み、ダウン後に気刃大回転切りまでのコンボを繋げる教科書通りの動きで安定して戦える。こいつも疲れると逃げるので、倒すのに時間を食う場合が多い。
とりあえず最初に孤島に入ったときに今普通に歩いてるけどこれがMHP3の世界なんだなあと、不思議な感じがした。体験版の感想としてエフェクトがしょぼくなった、狩猟後の音楽がしょぼい、等の意見もあるみたいだが、個人的には十分モンハンをしてる感じがあったので特に問題を感じない。結局「住めば都」になるし、ならざるを得ないと思う。
2010年10月5日火曜日
2010年10月4日月曜日
ミザリー 感想
世間的にはスティーヴン・キングの代表作と言えば映画化されて大ヒットしたスタンド・バイ・ミーや、グリーンマイルが多く取り上げられているが、個人的には今まで読んだキングの長編の中ではこの「ミザリー」が最も優れていると思う。
ミザリーの基本的な筋を紹介しておくと、交通事故で意識不明となった小説家の主人公が、通りかかった女性に助けられるが、その女性は主人公の小説「ミザリーシリーズ」の大ファンであり、更に頭が完全に狂っていてその上抜け目が無い知能も持ち、主人公を自分の家に監禁して、自分のためだけに「ミザリーシリーズ」の新作を書かせる、という物語である。
何よりこの小説で素晴らしいのはアニー・ウィルクスという、キングの小説の中でもひときわぶっ飛んだ「悪」の描写である。下手な「悪」より「悪」だと言うくらい、徹底的に「悪」である。おそらく90%以上の読者にコイツは流石に死んだ方がいいかもしれないと思わせるほど、どうしようもない人物だ。知能を持った人間が「悪」に染まり、さらに狂気と「悪」を両立させると凄まじいことになるなと思う。
個人的な経験を言えば俺は上記したような「狂気」を持った人間を見た事がある。しかも留学生だ。詳しくは書けないが、実在しない何者かに追われている観念を常に持ち続けてしまい、自身の指導教官をその元凶だと思念下で結び付けてしまったのだ。多分論理が完全に通用しない人間を、俺は彼を通じて初めて理解できた。もっと厳密に言うと、行動原理を縛る規範そのものの定義が全く違っているため、理解できる可能性が極端に小さい人物を我々は「狂人」と表現するのだと理解した。単純に頭が悪いというのとは訳が違う。より積極的な理由で理解できないのだ。
また、アニー・ウィルクスの「悪」性を高める作用を持ったのは、彼女が医療技術を持っていたことだ。専門技術の中でも、犯罪行為実行の有効性という点において、医療技術がいかに優れているか、ミザリーは示している。人間の「痛み」を支配する技術は本当に厄介である。医療を用いて痛みの発生とその回復を繰り返すことで、おそらく多くの人間の心を折り、従属させることができるだろう。
こんなアニー・ウィルクスが持っていた唯一の弱点が、銃でも剣でもなく自分が従属させている弱者が創る「物語」だったという点は、キングの小説が持つ不思議な魅力、「ナイト・フライヤー」の冒頭の献辞の言葉を借りれば、情景の描写ではなく、感情を描写する力、すなわち人間を描く力を上手く表していると思う。キングという作者は人間を書くのが非常に上手い(実はホラーの描写よりも人間の描写の方が優れているのではないか)。この小説では弱者であり、従属させられている主人公の唯一の武器が、アニー・ウィルクスという「悪」が持っている人間性に揺さぶりをかけることだった。彼女が捨てきれていない(むしろ積極的に生の意味にしようとしている)「ガッタ虫」を狙うこと、そして「ガッタ虫」に揺さぶりをかけるような「物語」を描くことが、この「ミザリー」という作品での戦いであった。人間を描くことがいかに「人間の読む物語」として大切かということが、この作品を通じてよく分かる。
ミザリーの基本的な筋を紹介しておくと、交通事故で意識不明となった小説家の主人公が、通りかかった女性に助けられるが、その女性は主人公の小説「ミザリーシリーズ」の大ファンであり、更に頭が完全に狂っていてその上抜け目が無い知能も持ち、主人公を自分の家に監禁して、自分のためだけに「ミザリーシリーズ」の新作を書かせる、という物語である。
何よりこの小説で素晴らしいのはアニー・ウィルクスという、キングの小説の中でもひときわぶっ飛んだ「悪」の描写である。下手な「悪」より「悪」だと言うくらい、徹底的に「悪」である。おそらく90%以上の読者にコイツは流石に死んだ方がいいかもしれないと思わせるほど、どうしようもない人物だ。知能を持った人間が「悪」に染まり、さらに狂気と「悪」を両立させると凄まじいことになるなと思う。
個人的な経験を言えば俺は上記したような「狂気」を持った人間を見た事がある。しかも留学生だ。詳しくは書けないが、実在しない何者かに追われている観念を常に持ち続けてしまい、自身の指導教官をその元凶だと思念下で結び付けてしまったのだ。多分論理が完全に通用しない人間を、俺は彼を通じて初めて理解できた。もっと厳密に言うと、行動原理を縛る規範そのものの定義が全く違っているため、理解できる可能性が極端に小さい人物を我々は「狂人」と表現するのだと理解した。単純に頭が悪いというのとは訳が違う。より積極的な理由で理解できないのだ。
また、アニー・ウィルクスの「悪」性を高める作用を持ったのは、彼女が医療技術を持っていたことだ。専門技術の中でも、犯罪行為実行の有効性という点において、医療技術がいかに優れているか、ミザリーは示している。人間の「痛み」を支配する技術は本当に厄介である。医療を用いて痛みの発生とその回復を繰り返すことで、おそらく多くの人間の心を折り、従属させることができるだろう。
こんなアニー・ウィルクスが持っていた唯一の弱点が、銃でも剣でもなく自分が従属させている弱者が創る「物語」だったという点は、キングの小説が持つ不思議な魅力、「ナイト・フライヤー」の冒頭の献辞の言葉を借りれば、情景の描写ではなく、感情を描写する力、すなわち人間を描く力を上手く表していると思う。キングという作者は人間を書くのが非常に上手い(実はホラーの描写よりも人間の描写の方が優れているのではないか)。この小説では弱者であり、従属させられている主人公の唯一の武器が、アニー・ウィルクスという「悪」が持っている人間性に揺さぶりをかけることだった。彼女が捨てきれていない(むしろ積極的に生の意味にしようとしている)「ガッタ虫」を狙うこと、そして「ガッタ虫」に揺さぶりをかけるような「物語」を描くことが、この「ミザリー」という作品での戦いであった。人間を描くことがいかに「人間の読む物語」として大切かということが、この作品を通じてよく分かる。
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