2012年2月24日金曜日

「慾に駆り立てられた男だけが勇者になる。」

タイトルは最近読んだ司馬遼太郎の「女は遊べ物語」という、一見ふざけたタイトルの短編で登場する最近俺が一番凄まじいと思った文章である。
 「人間に勇怯のちがいはない。慾に駆り立てられた男だけが勇者になる。七蔵は、まぎれもなく勇士じゃ」というのが正確な全文なのだが、短いがかなり奥が深い表現である。人間は自分がやりたくてできなかったことを「勇気が無い」、「能力が無い」等の言い訳で正当化しようと図るのだが、本当はより具体的に目の前の何かを心の底から欲しいと思わなかっただけなのかもしれない。もっと言えば、「高い目標へと至る『高尚な』理由」を探すより、自分の中の「(今日は)焼き肉を食べたい。女の子と遊びたい。寝たい。あのゲームをしたい。あの本を寝る前に読もう」といった具体的で身近な欲望と同じレベル、同じ速度感、同じ距離感で人生における目的と自分との関係性を捉えることの方が大切なのかもしれない。本当に欲しいものの前では多分恥や外聞は無くなる。なぜならそう考えた段階で、「今日はコンビニに寄ってジャンプとビールとからあげクンレッドを買って帰ろう。彼女に電話してゲラゲラ笑いながら食おう」といったことと同じレベルの「楽しさ」で、自分と欲しいものの関係性を捉えることができているからだ。これが難しい。本当に欲しかったら「難しさ」なんか感じる暇が無いと思うのだが、やはり難しいのだ。

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