先輩達が職場の空気に耐えられなくなって辞めることになり、僕は彼らの退職を祝した飲み会に参加した。先輩達は揃って課長の諏訪さんの性格と口の臭さに辟易したらしい。僕も彼らの気持ちは分からなくはないが、まだこの仕事を辞めるつもりはなかった。
「なあ、二次会いつものカラオケ屋に行こう。」黒沢先輩がいつもに増して赤らめた顔でそう言った。「おーいいね。行こう。谷原も来いや。今日はあの、あれ最初のドラゴンボールの曲歌うわ俺。あーどーべーんーちゃーっていうやつ。」「いいですよ。僕も行きます。あの駅の裏の方のちょっと見えにくいとこにあるやつですよね。」「いや違うってお前。まあついてこいや。あああとここ俺出すわ。」「いやいやそれはやっぱり送り出す側の僕が出さないと。」「いや、いいんだって。まだ先の長い後輩のためだって。まああれだわ。谷原君、君には最後にカラオケ代を持つという大義を与えよう!」こうして僕たちは馴染みのカラオケ店へ向かった。
途中で黒沢先輩がどうしてもセブンイレブンに行きたいと言い出したのでカラオケ店に着くまで20分以上かかった。どうしてもフランクフルトが食べたかったらしいが、あいにく売り切れていて、代わりに彼は「あの高いアイス食いたい」と笑いながら連呼してハーゲンダッツを5つも買った。「お前にはまだバニラは5年早い」と言われて、僕はストロベリー味を貰った。
べろべろになって他の客となぜか楽しそうに喋っていた先輩達に代わり、僕が受付を済ませた。4時間ほどでいいだろう。どの道もう終電には間に合わない。僕はべろべろになって「たーにーはーらーくーんいーいじゃんかー」とか言っていた北村先輩と黒沢先輩をぐいぐいひっぱって部屋の中に入って行った。
部屋に入ると僕は先輩達のようにネクタイをほどいてソファに座った。「あー俺から俺から。谷原くんさぁ、あーどーべーんーちゃーのやつ探して。」僕は北村先輩の指示に従い、アニメ→ドラゴンボール→摩訶不思議アドベンチャーに辿り着き、リモコンで受信機器っぽいやつに入力した。
しかし、反応が無い。「お前ちゃんと入れた?ちょい見せて。」黒沢先輩が僕の手からリモコンを取り、再び摩訶不思議アドベンチャーを入力した。しかし何の反応もない。「ちょっと店の人呼んだ方が早いかもですね。うん。」僕は部屋の壁に備え付けられた電話機を取ろうと立ちあがった。まあよくある問題だろう。
がしん。と音がした。北村先輩が受信機器をげんこつで殴っていた。かなり強い叩き方だった。「いや、ちょっと先輩、今電話して来てもらうんでちょっと待ってて下」がしん。北村先輩が再び受信機器を殴った。「いやいや北村ちょい待てって。今来てもらうから。な?それで」がしゃん。北村先輩は今度は機器を革靴を履いた足で蹴りつけた。黒沢先輩が立ちあがって後から北村先輩を羽交い締めにした。
「ちょっ・・・酔ってんだろ・・・いたっ!痛ぇなおい!足踏むなや!おい!!」北村先輩は体をぐわんぐわん揺らしながら地団太を踏んで、黒沢先輩のつま先を踏みつけていた。「おらっ!!止めろって!!痛っ!くそがっ!」黒沢先輩は北村先輩を前に突き飛ばして、受信機器に叩きつけた。北村先輩の胸の辺りが機器にぶつかって鈍い音を立てた。
僕は前のめりに機器につんのめった北村先輩の刈り上げた後頭部を見ながら、面倒なことになってきたなと思った。家に帰りたくなってきた。眠たくなっていた。僕はソファの上に置いていた鞄と背広を掴んで部屋を出た。部屋を出ると廊下を受け付けで見た顔のバイトらしき青年達が2名こちらに向かって走ってきていた。
「ああーあのすいません。今中で暴れられてますよね?あっちょっ待って」坊主の方の青年が帰ろうとする僕の肩を手で掴んだ。「いやーこちらも困るんですよー。ちょっと問題があると。あとでこっちの上の人間にもいろいろ説明しないといけないですし。居てもらわないと。」僕は声を震わせながら説明する彼の不細工な厚ぼったい唇を見ながら、どうしようかと思っていた。僕の肩に置かれたままの手を振り切って帰ろうか。「あっ・・・・じゃあ早く中に行きましょうか。まだ暴れてるかもしれないですし。」僕は廊下を引き返して先ほどまで居た部屋のドアを再び開けた。
部屋の中に入ると先輩達が摩訶不思議アドベンチャーを歌っていた。「このよーはーでっかいたっかっらっじまっ!そうさーいまこそーーあどべーんーちゃーーーー」
青年達は特に表情もなく扉を開けたまま先輩達を見ていた。厚ぼったい唇の方じゃない公務員みたいな顔をした青年の方はじろじろ部屋の中を見回していた。僕は彼らの横をすっと抜けると、入り口のある方へ背広と鞄を手に持って歩いて行き、外へ出た。冬なので空の星は割合はっきりとしていた。僕はさっき先輩達と一緒に入ったセブンイレブンに行って、週刊少年ジャンプか週刊少年マガジンがあればどちらかを買って始発が来るまで駅で読もうと思った。僕も会社を辞めようと思ったのはその時である。
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