2011年7月26日火曜日

もう一度「宇宙の話をしよう」

 実は現在クソのカスみたいな理由でまだアメリカ合衆国の地を踏んでいない。英文健康診断書の時と同じように、ここで言う「クソのカスみたいな理由」を作り出した人々(DS-2019を俺が2ヶ月ほど前に知らせている渡米予定日の1週間前にやっと送ってきた馬鹿共)を、俺は怒らないことにしようと思う。
 馬鹿に付ける薬は残念ながら本当に無いのだ。純然たる事実として存在しない。多分俺が怒鳴っても来年もこの「クソのカスみたいな理由」を作り出した人々は、「クソのカスみたいな理由」を作り出し続けるだろう。そして「クソのカスみたいな理由」を作り出すことに対して何の責任も負わないだろう。それが他人に迷惑をかけているという事実に対して何の感想も持たないし、毎日を機械のように(性能の悪い機械だな)「クソのカスみたいな理由」を作り出すための時間に充てるだろう。「クソのカスみたいな理由」を作り出して得たお金(なぜそれでお金が得られるんだろう?)でおかずやらご飯やらを買い、家に帰ってシャワーを浴びて、ご飯を食べて、テレビを観ながらビールを飲んで、「今日の『仕事(クソのカスみたいな理由を作り出す仕事)』も終わって今日も終わってめでたしめでたし」で1日を終え、次の日も同じことを繰り返すだろう。俺のような「卑小な」人間は、「訴訟」や「城」での手続きに巻き込まれたヨーゼフ・Kみたいなものである。カフカの小説が素晴らしい点は、こうした「クソのカスみたいな理由」と、それを生み出し続ける人々と、上述したように「馬鹿に付ける薬がこの世界には存在しない」という事実と、そうした事実が「卑小な」人々に迷惑をかけているということを「今そこにただ存在する出来事」として描いている点である。
 というわけで、ただ自分の夢と野望と志のためにアメリカで勉強をしたいだけの俺は、宇宙飛行士が「宇宙飛行士」として毎日を過ごすように、「自分の夢と野望と志のために勉強をしたいだけ」の人間として今のところ毎日を過ごすしかない。「クソのカスみたいな理由」を作り出し続ける人々と同じように、俺は俺として大きな夢と野望と志を持ち続けて、毎日を生きるしかない。少なくとも言えることは、俺は「DS-2019を小学生でも「非常識」と分かるような時期に送ってきて迷惑をかけても全く謝罪もしないし責任も取らない人々」の一員ではなく、ただ「自分の夢と野望と志のためにアメリカで勉強しようとしている人々」の一員だということである。

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