S・キングの骨の袋を読了した。いつも通りかなり簡単にあらすじを紹介しておくと、妻を脳卒中で亡くした小説家マイケル・ヌーナンが小説が書けなくなり、4年間ひきこもりのような生活を続けた後、キャッスル・ロックのセーラ・ラフスという別荘で療養しようと考えてそこを訪れるのだが、そこで少女カイラと偶然出会い、彼女の監護権を彼女の祖父マックス・デヴォアという、性格が最悪の祖父が狙っていることを知って、それを防ぐために彼女の母親であるシングルマザーのマッティーと協力して法廷闘争を繰り広げ、やがてその闘争の裏にセーラ・ラフスと周辺の町に住まう亡霊が存在していることを知り、亡霊との過去の隠された憎しみを巡る戦いをしていく・・・という話である。
今作が他のキングの長編と区分されるとすれば、用いられている小説作法として、前回紹介したクージョなどに明確に現れているような、彼お得意の群像劇ではなく、あくまでマイケル・ヌーナンという主人公の1人称の視点で物語が展開していく点にある。例えて言えば、ITやキャリーが複数の登場人物を複数のカメラを使って映していた物語であったのに対し、今作はあくまで主人公を1つのカメラを使って映して描かれた物語であると言えるだろう。その分読者は彼の「主観での葛藤」を通じた感情移入は勿論しやすいし、他の登場人物の行動も1つの物語上の謎として読者の想像力を刺激するように作られている。
今作で目を見張るべきは、やはりキングの本領発揮とも言えるホラー描写である。一応は人間との現実的な戦いも描かれるが、それ以上に亡霊(達)との抽象的な争いが見所である。何より彼は亡霊を亡霊ではなく人間らしく描くので、読んでいる方はかなりリアリティを持って読めるのではないかと思う。映画化の話も持ち上がっているようだが、キングの描く文章上のホラーに現実世界の映像技術が追いついていないので他のこけた映画と同様多分これもこの点でこけるということと、上述したような「主観での葛藤」を映像化できない以上、映画という手法自体がそもそも向いていないという性質を持っているので多分失敗するだろう。
1つ残念だったのは、推理小説で言う「解決篇」的なエピローグを彼が書いてしまった点である。多分一般の読者の希望には応えているだろうが、小説としては俺は構成上の美しさを感じられない。具体的に言えばフランク・ヌーナンという、利益関係外的な「都合の良い聞き手」を無理矢理登場させて中立的な立場から事件の謎を聞く役目を負わせて、無理矢理最後の20ページ足らずで全ての伏線を回収させた作業は蛇足に感じた。「ジョーは俺の妹だったんだぞ」とか、そもそも物語上の核心をめぐる戦いに参加していない人物に感情論を打たれても(「俺もそのことには非常に関心を持っているんだよ。まあ俺は関係ないんだけどね」みたいな感じで)不自然だし、あざといだけだと思う。
また、個人的な感想として、今作におけるマッティーという、「主人公といい感じの関係になりそうな人物」の描き方は非常に上手かったと思う。途中で多くの男性読者はキングをぶん殴りたくなるかもしれない。
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