世間的にはスティーヴン・キングの代表作と言えば映画化されて大ヒットしたスタンド・バイ・ミーや、グリーンマイルが多く取り上げられているが、個人的には今まで読んだキングの長編の中ではこの「ミザリー」が最も優れていると思う。
ミザリーの基本的な筋を紹介しておくと、交通事故で意識不明となった小説家の主人公が、通りかかった女性に助けられるが、その女性は主人公の小説「ミザリーシリーズ」の大ファンであり、更に頭が完全に狂っていてその上抜け目が無い知能も持ち、主人公を自分の家に監禁して、自分のためだけに「ミザリーシリーズ」の新作を書かせる、という物語である。
何よりこの小説で素晴らしいのはアニー・ウィルクスという、キングの小説の中でもひときわぶっ飛んだ「悪」の描写である。下手な「悪」より「悪」だと言うくらい、徹底的に「悪」である。おそらく90%以上の読者にコイツは流石に死んだ方がいいかもしれないと思わせるほど、どうしようもない人物だ。知能を持った人間が「悪」に染まり、さらに狂気と「悪」を両立させると凄まじいことになるなと思う。
個人的な経験を言えば俺は上記したような「狂気」を持った人間を見た事がある。しかも留学生だ。詳しくは書けないが、実在しない何者かに追われている観念を常に持ち続けてしまい、自身の指導教官をその元凶だと思念下で結び付けてしまったのだ。多分論理が完全に通用しない人間を、俺は彼を通じて初めて理解できた。もっと厳密に言うと、行動原理を縛る規範そのものの定義が全く違っているため、理解できる可能性が極端に小さい人物を我々は「狂人」と表現するのだと理解した。単純に頭が悪いというのとは訳が違う。より積極的な理由で理解できないのだ。
また、アニー・ウィルクスの「悪」性を高める作用を持ったのは、彼女が医療技術を持っていたことだ。専門技術の中でも、犯罪行為実行の有効性という点において、医療技術がいかに優れているか、ミザリーは示している。人間の「痛み」を支配する技術は本当に厄介である。医療を用いて痛みの発生とその回復を繰り返すことで、おそらく多くの人間の心を折り、従属させることができるだろう。
こんなアニー・ウィルクスが持っていた唯一の弱点が、銃でも剣でもなく自分が従属させている弱者が創る「物語」だったという点は、キングの小説が持つ不思議な魅力、「ナイト・フライヤー」の冒頭の献辞の言葉を借りれば、情景の描写ではなく、感情を描写する力、すなわち人間を描く力を上手く表していると思う。キングという作者は人間を書くのが非常に上手い(実はホラーの描写よりも人間の描写の方が優れているのではないか)。この小説では弱者であり、従属させられている主人公の唯一の武器が、アニー・ウィルクスという「悪」が持っている人間性に揺さぶりをかけることだった。彼女が捨てきれていない(むしろ積極的に生の意味にしようとしている)「ガッタ虫」を狙うこと、そして「ガッタ虫」に揺さぶりをかけるような「物語」を描くことが、この「ミザリー」という作品での戦いであった。人間を描くことがいかに「人間の読む物語」として大切かということが、この作品を通じてよく分かる。
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