2013年5月24日金曜日

海流のなかの島々 感想

 そう言えば彼女に「ブログは3日に1回ぐらいのペースで更新して欲しい」とか言われていたので、じゃあ今まで俺が読んできた本でも思い出しながら感想でも書くことにする。ぱっと思いついた本は今回はヘミングウェイの「海流のなかの島々」である。
 「海流のなかの島々」は、リンク先で書かれている通り、彼の最晩年の作品の1つである。死んだ後に彼の妻によって発見されて勝手に出版された類の本なので、その意味ではそもそも作品はすべて捨ててくれと言っていたのに勝手に出版されたカフカと同様、出版するつもりで作者が書いたのかも不明である。ヘミングウェイの作品の中では名高い「老人と海」と情景描写が非常に近いものがある。「海流のなかの島々」の第4章が「老人と海」らしい。
 いつも通り超適当あらすじを書いておくと、本作は3章から成り立っており、第1章「ビミヒ」、第2章「キューバ」、第3章「洋上」という、連続しているようで連続しているのかどうかは不明な世界線上で、トマス・ハドソンという男の人生を描いた作品である。ここで言う「連続しているようで連続しているのかどうかは不明な世界線」は、各章ごとに場面の跳躍があるために生ずる現象で、ヘミングウェイのファンなら彼の素晴らしい短編である「ニック・アダムズもの」を読んでいるつもりで読むとまあ納得はできる。共通しているのはどれも海と男が登場する物語であり、ヘミングウェイの作品なので、当然この男、彼が自分を投影したトマス・ハドソンは幸福ではない。ヘミングウェイの卓越した「切り詰められた文体」で、一人の男の人生が描かれている。
 俺はこれまで読んだ本の作者の中で、トーマス・マンと並び、アーネスト・ヘミングウェイはかなり優れた技術の持ち主の1人だと思っているので、そこらへんの話はいつか適当な時に「誰がために鐘は鳴る」の感想を書いた際にでも書くことにする。ここでは、俺が「海流のなかの島々」で一番好きな場面について書く。
 俺が一番好きな場面は、中盤から後半ぐらいで、主人公があるバーに入って「フローズン・ダイキリ砂糖抜き」をがばがば飲みまくるところである(隣のオカマ野郎はハイボールを飲む)。なぜこの場面が好きかと言うと、俺が大学生の時に酒を飲むきっかけとなったからである。今でも多少はそうなのだが、俺は酒を飲むという行為に、20歳になって以後もかなりの期間全く関心が持てなかった。しかし別にこれは酒に限ったことではなく、俺はお菓子やらアイスやら、3食必要な量以外の食事を摂るという行為や、必要な睡眠時間以外に設ける昼寝の時間など、それらの必要外の行為を文字通り必要外として見做す謎の禁欲精神を持っていたので、酒もその例外ではなかったと言った方が良い。
 このような禁欲精神は、それぞれ禁欲の対象となっている事物ごとに次第に失われていった。昼寝については彼女が昼寝ばかりする困った人種だったせいであったのだが、酒については、間違いなくこの「海流のなかの島々」を読んだせいである。とにかくこの主人公がなぜ沢山ダイキリを飲むのかが気になってしまい、酒店で当時は多く売られていたカクテル・パートナーのダイキリばかり買って飲むようになった。酒はイメージで飲むものだと思う。俺の場合は「海流のなかの島々」が自分の中に酒のイメージを作ったのだ。別に味が良いとかどうかは全く分からないのだが、ダイキリが好きになった。その結果、次第にじゃあビールを飲んでも良いかもしれない、他のカクテルも良いかもしれない、ということになり、「事後的」に酒の美味しさが分かるようになったのである。
 というわけで俺が酒を飲むようになったのはヘミングウェイのせいである。飲酒運転等で逮捕されたり、「原因において自由な行為」として酒の力を借りて犯罪行為に及んだ場合は、是非「ヘミングウェイのせいです」などと供述しようと思う。

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