2019年12月31日火曜日

今更ポケモンGOフェスタ2019のために横浜に行っていたことを思い出しながら書くわ


夜のピカチュウイベントの様子

 そういえば4~5か月ぐらい前にポケモンGOフェスタ2019のために横浜に行っていた。俺も彼女も外れたが、彼女側のフレンドが当たっていたのでフレンドに誘われた彼女について横浜に行った形である。つまり俺はただの横浜旅行であった。

これもう横浜でしか開催できないんじゃないか・・・というイベントの様子

 ポケモンGOのイベントだけではなくいろいろ抱き合わせでそもそも長年やっていたポケモン関連のイベントが組み合わされており、横浜は商売が上手い。ポケモンGOは結局のところ客観的には何もない場所をうろうろしまくるゲームなのだが、このように他に観るものがあるとついでに観光をする気にさせる。パフォーマンスの質が異様に高い点に驚愕した。他の地域で開催を望む声があるが、このように練度や負担を求められるイベントと抱き合わせてちゃんと観光としての価値を生み出せるのは実際には横浜くらいなのではないか、と思わされてしまう。

この3年で明らかに変わったことの1つ。

 また、2017年に横浜の同じ場所でやっていた頃には無く、今のポケモンGOに明確にあるのが有名企業との明示的なタイアップであった。2017年のころには赤レンガ倉庫からカップヌードルミュージアムに行く道端にSoftbankなどのWifi中継車が来ていただけだったが、この2年でこのゲームはいろいろな企業とタイアップを進めてきており、2019年のイベントでは様々な店舗が出店していた。最初の頃のポッポとビードルしか出ず、ジムの仕様が必然的に新参者が入り込みにくい時代には結局誰もやらなくなるんじゃないかと思ったりもしたが、結局今でもミュウツーや黒いレックウザが出れば移動すら困難になるような人だかりができるゲームになった、というのはポケモンと(ソーシャルゲームとしては)実は丁度良いぐらいの単純なゲーム性の魅力を表していると思われる。

会場には相変わらず見どころがある。当選者には特に。

 ・・・というのを楽しんでいる彼女(だけ)を後目に考えたりした。このイベントはちゃんと残酷で敗者には何ももたらされないため、何も無い落選者の場合は会場に何も出ない仕様になっている。よしよしちゃんと敗者は何も手に入れられないんだな・・・と会場に入ると何も出なくなる画面を見ながら俺は会場を去って時間を潰しに、というか空いた時間で仕事をしに行くのであった。

ジョーカー 感想

 11月ぐらいにジョーカーを彼女と観に行っていた。前評判からすると質の高いサイコ映画という印象だったが、観た後は「うーん、そうかなぁ?質の高いサイコ映画はもっとサイコな感じでは?」という感じである。
 適当にあらすじをまとめておくと、ゴッサムシティというろくでもない街で大道芸人の仕事をしながらスターになることを夢観ている突然笑いだす持病を持ったアーサーと呼ばれる若き日のバットマンシリーズのジョーカーが、ろくでもない住民たち(理由もなく仕事を邪魔するクソガキ、不義理な同僚、事情を聴かない上司、ありもしない妄想だけを生きがいにしている母親、異様に絡んでくる電車のサラリーマン)などとろくでもない関わりをする内に「異様に絡んでくる電車のサラリーマン」を「不義理な同僚」からもらった拳銃で皆殺しにして、たまたまそのサラリーマン連中がゴッサムシティの上流階級で当時階層間闘争が過熱していたため下級階層の英雄とみなされ、「事情を聴かない上司」からクビにされた後に場末の飲み屋で不器用なコメディアンとして勤務していたら、その不器用さに目を付けた自分たちが自分たちと異なる連中を笑いものにしていると気づいていない連中からテレビ出演を持ち掛けられ、テレビに出て「自分たちが自分たちと異なる連中を笑いものにしていると気づいていない連中」の代表格を公衆の面前で射殺する話である。
 この「自分たちが自分たちと異なる連中を笑いものにしていると気づいていない連中」という部分が必要無い。「異様に絡んでくる電車のサラリーマン」と、「不義理な同僚」を殺すシーンはあっても良い、と思う。しかし多分「異様に絡んで」こなくても「不義理」でなくてもそれがサイコパスの話なら不意に殺した方が良い。不条理な境遇で虐げられている、という部分も必要ではない。個人的にはとにかく物語で人を殺したり殺人鬼になることに無駄な理由を付け過ぎている部分が嫌いであり、殺人という行為を大袈裟に描写する必要も無いと思う。そもそも俺が前評判で「俺の中のサイコ映画」みたいな期待を抱いていたのが間違いだが。理由は無いが人を好きになるようになんとなく殺した、というのが本来のサイコパスとしての一貫性ではないか、と勝手に期待をしていた。

デス・ストランディング 感想

 デス・ストランディングを昨日というか今日の深夜1時ぐらいにかけてクリアした。MGSVの前情報やら中情報やらがMGSVの後にクソゾンビゲーを出したクソ企業のせいでろくでもなく完全に触れていないため小島監督の作品をまともにやるのはMGS4以来である。発売日当日にダウンロード版を購入していたが、途中で全くストーリーを進めなくなり、異様に道路作りに執着し始めた上、西海岸から東海岸に戻る下りでちょっとやめよっか、という気分になっていたため12月31日まで時間がかかった次第である。
 いつも通り適当にストーリーを文章を切らずにまとめておくと、「DS(デス・ストランディング)」と呼ばれる現象が起き第6の絶滅期に入ってBTというあの世の化け物が跋扈するようになった各都市の「つながり」が断たれたアメリカでポーターとして勤務していたサム・ブリッジズが、仕事の過程でBTとの対消滅に巻き込まれて目が覚めると元職場のBRIDGES(=実質的にはその世界の合衆国政府機関)に所属している義理の姉のアメリから西海岸から東海岸まで旅をしてカイラル通信と呼ばれる通信網をつないで欲しいと言われ、西海岸から東海岸まで仕方がなく赤ん坊のBBと旅をしていく中でやがて「絶滅体」と呼ばれる存在の正体とDSの真相を知る・・・という話である。「DSの真相を知る」といっても多分謎だらけである。
 このゲームは単純に言うと配送業ゲーである。サムに依頼をする連中がいるので連中が求める荷物を運ぶゲームが「デス・ストランディング」である。この字面だけを読むとクソゲー臭がするが、例えばより効率的な配達のためにBTやミュールと呼ばれる盗賊を狩って資材を集め、悪路に(1人用)高速道路を通し、山岳地帯にジップラインを通して開発し、どのように機能するか試していく、ということをやっていくと普通に100時間ぐらいは飛ぶんじゃないかと思う。このような「開発」と試行錯誤、そして小島監督が作った話がこのゲームの本質的な魅力である。上述した「配送業ゲー」という平たい捉え方をすると全然面白くないのだが、本質的な魅力に気付くことができれば素晴らしいゲームであった。今年は俺も14のパッチ5.0の際に言及していたSEKIROが最高のゲームであったが、デス・ストランディングにも固有の魅力がある。とりあえず道路を作ってほしい。
 また、このゲームについては終わり方を含めてこれから小島監督は死ぬまでゲームを作り続けるんだろうな、と思えるような、次の作品に向けて進んでいくような終わり方であった。彼の作品を追ってきた人間であれば多分安心するだろう。

2019年9月9日月曜日

MHW:IB 感想(2)

 MHWになってから続く???を狩猟し、また裏面のやりこみ要素が登場した。おそらく表面は終了したと思われる。結局ディノバルドシリーズ混合装備でスタッフロールが流れるところまではやった。また、MHXXで見られた二つ名モンスターが実装されており、二つ名のヴァルハザクを倒して龍太刀を作って古龍戦に対処した。以下が印象に残った。


1.溟龍ネロミェール

 MHW:IBで新登場の古龍。イヴェルカーナは氷を生成するが、こいつは水を生成する・・・と見せかけて電気も使うという変則タイプである。もっとも電気を使うといってもライゼクスやベルキュロスなどとは異なり放電して飛ばしてくるというわけではなく、帯電して地面の水を通電させる、という形で使う。見た目は4足歩行のクシャルダオラ系。
 古龍だ、という事前情報が入るので普通にヴァルハザクの新しい龍太刀を作って戦った。結構殴れるのだが、部位耐久値が高いのか手ごたえが無い時間が続く感じ。地面を液状化させる、という謎の能力を持ち、それをうねうね速く動いてくる。
 水の場合、プケプケ亜種でも厄介だったが炎や雷よりなぜか飛ばす速度が速い、という設定がされている。そのため反応しても回避不可能という状態になることが多かった。
 
2.MHW:IBの???について

 気持ち悪い。顔が人間っぽいのが良くないのかもしれない・・・。地脈に影響を及ぼす「大いなる存在」とやらだが、「大いなる存在」が古龍とは別のシリーズ化するのかと思いきや結局こいつも古龍=自然災害の象徴として扱われるらしい。
 前後半に明確に分かれており、前半は岩の巨人、後半はこの気持ち悪い奴、という構成である。途中に装甲がはがれて中身の気持ち悪い奴が出てくる。攻撃方法については地面を隆起
 前作の???をやってダークソウルっぽいとか述べていたが、今作のこいつと合わせてどちらかというとブラッドボーンっぽいという感想を抱いた。これで宇宙から来た、とか言い出さないかと心配したが、まだ自然災害の範疇で済むらしい。
 動きとしてはのろい前半と空気砲みたいなものをレーザーのように気持ち悪い管から撃ってくる後半で違いがある。後半については張り付くことになるのだが、最初は殴れる後ろ脚が固く、前足や頭を殴りに行くと空気に当たる、という仕組み。動きはそれほど早いわけではないので延々殴り続けることになる。終わった後に装備を見て確認したが、弱点は実は龍ではなく氷で、パッケージモンスターの武器はここで使え、ということらしい。
 終わるとスタッフロールが流れ、「導きの地」なる完全なやりこみ要素が出てくる。

2019年9月8日日曜日

MHW:IB 感想(1)

 とりあえず新しい古龍を狩猟するところまでやった。全然モンハンに触っていなかった反動で寄り道しまくって無駄に装備とか作りまくってしまった。イヴェルカーナまではディノバルド原種・亜種の混合装備でいつもの斬れ味レベル+と耳栓と砥石使用高速化とあといろいろ発動させている感じである。以下が印象に残った。

1.MHW:IBで印象に残った変更点

 MHXシリーズからディノバルドという面白い方の部類に入るやつが引っ越ししてきたり、ティガレックスやナルガクルガをはじめとするいつもの面々がリアルになって復活している。モーションや最高のBGMを生かしつつ、PS4に移行したことでできるうねうね感を増した感じ。対策などは知っていればそのまま通用する。数年ごとにモンハン知識をためされている。
 また、地味に素材の一括BOX送信が(もう終わってしまう)MHF以外だと現行で動いているモンハンでは(今更)初実装であった。MHFをやった時に全くリアクションがなかったが実は地味にかなり便利な機能であった。
 評判が悪かった(と思われる)拠点側の受付嬢は、光の当て方か若干の整形なのか分からないがちょっとだけ良くなっているような気がした・・・。新しい拠点で導入された燃料ガチャなる意味不明な機能で大当たりを引くと、この人こんなポジションだったか、という感じの動きをアップで見せてくる。

2.冰龍イヴェルカーナ

 新しい古龍でありパッケージモンスター。いつも通り位置づけとしては村クエがひと段落するまでの牽引役である。IBの「氷」感を象徴する存在。
 俺の初見での印象は悪く、太刀を使って切っているとスーパーアーマー付きの突進で途中ではがされることが本当に俺を苛立たせた。また、精密動作をする尻尾で最初は「またかよ」という感じの邪魔を何度もしてくる点が厄介であった。慣れるとあの尻尾も避けられるようになる。
 覚醒型のモンスターなので氷纏い状態をはがすとダウンしてくれたり割合全体的にメリハリのある戦いができる。弱点が火であの段階だとちょうど良いくらいのディノバルドを狩ると真面目な対策が可能であるように作られている。太刀でも狙いにくいが羽が柔らかい。
 なお、これまでクシャルダオラが属性としては氷を司ってきたように見えるが、そもそもMH2系の時から「雪山で風を撃っていたら雪だるまにできた」というのが彼の実態であり、クシャルダオラ自体は龍属性の風を純粋に使う存在である。それを考えると、ちゃんとした四足歩行の龍で直に氷を生み出す古龍は全属性使えるアルバトリオン以外だと実は珍しいかもしれない。

2019年9月6日金曜日

祝!MHW:IB発売!!

MHW:IB発売!なんか全然やってなかったがやっぱりモンハンは最高だぜ!!

2019年7月5日金曜日

FFXIV 漆黒の反逆者 感想 

 昨日FFXIVの最新の拡張ディスクである漆黒の反逆者を無理矢理なんとか終わらせた。今年出たゲームではSEKIROを超えるものはないと思っていた。しかし実はMMO RPGという括りではなく、RPGで、「ファイナルファンタジー」シリーズで、という条件が付けば、今回の漆黒の反逆者が今年は最高のゲームだった、という結論になるのかもしれない。
 いつも通り適当なあらすじを書いておくと、前作紅蓮のリベレーターでのメインストーリーが終了後に帝国と同盟軍との戦争が始まっていた最中、突如謎の声に導かれて元々いた原初世界から第一世界に転移させられた主人公が、第一世界から夜を奪っている「光の氾濫」の原因を生み出した「罪喰い」と呼ばれる存在との夜を取り戻す戦いに身を投じていく内に、やがて主人公が元々いた原初世界を含む全世界が今の形で存在している理由を知る・・・という話であった。
 素晴らしい「ファイナルファンタジー」だった。今回は「フェイス」と呼ばれるNPCとID攻略が可能であるシステムや、暁の面々がそれぞれ抱えている問題に向き合う経緯を細かく描いたこと、そして何より過去の「ファイナルファンタジー」と比較しても重厚な筋の通った背景と言葉を持ったエメトセルクというもう1人の「反逆者」との対立を描いたことが、主人公や仲間の行動に説得力を持たせることに繋がったのではないかと思われる。特にエメトセルクについてはもう今回の拡張が最後であったとしても全く問題が無いような位置づけがされた存在であった。普通のシリーズもののRPGであればその判断がされても全くおかしくないと思われる。BGM、IDの設定、展開全てにきちんと雰囲気だけではなく物語上の必要性を感じられる作りになっている。きちんと作られているが故に、最近「ファイナルファンタジー」シリーズを制作している企業が作るゲームで繰り返されているDLCによる補完の必要性を全く感じない。反対に、メインストーリーが終わった後にはちゃんと1つの物語が終わったということを感じることができる。
 また、昼を取り戻す戦いであったことや、主人公の宿敵とされる人物が旅に帯同してくる点など、一応シリーズの系譜としては本作の後に位置づけられるFFXVに影響を受けたのか・・・とも思ったりしたが、実際にはその作品よりははるかに「ファイナルファンタジー」シリーズとして質が高い、と言わざるを得ない。きちんと説明が存在するということ、そのために必要な重さを持った言葉が登場人物に与えられているということが本当に重要なのだと思う。FFVIIのリメイクが既に発表されているが、それまで何か今世界で出回っている「ファイナルファンタジー」シリーズでできるだけ新しいものをきちんと「ファイナルファンタジー」としてプレイしたい場合、この漆黒の反逆者は間違いなく薦められる一作である。

2019年2月27日水曜日

Fantôme 感想

 先日とある事情で合計30時間ぐらい拘束される状態になった際に宇多田ヒカルのアルバムである「Fantôme」を20回ぐらい狂ったように繰り返し聴きまくる機会があった。「ファントーム」というタイトルはフランス語で幻や気配を意味するらしい。俺は1曲目の「道」、8曲目の「荒野の狼」、11曲目の「桜流し」が好きであるが、このアルバムの曲はどれも曲が進んでいくほど「展開」しているような感覚があり、それを確認するために狂ったように聞きまくったのだと思われる。あーこんな調子でどんよりしていくのかと思うと複雑になったり飛んだり跳ねたり進んでいる感じ。
 1曲目の「道」については上記リンク先に書かれているようにどう考えてもこれがいきなりアルバムの軸になっている。この曲は居なくなった人間が「幻」や「気配」として自分と共にあるというこのアルバムのタイトルそのままをそのまま歌っている。アルバムの1曲目としてもこの先の拡がりを感じさせるような作りになっていて完璧な印象を受ける。
 8曲目の「荒野の狼」はヘッセという俺が全く関心を持っていない作家の作品名から取ったらしいが俺の関心と全く関係なくサビに移る前のぼよよ~んとした部分から上述した「展開」を感じる曲。この部分の「展開」については俺の頭の中の映像としては実は複雑になったりしているというよりそのまま直進して欲しい部分に移動したような感じである。菩薩のような歌詞も欲しいものがそのまま来たという感じ。
 11曲目のヱヴァQのテーマであった「桜流し」だが、このアルバムのテーマというより俺が述べている「展開」が最後まで進展した曲だと思われる。CMなどで使われていた一見するとサビみたいな綺麗な音の氾濫みたいな部分は、実は曲の最後の最後の部分であり、そこまでいかないとこの「展開」を味わうことができない。キングダムハーツ系列のテーマ曲と同様に、本編を直接描写したようなわざとらしい歌詞や描写がほぼ存在しないのになぜかその本編の曲としてこの曲以外に考えられない作りになっている。この曲は別に構成も整っていない感じで俺の頭の中の映像としては鋭利なぎざぎざがゆっくりと自暴自棄に拡大して「展開」しているような感じなのだが、それでもなぜか整っているという意味で「完成度」が高いとか思わされてしまう。美しい暴力のような。

2019年1月1日火曜日

2019年の標的

 色々生きながら書いていたと思っていたが気付いたら去年3月以降何もブログには書いていなかったので、


1.書いて形にする。