2012年3月9日金曜日

Core と Penumbra

H.L.A.ハートという20世紀を代表する法思想家が居る。NYUに通っているのだからドウォーキンに触れるべきだと思うのだが(俺は多分一回Vanderbilt Hall付近ですれ違ったと思う)、最近憲法の授業で触れたGriswold v. Connecticutの判例で、多数派意見を書いたWilliam Douglasが、判例中に"Penumbra"という、通常の英語の文章ではまずお目にかかれない「法の概念」内でハートが展開した自身の司法裁定論を説明する際に用いた用語を使っていたので、ハートを思い出した。
 ハートが自身の司法裁定論の中で展開したCoreとPenumbraの概念についてものすごく簡単に言及しておこう。彼はあらゆる法律には「意味が万人に確かであるCore(中心)」の部分と、「意味が不確かで構成的な解釈が必要とされるPenumbra(半影)」が存在すると考えた。Coreの部分については裁判官が自身の裁量を展開する余地は極めて狭いが、Penumbraの部分については、裁判官がそれぞれ法の構成要素とされる「何か」、日本の判例で言えば「社会通念」などの政治的かつ構成的な解釈によって法を創り出す必要があり、その限りにおいて法は不確実性を有することとなる(彼の司法裁定論はまだまだ長く、本当に説明しようと思うといつも通りシリーズ化する必要があるのでここでは省く)。
 DouglasはGriswoldにおいて、明示的にこの概念を利用して自身の法理を展開している。Griswoldは、いわゆるプライバシーの権利について、アメリカの最高裁が初めて言及した重要な事例である。Douglasは、前提として修正第9条にある通り合衆国憲法は憲法内に列挙されていない権利を認めないわけではなく、人民が有する「根本的な権利」については、法的に保護されうる価値であり、「プライバシーの権利」を明言する条文は憲法内に存在しないものの、修正第3~5条のPenumbra(半影)の部分において、憲法は個々人のプライバシーが保護され得ることを黙示していると述べた。例えば、修正第3条はCoreの部分だけを読むと軍隊の舎営の制限という、軍人の有する権利に関するネガティブな制限として解釈されるが、他方で平時における「軍人の舎営によって個々人の生活の平穏が乱されない」という、プライバシーの権利の構成要素についても言及していると解釈されうる。彼は憲法の条文のPenumbraの部分において、人々が有する根本的な自由の前提である「プライバシー」という価値が含まれていると解釈したのである。
 Griswoldの判決が言い渡されたのは1965年であり、時期的にもハートが「法の概念」を発表した1961年に極めて近い。この時期はJudicial Activismが輝きを放ったWarren Courtの時代であり、GriswoldはWarren Courtの最終期の判例である。Douglasは、自身の法理の中にハートの司法裁定論を取り入れることで、次の時代における予期された市民権の拡大・人権理念の拡大に着手し始めていたと言えるのではないだろうか。

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