(8)の続き
4.フルブライト奨学金受験シミュレーション~満輝夫の場合~
満輝夫15歳
高校に入学する。
金が無くて自費で海外留学できないので、日本の大学卒業後にフルブライト奨学生として海外留学することを決意。
情報収集の結果、大学はどこでもいいが、将来大学院出願の際にGREやTOEFLの確固たるスコアが必要になると考え、テストセンターの席を確保しやすい都市部の大学に進学し、そこを拠点にして準備することに決める。
将来的に日本で大学教授になる夢を抱く。
柔道部に入部。部活と勉強を両立する。
アルバイトで貯めたお金で初めてTOEFL-IBTを受けてみるが40点台と撃沈。英語をもっと勉強することに決める。
それから3年の月日が流れた・・・
満輝夫18歳
志望していた大学に入学する。専攻は国際関係論
授業料免除と給付奨学金の恩恵を受ける。
周囲は就職就職、TOEICTOEICと念仏のように唱え出すが、輝夫はTOEFL対策に集中し、1年の後期で80点台をマーク。高校3年間の努力を確認する。
1年の前期からGPAが3.5以上になるように真面目に勉強する。
情報収集の結果、自分の場合は「学生」の身分で出願することになりそうだと考え、アルバイトを探す際にできる限り国際的な問題を取り扱うNGO/NPOや、国際会議の支援業務など自分の研究分野に関連した職業に従事して働く。
ゼミや授業で積極的に発言し、担当教官に認められるよう努力する。
それから3年の月日が流れた・・・
満輝夫21歳
都市部の大学に設置された大学院修士課程に進学することを決意する。
大学院に合格した後、卒業までの半年間で早くもGRE対策を始める。
4年時に受験したTOEFLで100点を突破。
国際関係論に関する卒論を執筆。
首席で大学を卒業。
GPA3.95
満輝夫22歳
大学院に入学。
授業料免除と奨学金の恩恵を受ける。
1年からGRE受験を開始。
1本学会誌に投稿論文を出す。
TOEFLが105点を越える。
修士論文の全体像を描く
「履歴書に書けるバイト」を継続
1年終了時に卒業要件単位を全て取得し、GPAは4.0
満輝夫23歳
〈1月~4月〉
TOEFLが110点に届いたので受験を終了。
GREは合計で1400点を越えるようになる。
5月に提出するフルブライト奨学金予備審査願書の構想を練る。主に自分が将来どうなりたいのか、明確なキャリアプランを立てておく。
推薦状を書いてもらう人を誰にするか決める。
修士論文の章立てを決める。
〈5月〉
フルブライト奨学金予備審査用の願書を書く。金が無いので業者には頼めないが、指導教官及び知り合いの留学生に頼んでチェックしてもらう。→締切前の1週間に「出せるレベル」にする。後は諦めるだけ→願書提出。神に祈る。
修士論文の第1章を執筆。
〈6月〉
予定通り、予備審査を通過。
学部時代のゼミの担当教官、授業やオフィスアワーで複数回交流のあった先生、そして現在の指導教官に推薦状作成を依頼する。
願書記入作業を開始。
英文成績証明書等の発行を出身大学・大学院に依頼。
修士論文の第2章を執筆。
〈7月〉
願書の清書を作成した後、最終チェックを1週間ほどかけて飽きるまで行う。
推薦状3通を入手。
推薦状と成績証明書と願書を封筒に入れてパンパンにした後、7月31日までに日米教育委員会に送る→「俺が勝つに決まってんだろ!!勝つのは俺だ!!」とか思いながら内心神に祈る。
〈8月〉
GREを受験し、合計1500点を越えたので受験を止める。
大学院出願校の目途を付ける作業を行う。気になる教授にはメールを送って自分の課題が研究可能かどうか聞く。
修士論文2章の続きを執筆。
〈9月〉
フルブライト奨学金最終審査に備えて面接の準備を行う。大学院の友達や後輩、姉や弟に協力してもらう。
大学院出願校を決めて出願手続きを確認しておく。
修士論文第3章を執筆。
〈10月〉
2次審査を突破。11月第1週に東京で面接試験があることを知る。
本腰を入れて面接の特訓を開始。指導教官にも模擬面接をしてもらう。
バイトのシフトを調整して10月末から試験日まで集中できる時間を確保する。
大学院出願用の推薦状作成を再び3名の推薦者に頼む。
10月末日に大学院出願用の英文成績証明書等の発行を出身大学・大学院に依頼。
出願締切の早い大学院の願書を書き始める。
修士論文第3章の続きを執筆。
〈11月〉
〈面接日当日〉
最終審査の面接に臨む。面接前にマクドナルド赤坂見附店の2階で何を喋るか最終チェックを行う。必要に応じて親しい人に電話してチェックしてもらう。
面接時間が近づき、覚悟を決めたら山王グランドビル207号の日米教育委員会事務局へ行く。面接会場のすぐ隣の部屋で10分から15分ほど待つことになるので、机の上にある「アメリカ留学公式ガイドブック」をぱらぱらめくったり(内定すれば後で説明会の時にタダでもらえる)何を喋るか頭の中に思い描く。呼ばれるとすぐに入室する。入室すると自分以外の人間が6人ほど居て、目の前に4人いかにも審査員っぽい人々が居ることを確認する。
ハードな質問が4人から次々英語で浴びせられるが、「バカが・・・誰がかわすっつったよ。オレはメチャクチャ強ェんだ。こんなのダメージにもなりゃしねぇ」(機巧童子ULTIMO5巻、バイスの台詞より)と言わんばかりにこれまで死ぬほど練習してきた通りに真正面から自然に対応する。
面接終了後は礼を言って部屋を出る。そして軽やかな足取りでラーメン屋へ行き、ラーメンを食べて帰宅。自分の全てを出し切った!と思いながら寝る。
面接した次の日から出願締切の遅い大学院出願用の書類を書き始める。
全ての推薦状を入手。
出願締切の早い大学院に出願。
修士論文中間報告会出席。
〈12月〉
フルブライト奨学金内定の通知を受領。酒を飲む。
Certificate of Fulbright Candidacyを出願予定校分日米教育委員会に依頼。
残る全ての志望大学院に出願。
修士論文第4章を執筆。
〈翌年の1月〉
修士論文第4章を執筆。
修士論文の「はじめに」、と「おわりに」を書く。
修士論文の最終チェック。
〈翌年の2月〉
修士論文最終報告会。フルブライト奨学金の面接に比べれば軽い。
修士獲得。
合格通知が来ないかそわそわし始める。
〈翌年の3月〉
第1志望の大学院から合格通知を受領。酒を飲む。
不合格通知も届く。フルブライトに合格してても案外どうにもならないところもあるんだなと悟る。酒を飲む。
母子手帳を入手して、さっさと英文健康診断書作成作業に移る。
日本の大学院を卒業。身分上フリーターへ。
〈翌年の4月〉
英文健康診断書入手。
合格通知とパスポートコピーと英文健康診断書とその他必要書類を日米教育委員会に送付。
フリーター生活開始。フロンティアもギスギスしてて面白そうだな・・・と思い始めるも時間的・金銭的な問題で断念。
〈翌年の5月〉
サマースクール情報を入手?出立日が明らかになる?
〈翌年の6月〉
フルブライト奨学生に任命される。
身分上はフリーターからフルブライターへ進化→攻略完了。
鼻水が止まらないので(終)に続く。
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