昨日の日本とジンバブエのW杯前の最後の練習試合の結果は、平和研究の領域でCollapsed State(崩壊国家)の意味を再定義することが必要になるんじゃないか・・・と思わせるものだった。何より、国家構造が破綻している国と戦ったGDP世界第2位(そろそろ中国に抜かれてしまうが・・・)の大国が1点も取れないという事実は、国家の破綻とサッカーの国家的発展の因果関係の意味を考えさせるものであった。
ジンバブエははっきり言ってどうしようもない国である。価値的な意味でどうしようもない言うよりは、国家運営に明確に失敗しているが故にどうしようもないのだ。NGO The Fund of Peaceの「崩壊国家ランキング」では2009年度第2位である。海賊と無政府状態で名高い1位のソマリアと、「世界最悪の人道被害」で名高いスーダンに挟まれている。話題となった人類の歴史上最悪と言っていいハイパーインフレは、ジンバブエ中央銀行の頭取であったゴノの「日の出作戦(笑)」というすんばらしい政策によって加速していったが、結局2009年に米ドルの支配下となることで、流通していたジンバブエドルに対する信用を完全に失墜させ、流通していた紙幣を紙屑とすることで収束を見た。しかし、昨年度は失業率が一時94%というとんでもない数字になっているなど、経済的な意味での発展はほとんど無い。サッカーなんかやってる場合じゃない。
当然こんな国のサッカーチームがW杯予選を勝ち抜ける(勝ち抜いたら勝ち抜いたでサッカーって何なんだ)わけがなく、彼らは文化的な面でも日の目を見ることは無い状況にあった。ところが、昨日モザンビークがドタキャンしたことで彼らは徹夜で移動して(自称)平和国家日本と対することとなった。結果は・・・国がぶっ壊れている彼らにとっては金星に近い引き分けである。
へぇ~国の発展とサッカーの強さは相関しないんですね。まあ確かに、国の発展度とサッカーの強さに強い相関がある場合は、アメリカが毎回優勝していなければならないし、未だに貧困国と言っていいアルゼンチンやブラジルが強い理由が説明できない。そう考えると、仮に社会に構造的暴力(と言うまでも無い直接的暴力)が満ち溢れていても、サッカーはできると言うことだろうか。国家が崩壊しているか否かという要因とサッカーの国家的発展は無関係なのかもしれない。ともかく、この事実は多くの発展途上国にとってはチャンスと見えるのではないだろうか。まあ他の先進国に比べて日本だけが異様に弱い場合は別だ。この理由は今の日本サッカーを見ているとかなり説得力があるように見えてしまうのだが・・・・。
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