「大神 絶景版」をやった。久しぶりにちゃんと終わるゲームをやったのだが、やはり物語として終わりがあるゲームというものには価値がある、と再確認させられた。そして、ほぼ10年振りぐらいに所謂「神ゲー(ならぬ「大神ゲー」)」と呼んでよい作品に出会ったと思う。
絶景版はいわゆる「HDリマスター」企画のものなので、2006年に発売されたこのゲームの話の筋を今更書くのも時機を逸している感があるものの、このゲームは筆業を使った新感覚アクション以上に物語そのもので人を惹きつけるものを持っている、と思う。簡単な筋だけ書くと、昔ヤマタノオロチという日本人におなじみの妖怪をイザナギと共に退治した大神アマテラスは、闘いの後絶命し、永い眠りについていたが、封印されていたヤマタノオロチの復活とナカツクニにおけるタタリ場の広がりを危惧した神木村の大樹に宿る木精サクヤの力により復活し、復活したヤマタノオロチを退治すべくコロポックルであるイッスンと共に冒険を繰り広げる話である。
話の筋だけ一覧すれば、多くの日本人にとって今更感のある話を今更やっているように見えると思う。登場人物は多くの部分で日本の昔話を基に再構成していて大味な印象を抱かせるし、神話や民俗学に無駄な知識を持っていて、あらゆる物語は史料に忠実でなければならないとする(めんどくさい)者にとっては陳腐に見えるかもしれない。
しかし、「大神」というゲームは、現代的な感覚を取り入れて登場人物の個性を尖らせる、音楽に気を遣う、グラフィックを独特なものにするなどの工夫により、物語を陳腐にしてしまうことを見事回避している。これにより、既視感を覚える展開はむしろ王道で、陳腐に見える史料の改変はオリジナリティとして受け入れられる余地を作り出し、プレイした者の感情を上手く揺さぶることに成功していると思う。「良いゲーム」の1つの要素として「MOTHER2」のような「おとなも こどもも おねーさんも」共に楽しむことができるという性質があるとすれば、このゲームはマリオやポケモンとは異なる方法でこの性質を獲得している。
特にこのゲームの評価はラスト近辺の展開で絶賛を受けている点があるのだが、この点も「MOTHER2」と共通しているものがある。日本における神と人間の関係性の中核を穿つ展開であったことや、そこへ至るまでの主人公の旅路が(個性的な登場人物のおかげで)容易に想起できることなど、ゲームでの主人公における最終決戦の理想像を作り出すための十分な下地を持っていた作品だった。
余談だがもう1点主人公が犬神だったことも「おとなも こどもも おねーさんも」楽しめるゲームを作り出す要因となっていると俺は個人的に思う。(とりわけ日本人としての感覚で言えば)やはり人間の隣に付き添っている動物は猫や馬ではなく、犬であるべきなのだ。ペットの種類としてNo.1のシェアを誇っていることや、あらゆるメディアでの登場頻度が高いという理由などがあるのかもしれないが、日本人は多くの人が犬への慈愛の感情をどこかで共有しており、無理に共感できる台詞や態度を探さなくても、気が付くと多くのプレイヤーは主人公のアマテラスに肩入れしているだろう。「猫派原理主義者」という意味不明のカテゴリーに属さない日本人には是非「大神」をプレイすることを薦めたい。
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