S・キングのローズ・マダーを読んだ。めちゃくちゃ簡単なあらすじを書くと、最強極悪非道鬼畜の夫と運悪く最悪な結婚生活をして日々暴力を振るわれていたローズが、このくそったれ馬鹿夫の必殺ボディブローを食らって流産してしまい、流石に切れたのでこの馬鹿(死んだ方が良い)夫に三行半を叩き付けて家出したらこのクソ夫が追ってきやがった・・・という話である。
上述のあらすじから分かる通り、今回登場するノーマンというローズの夫は、キング作品の中で現時点で最高の悪として俺に認定された(おめでとうございます)。昔ブログで俺が最悪登場人物に挙げたミザリーに登場したアニー・ウィルクスは、まだ5億人ぐらい読者が居た場合、そのうちの1人ぐらいは「でも彼女は統合失調症気味だったじゃない!?彼女はある意味『被害者』なのよ!」とか言い出す人が(もっっっっっっっっっしかしたら)居らっしゃるかもしれないが、今回のノーマンについては5億人読者が居たら5億人が即座に「こいつはダメだな。悪悪。悪で決定。」と言うだろう。5億人デスノートを持っていたら5億人が迷うことなくこいつの名前を書くだろう。それだけの絶対的な「悪」というものを見せ付けてくれた。1.DV、2.人種差別、3.幼稚な思想、4.狡猾、5.意味不明の殺人衝動・破壊衝動、6.変態、7.傲慢、8.性差別・・・これらを全て備えた男こそノーマンであった。しかもこの男は警察官だった。アニーが個々人の感情を害するような意味で「悪」だったとすれば、こいつは社会的な秩序撹乱要因そのものという意味で「悪」である。
さて、こういった「ある意味」良いキャラを作ったキングであったが、今作のローズ・マダーについては彼のいつものパターンである「日常から非日常へ」という円滑な連関の流れを上手く作れていないように思われた。日常として(まあ上述したあらすじも非日常だが)ノーマンの追跡から逃れるローズというサスペンスの要素が描かれていて、非日常として「ローズ・マダーの絵」にまつわる神話世界(キング作品に良く登場する「中間世界」という言葉遣いが適切だろうか)での出来事が描かれていると解釈すれば、はっきり言って今作の世界観からすればどちらか一方の描写に集中すべきだと思われた。日常での「虐待をする夫から逃げる妻」という切迫した状況が秀逸だっただけに、非日常という、ある種のデウス・エクス・マキナを使って解決を図ってしまうと、問題の重要性から遠ざかってしまう。簡単に言えば読者は「結局あのわけわかんない中間世界の「すんばらしいお力」がなんとかしてくれるんでしょ?」と思ってしまう。結果として無理をして中間世界の設定を引きずってしまった現実世界のローズについて、本来今作では書かなくても良かった彼女の再婚後の(つけ足しのような)話を冗長的に描いて、どうにか日常と非日常の出来事の帳尻を合わせるような作業をするはめになってしまっていると思う。
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