2010年8月13日金曜日

聖剣伝説 Legend of Mana 感想

 実はこの夏一番の大作だと個人的に思っているのが最近ゲームアーカイブスで600円で配信された聖剣伝説 Legend of Manaである。
 このゲームは1999年にプレイステーション用ソフトとして販売されたものである。10年以上前のものにも関わらず、他のゲームがまだこのゲームのシステムに追いついていないように見えてならない。世界を自分で広げるシステム、ゲーム史上に残るほどの無意味とも言えるやり込み度を持つ武器防具作成システム、そして、何より個人的に素晴らしいと思ったのが各シナリオの台詞、キャラクターの設定等である。
 このゲームにはメインシナリオと呼べるものが存在しない。全68のシナリオは基本的に一話完結型で、長編となるシナリオ3本のうち、1本をクリアすることで最後のシナリオへと進めるようになっている。特に素晴らしいと思うシナリオは長編では宝石泥棒編とエスカデ編、サブシナリオでは「夢の檻の中へ」や「サボテン」である。
 特にエスカデ編は中学生のときにやったときには結局何が言いたかったのか分からなかったが、最近やってみるとこれが他者同士が理解しあうことの関係内在的な要因の不安定さと、時代が変動する状況という関係外在的な要因の複雑性を描いていることが理解できる。言葉が相互理解を導かず、関係は破綻し、誰も救われない状況が時として存在するものの、関係外在的な他者からすれば、物語的に描かれることで時代の変化という正の価値判断を抱かせる事象となっている「状況」や、「環境」が描かれている。
 中学生の時はエスカデという存在がどう考えても相互理解を妨げる「悪」にしか見えなかったが、時代の変動という事象を物語的に感得させるという目的においては、彼はむしろ「正義」であった。彼を仲間にせずにルシェイメアに向かうと、ラスボス直前で彼が「英雄になれ」と言い残して息絶える姿を見ることになるが、アーウィンやダナエへの単純な関係内的な憎悪ではないこの言葉が彼が単なる「悪」ではないことを象徴している。本作品のシステムのあり方と若干抵触するものの、作品内に一定の時代の流れをもっと描写することができればこのシナリオはまだ良くなった。
 残念なことに、現在では「聖剣伝説」ブランドは完全に凋落していると言ってもいい。ウィキペディアに詳しく経緯が書いてあるが、これだけの物語を作る能力を持った人材がこの作品をもって全員当時のスクウェアから退職してしまったことが1つの大きな要因であろう。スクウェアは彼らを手放すべきではなかった。その後のスクウェア系列の作品は、ファイナルファンタジーという看板を盾に「物語」を欠いた美しい映像を垂れ流す「映画」になってしまった。RPGはプレイヤーが参加できる「物語」でなければならない。どれだけ綺麗な映像でごまかしても、登場人物が空っぽの言葉を喋り、プレイヤーが自分を投影し、何かを得ることができないRPGは駄目である。

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