2011年12月24日土曜日

え・・・・!!


MH3Gを手に入れてしまった。彼女が気を利かせてEMSでアメリカまで送ってきてくれた。3DSも買ってくれたようなのだが、なぜかそれはEMSで送れなかったらしい。

え・・・?俺さっきMH3Gはやらないとか書いたんだけど・・・



・・・!!そしてこの手帳が2012年の俺の手帳らしい。変態です。

しかし、調べてみるとアメリカで買った3DSで日本の3DSのソフトを遊ぶことはできないらしい。PS3のようにリージョンフリーじゃないということだ・・・。どうすんだこれ・・・。

久しぶりにモンハンについて書く

そう言えば最近全然モンハン関連の記事を書いてないと思ったので書いてみようと思う。MH3Gは結局何もオンライン関連の対応がされなかったみたいなので、当初の予定通り完全に無視することになった。少しCAPCOMには失望したが、まあ俺の働いている企業でもないので俺が何か言うことでも無い。ただMH4も同じような感じだった場合、俺はもうモンハンはやらなくなるかもしれない。残念である。
 というわけで、今更相変わらずMHP3の話を書くが、MHP3HDは好転するどころか(俺の通信状況のみかもしれないが)悪化してしまい、ほぼ100%に近い形でフリーズが発生するようになってしまった。日本に帰ったら何か変化があることを祈るばかりである。彼女に無理を言って交換してもらったPSPも結局がたが来てしまって、○ボタンがカスカスになってきたので個人的にはPS3のコントローラーでできればいいと思うのだが・・・。
 最近俺がやっているのはMHP2Gの末期の時と同じように集め+全素材99個集めである。また相変わらず狂気の沙汰だなと思うが、一応下記にこれまでの成果を挙げてみる。

鳥竜玉:49個
竜玉:99個
雌火竜の紅玉:31個
火竜の紅玉:43個
雷狼竜の碧玉:30個
爆鎚竜の紅玉:63個
(尾槌竜の仙骨:23個)
大地の龍玉:52個
恐暴竜の宝玉:64個
覇竜の宝玉:83個
崩竜の宝玉:92個
瑠璃色の龍玉:14個
天空の龍玉:48個

 玉集めの方法だが、何も無い。ただただモンスターを狩るだけである。強欲装備すらしないのがミソだ。いろいろ末期である。流石に飽きろよと思うが、まあ俺も瑠璃色の龍玉か仙骨が99個になるぐらいには飽きていればいいと思う。できればどこかの企業が「ちゃんとした」次回作を作ってくれれば一番良いと思うのだが。

2011年12月22日木曜日

三羽目がやったようです

査読付き論文の掲載が決定した。時間が無い中無理やり作った感はあるが、一応言及するべき点は言及したとは思う。
 他方で問題だと思うのは、ある一定の活動等を総括して表現する「特別な言葉」(Technical Term)を上手く見つけて定義できなかった点だ。例えば非常に根本的な話だが、Transitinal Justiceは日本語にすると「移行期の正義」が一般的(そもそも領域自体一般的じゃないが)な表現だが、これは日本語としては本当に不細工だし、意味が分からない。
 まず「移行期」という言葉は何が「移行」するのか分からない。仮に何かつけるとすれば「体制移行期」になると思うが、それよりも日本語の意味として「移行」という言葉が中立的なニュアンスを含んでいると思うので、実は現状多くの人権侵害が発生した社会が平和裏どころか、あらたな人権侵害の形(スリランカやルワンダの「一方的な」勝者による正義)を持ってして「移行」していることを表現できていない点が問題である。「社会体制変動期の正義追求活動」ぐらい言わないと正確性が出ないが、これだと長過ぎる嫌いがある。「移行期の正義」という言葉がある程度正統性を持っているのは、「これまで多くの人間が同じ日本語でTransitional Justiceを表現してきた」という理由のみだと思うが、俺はこれは(俺を含めて)学者の怠慢だと思う。
 今後の課題はもう少し、「誰でも分かるような言葉」で自分の考える概念をいかに表現するかということである。次回はもう少し時間をかけて文章を書いてみたいと思った。

4人目も終了してFinalも終了だ→終わらない勉強へ・・・

International Criminal Law Seminarのペーパ^ーが終わった。書きながらなんとなく思ったのだが、法律学と他の学問領域を明確に分かつ点は、おそらく「なぜ」という理由の説明が内容の大半を占めるということである。「どうなった」ということよりも、「なぜ」という問題関心で論文は書かれている場合の方が多い。俺は自由に論文を書くときに理由は知らないがどちらかといえば"Effect"について書こうとする場合が多いので、"Cause"について文章を書いたことは勉強になった。
 そして同日にFinalも終了した。はっきり言って100点を取れたかというと取れた感じではない。Fallは色々なチャンスがありすぎて俺はそれに手を伸ばし過ぎた感がある。今後もこの強制的なマルチタスク状況が続いていくと思うので、いかに1つ1つを集中して行うための時間を取るか、という点が今後の課題だと思う。個人的にはこの「強制的なマルチタスク状況」は俺の性質に合ってない(俺はドラクエで言うと職業の熟練度をMAXまで上げてから次の職業に転職するタイプなので)と思うが、多分今後こういう状況になったときのための訓練にはなるだろう。
 しかしFinalが終わってもまだ最後のペーパーが残っているので、今年はクリスマスも正月も完全に消えそうである。まあこの「クリスマスも正月も」というのは多くの他人の話で、どの道俺には帰る場所も金もないのでいつも通りと言えばいつも通りなのだが。そういえば最近日本語のちゃんとした文章を読んでいない(し、このブログに感想も書いてない)と思うので、紀伊国屋に行って割高な司馬遼太郎の本でも買おうかと思う。余力があればな。

2011年12月18日日曜日

Mtn Dew VOLTAGE!!!

まだFinal終わってないしペーパーの締め切りまで3日を切っているのだが、近所のスーパーにマウンテンデューのVOLTAGE味という謎の炭酸飲料があったので気になりすぎたので飲んでみた。凄いよアメリカ。炭酸飲料に属性が付いているとは・・・!!何か調べると他にもTYPHOON味とかあって、雷属性以外に風属性まで備えてて、モンハンの先を行っているらしい。日本の飲料メーカーにも「ファンタ―闇―」とか「覇王色のファンタ」とか「ツキヨノヨルオロチノチニクルフファンタ」とかどう見てもアレな炭酸飲料を是非作っていただきたいと思った。まあ味は普通にトロピカルな感じでがっかりしたんだが。

2011年12月12日月曜日

Final

明日から期末テスト開始である。テストはInternational Law とInternational Human Rights Law(IHR) とInternational Humanitarian Law of Armed Conflictの3科目にあるが、俺はInternational Criminal Law SeminarとTransitinal Justiceのペーパー作成を同時進行でやっているので結構厄介である。
 しかし、これらのテストについては全て持ち込み可という一見舐めた感じになっているのでそこを上手く利用している。簡単に言えば暗記を減らして利用する資料作成と問題の理解に重点を置く、という基本的な戦略を実行している。ただ俺の見立てだとこの方法が上手く機能しない可能性があるのがIHRだと思っている。「国際人権法」という、一般的には「国際人道法」とちゃんと区別できる人が多分10%ぐらいしか日本に居ないかもしれないと思う学問領域なのだが、実はそれほど体系が確立されているわけでもなく、例えば「あああれでしょ?UDHRとかICCPRとかICESCRの話だよね?」で終わってくれない。人道法も国際刑事法もヨーロッパ人権裁判所も拷問も女性差別も勾留もTranstional Justiceも入る。なので、実は問題そのものと、問題に対する回答方法が無数かつ多角的にあり、学生に求められるのは「回答者」の能力ではなく、「コメンテーター」の能力だと考えられる。持ち込み不可にして、法律と判例と学説の暗記大会にしてくれた方が明確に差が付くし、準備しやすいので実は簡単なのだが、それが根本的に現段階では不可能な学問領域がIHRであり、「コメンテーター」の能力はかなりの部分所持している言語能力に依存すると思うので、普通の日本人には他の科目に比べて厄介だと思う。と言うより、こうすれば100点を取れる、というビジョンが見えにくい。
 ・・・というテストが明日の朝から8時間という俺の人生の中で1科目にしては最長の試験時間を使って行われる(まあ家でやるというのも初めてだが)。はっきり言って他の科目に比べて予測できない部分が多いが、「コメンテーター」っぽく偉そうに一貫性のある論理展開を答案の中で(結局は)場当たり的にするしかない。

2011年12月3日土曜日

敗北

ILHRもIFDも落ちた。
 ILHRについては出願先の選択ミス、それ以上に両者に共通することとして、競合者との差が挙げられるだろう。まずILHRについて言うと、俺が出願したのが全部どちらかと言えば個別地域に特化した場所だったので、そもそもそこから来ている奴、一度そこで働いたことがある奴、そこ(だけ)を自分の研究テーマに設定している奴との戦いでは自然と不利になる。そして、俺が見誤っていたのは、NYUが俺の予想以上にこれらの「個別地域に特化した場所に合った経験を持つ人材」を擁していたことだ。実はシンガポールプログラムの奴らもこのプログラムの応募資格があるので、特にカンボジアに関しては彼らに持って行かれた可能性が高い。そこまで読んでILC等のある種スキルのみに特化した機関に出願先を変えられなかったのは問題だと思う。もちろん俺がついでに地域研究をやるということにこだわりすぎたこともあるが。
 他方で、ILHRもIFDも両方共通していると思うのは、単純な実力不足である。LL.M.入学までは問題ではなかったのだが(一般的にはまあ問題だが)、やはりここから先に進んで、今一緒に勉強している奴らと椅子取りゲームをするためには、俺は彼らと同じように「関連分野でフルタイムで勤務した経験がある」ということを主張できなければならないということらしい。俺は明確にこの点が欠けている(どころかどちらかと言えば勝手に学者向きのバックグラウンドを形成しつつある)ので、今後俺の分野で国際機関を狙うためには、やはり最低でも1クッション挟むような経歴が必要になるということなのだろう。
 だったらもう学者目指せよとか思うし、性格的にも俺は(ひきこもりなので)学者の方が向いてるかもしれないが、俺は俺にNYUで教えている先生のように「現場では何が不可能で、何がどれだけできるのか」ということをちゃんと知って伝えられるべきだと思うので、やはりまだまだ目指す分は目指すことにする。もっともこの前論文を仕上げていた時に、何で俺はこんな苦しいことを続けているのか、(小説じゃないんだけど)キングの言ってた通り文章を書くことは自分の身と魂を削っていく作業だとか思った一方で、「あれ?結構これも面白いかもな・・・・?」とか思ってしまったのだが・・・。実は毎年査読付き論文を書くような生活になってもそれはそれで面白そうだと思う自分が居る。多分ずっと前から分かっていたことなのだろうが。

2011年11月30日水曜日

三羽目ですね・・・

日本語の論文が終わった・・・。途中で「俺は書きたくない病」にかかったり、「俺は逃げたい病」にかかったりして本当に苦労した・・・。10年後の俺は今の俺を思い出した時にまた馬鹿なことやってたなーと思うだろう。正直Thanks givingが無かったら終わらなかったかもしれない。
 俺の論文について、別にこっちの先生とかに見せたわけではないのだが、ちょろっと喋った時にもらったアドバイスがあとあとになって結構役立った。子供が生まれたとかでもう4回ぐらい授業が飛ばされて、そのたびに変なタイミングに授業が入れられてまじふざけんなこいつとか、適当なアドバイスしやがってとか思っていたのだが、案外まともな「指導」(ただし習うのではなく盗め方式)だったのかもしれない・・・。あれだ。多分この人も富樫義博タイプだ
 そしてここから最後の2本+テスト勉強の戦いが始まる・・・。いつもこういう山場がある度に、山場に入る前は山場を越えた後の自分が想像できないのだが、超えた後になってみるとそうでもなかったかもなとか思ってしまうので不思議である。もうあとはロースクールの勉強だけ。

2011年11月23日水曜日

VS ILHR at NYU in 2011

本日NYUのWilf Hall512号にてInternational Law and Human Rigths Fellowship Programの面接を行った。書類で分けわかんないこと書いてる奴を結構な割合で落としてくれていたら助かるのだが、おそらくこっちの方が出願者数も残ってる奴も多いと思う。
 面接内容についてはこっちは全く想定外のことは聞かれずに俺の予想通りだった。下記がその内容である。

なぜこのプログラムに応募したか
どうしてその機関なのか
Ph.D.について
応募した機関で活かせると思うスキル

 これはよっぽどミスしない限り差がつかないかもなあと思う。俺に関して言えばフルブライトの時の面接の水準とそれほど変わらないことは話せたと思うし、何よりこのプログラムをPh.D.の研究に活かせるとか、具体的な履歴書等の根拠を示して言える奴の方が少ないと思うので、その点で他の志願者と差異化を図ることもできたと思う。まあもう少し実務寄りの話もしといた方が良いかなあと思ったが、ECCCの方を正当化するための根拠として(他に良い方法が無かったので)「将来的に国際刑事裁判所の検察官や専門家として働くことが1つのキャリアゴールである」とか書いていて、あまりICTJとOHCHRとかで将来働きたいということを言うとキャリアゴールがぐにゃぐにゃした感じになると思ったため、そっちの2つは特にPh.D.の地域研究を行うためだという色彩を強く出すことを意識した。
 とりあえずこれで年末恒例の英語面接大会は終了なので、やっと論文作成とテスト勉強だけに集中できる。

2011年11月18日金曜日

VS IFD at NYU in 2011

先ほど、New York University Furman Hall 600号室にてInternational Finance and Development Programの最終試験となる面接審査を行った。フルブライトの時とは異なり、かなり急な日程だったのではっきり言って無茶があるなと思っていたが、思ったより英語の面では問題がなかった。というより、そうでなくては困るのだ。日本国内のフルブライト奨学金はこの「英語ができる奴」という比重がものすごく高いウェイトで、そこで他のできない奴と差をつけることができるのだが、ここは天下のNYUである。英語ができるのはそもそも大前提で、中身で勝負しなければならないのだ。
 一応役に立つか分からないが俺が聞かれた内容は下記の通りである。

なぜIDLOに行きたいのか
日本の大学院で何を勉強していたのか
Ph.D.では何を扱うつもりか
将来どこの機関で働きたいのか
俺がNYUで何を勉強しているか
ILHRの方は書類審査に通ったのか
Simon Chestermanを知っているか← 若干Irregular過ぎ。全く俺は書類で触れていないのによく捌いたよ。

 3対1の戦いだったのだが、俺はそんなに上手くいかなかったかもなと思う。2人居た男のうち1人はそもそもPeacebuildingという概念自体知らない(し、しかもフルブライトのTransitional Justiceの定義をした時とは違ってそれが何なのかも聞いてこない。聞けよ。話したけど)で、ものすごく俺に対する不信感を持っている様だったし、もう1人の方も俺が何をやっている人間なのか不信感がいっぱいだったと思う。
 ただ、毎度のことながら、もう1人居た女の人の「Simon Chestermanを知っているか」という質問に少し救われた。Chestermanは、平和構築を真面目に勉強していればかならずどこかで出会う類の大物の1人である。実は昔はNYUのロースクールで教鞭を取っていたのだが、数年経つとNYUのシンガポールプログラムの方に移り(なぜ移ったのかは不明。地域研究とかか・・・?)、今年俺が入学してからこっちの学長が「奴はシンガポール国立大学の法学部長に就任した」というメールを送ってきた。つまりNYUでは俺は残念なことに彼に会えない可能性の方が高い。本当に残念である。
 ・・・という感じの話をして、俺が彼の名前と"You the People"(ParisのAt War's Endまでは行かないが読んでおくべき本)という彼の主著について明言したので彼女に対する感触は非常に良かった。総合的にどうなるかは不明(多分ILHRの方との兼ね合いもある)。2日程度で準備をした割にはよく戦ったとは思うが。

2011年11月15日火曜日

人生は結局出たとこ勝負だよねー

今日夕方6時30分からICTJのNYUにおける年度毎の会(今年はICTJ10周年記念でTransitioanl Justice and Developmentというこの分野では割と最先端に近い=まだ研究が十分追いついていない話)という、そこそこデカイイベントがあって、ご丁寧になぜか俺宛の招待状まで送られてきていたのだが、5時ぐらいに「頼むからボランティアで手を貸してくれ!」というメールが来て、俺ははっきり言ってそんなんやってる場合じゃねえとか思いつつ結局日本人気質が発揮されて土壇場でイベントの運営をボランティアとして手伝うことにしてしまった。
 が、はっきり言ってどうでもいい仕事でほとんど何もせずにつっ立ってただけで時々一緒に働いていた女の子に「ああ今丁度6時だねえへへ」とか言っただけで終わって普通にイベントに客として参加してボランティアのおまけで付いてきたレセプションで寿司もどき(なんか外側が海苔じゃなくて変なつぶつぶで巻かれた「大丈夫かこれ・・・?」という感じのまぐろの軍艦巻きもどき)を食べまくって帰った。まあいいよ!!寿司(っぽい食べ物)とか苺とか久しぶりに食べたからな!!
 そしてまたいつもの俺の致命的な欠陥が発揮されて、食べるだけ食べたらさっさとレセプションから帰ってしまった。今のところReputation ManagementとかNetworkingとかほとんど0点なんじゃねーか・・・?人生でこのReputation ManagementとかNetworkingで痛い思いをぜんぜん味わってないのだが、俺のような引き籠りはやっぱり学者になって外交官とか国際公務員とかにならない方が良いのかもしれない・・・。もっとキョロキョロヘコヘコするテクニックを身につけないとダメらしい。
 そして提出していたIFDとILHRの両方書類審査を通過したというメールを今日もらい、IFDの方は今週の木曜日にいきなり面接があるということになった。人生出たとこ勝負継続中。3年前から毎年進路を賭けた英語面接も継続してるんだけど・・・

2011年11月12日土曜日

「おまえ、もしかしてまだ、自分が死なないとでも思ってるんじゃないかね?」

タイトルは最近俺が良く思い出す戸愚呂(弟)の台詞である。俺は全開でやってるつもりなんだが、まだ負けることに対する恐怖が足りないのかもしれない。

2011年11月11日金曜日

うぇっへっへBOLE(笑)

ニューヨーク総領事館にNY州司法試験について問い合わせたところ、今日本側としても「アメリカで言うような教育的要件みたいなのは日本には無い」ということを分かってくださいよという交渉をしているが、明言は無いとのことだった。また、個別的な受験資格は個別の受験者が証明しなければならないということなので、良く分からんが自分で適当な書類を用意してBOLEにもう1度送る感じになった。
 うぇへっへBOLE(笑)。去年のLSAC(笑)に引き続いて本当にめんどくさい。まじで世界政府みたいなもん作って「国際司法試験」とか作ってくれればいいのに。とりあえず来年アメリカのロースクールに来てNY州司法試験を受ける「法学部卒」の奴は春先に出す事前審査の段階で強調字体で「俺(様)はNY州司法試験を受ける資格を持っているぞ!!」と書いた紙を他の申請書類と一緒に送った方が良いらしい。

2011年11月9日水曜日

次に二頭目(International Law and Human Rights Fellowship Program) だって言ってんだろ!!

 次に5本のうちの2本目となるILHR (International Law and Human Rights Fellowship Program)に書類を提出した。
 このプログラムこそNYUが国際法最強である所以の1つだと言える。このプログラムはILC(International Law Commission)をはじめとする実務で国際法や人権に関する知識を要する場所に大学が金を出して学生を送り込むというものだ。Timapといったシエラレオネのマイナーな所から、UNHCR、ICTY、ECCC(Extraordinary Chambers in the Courts of Cambodia)などのデカイ所まで、20を超える場所が選択肢として存在する。
 ただ、今年は俺が入学前に狙っていたSCSL(Special Court for Sierra Leone)やICTJ(International Center for Transitional Justice)のニューヨーク本部は無かったのが少し残念だった。ICTJに関しては当初コロンビアにしようかと思っていたのだが、カウンセラーによればそこは確実にスペイン語を喋れる学生が獲るだろうとのことだったので、あまり地理的な知識を有していないがレバノンの事務所にした。他にはカンボジアのOHCHRと、ECCCである。OHCHRも以前IFDで書いたIDLOと同じくはっきり言ってここで将来働くことになれば俺の人生における目標の1つは果たしたことになるという感じの場所だが、ECCCについてはICTYとレバノンのSTL(UN Special Tribunal for Lebanon)だったら、明確にExit Strategyの実施に入っていて平和構築にとってはそもそも理論的な限界を有する「終わりかけている」ICTYと、正義を追求する前提となる政治的意思の形成が本当にされたのか疑わしいレバノンのHybrid CourtよりはECCCの方が日本も関わっているし面白そうだという理由でここにした。
 途中全然面白くないMPREといった糞試験(試験までの待ち時間1時間30分、試験時間2時間5分という素晴らしい試験)のせいでやる気を削がれたりしたのだが、そこそこ上手く書けたと思う。とは言ってもむしろここからがやっと本番となる3本だが。

2011年11月5日土曜日

めんどくせぇな。

 実は現段階で俺はニューヨーク州の司法試験を受けることを計画に入れている。なので明日のMPREも受ける。俺ルールその2として、NYUに居る間は俺のめんどくさい病とは無関係に俺の利益を最大化する行動を取り、利益を害する行動を取らないと決めているので、このNY州司法試験を受けるということもこの「利益の最大化」の中に現段階では含まれる。
 とはいいつつ、NY州司法試験についてははっきり言って俺の見出す価値ではなく、他人の話の中での価値として戦略に組み込んでいるのが現状である。俺の考えだとそもそも国際法の「こ」の字も試験内容に含まれていない試験であり、かつアメリカでの弁護士業務が全く俺の人生にとって価値を持たないことが確定しているため、この試験の俺にとっての価値はマイナスであるべきだと思っている。これをやる暇があったら①優秀な成績を収めて学位を取る、②論文を書く、③インターン等を通じて実務経験を積むという努力を積み重ねた方が「俺の理論」上では有益である(し、本来そうする予定だった)。
 ただ、俺以外の人間で、かつ俺が将来入りそうな業界に詳しい数名は100%口をそろえてNY州弁護士資格はあった方が良いと言う。この考えについて、今でも俺は個人の考えとして部分的には疑っている(素人だから「法律家」と符号される者は全ての法律業務を扱えると勘違いしてるんじゃねえの?国際法も移行期の正義も完全に関心持たなくてもNY州司法試験は取れるし、それらのほとんど無関係の分野はNY州で弁護士やるのに邪魔にすらなるけどな?という思いがある)。ただはっきり言って俺の目指す業界に求められる資質については不確定な情報が多すぎるので、現段階では少なくとも100%の確率で他人が主張している「利益」を戦略に組み込む必要がある。
 しかし、このNY州司法試験は本当にめんどくさい。日本の司法試験関連の制度がグダグダなのとアメリカ人のクソみたいなサービスの質が負の相乗効果を生み出している。5月ぐらいに申し込んだ事前審査なる糞手続きは、ほぼ半年もの時間もかけて「あなたが自国で法実務家として勤務できる証明が必要です。①法実務家として勤務しているのならその資格の証明、②法実務家になるにあたり学業的な要件を充たしているのであればその証明、を送ってください」という回答をしてきた。俺は旧司法試験は受けてすらないので①は物理的に無理だが、②をどうするかが問題になる。・・・が、実は俺の中ではどう考えても論理的に無理という回答が既に出ている。なぜなら、2011年度からは日本は旧司法試験を失い、新司法試験が「司法試験」として統一されるからだ。この「司法試験」は基本的には法科大学院を卒業していることが受験の要件なので、旧司法試験に合格していない「法学部卒」の人々は論理的には今年からNY州司法試験は受けられなくなる。なぜか予備司法試験という法科大学院を卒業していなくても予備司法試験に合格すれば「司法試験」を受けられるという中途半端かつある意味日本人っぽい制度ができるが、これは「司法試験」ではないので、この誰でも受験可能な「予備試験」を受けられることは「司法試験」を受けられること証明にはならない。したがって、日本の制度を文字通りに解釈すると、①旧司法試験に合格している、②法科大学院を卒業している、③予備試験に「合格」している人々しかNY州の司法試験は受けることができないことになる。なのでこの解釈だと①~③に該当しない企業法務で働いていた人や俺のようにわけのわからない法分野を研究している奴はNY州の司法試験は今年から受けられないのである。日本の司法試験関連の改革は本当に馬鹿で無駄な時間と金(と人の思い)を使っただけで、結局このまま不況が続いたらあと10年後ぐらいに無駄な法科大学院は全部つぶれて旧司法試験みたいなものが復活しちゃうんじゃないの?と個人的には思うが、国が決めた制度なので現状ではどうしようもない。
 「でしょ?受けられないからさぁ、つまんないしめんどくさいMPREは止めてもっと楽しいお勉強をしようよ?」と俺の本音は言っている・・・。しかし、俺は俺の作ったルールを守るべきなので、論理的にも馬鹿で感情的にも擁護不能ではあるが、「去年までは「法学部卒」でも受けられましたし、予備試験は受けられますよ?まあなんだかんだで「法学部」卒業時には受けられましたし・・・」という文書を作ってBOLEというNY州司法試験受験資格を認定する(どっかの村役場の10分の1ぐらいのスピードでしか事務処理のできない)団体に送るほか無い。上述した通り、俺の中ではこれは全く馬鹿な行為なので本当に感情的にはやりたくないのだが、可能性が残ってしまっている以上(現段階でBOLEは完全に無理とは言ってくれなかった・・・)俺ルール2の「利益最大化」の原理が働くので、出身大学等にめんどくせぇなと思いながら聞いてみるしかない。俺が担当者だったら「はあ?無理に決まってんだろ?法務省のHPでも見ろよお前。明らかだろ?めんどくせぇな」と俺に言うのだが・・・。まあ1つだけこの馬鹿な行為の利点を示すと、ここで無理だったという結果を示してブログで表示できれば、弁護士以外の「法学部卒」の「従来通りLL.M.の学位とNY州司法試験合格が欲しい」という人々が無駄な金と時間を使ってアメリカに来ることを防ぐことができ、「可能だった」(もうそうなると日本の司法試験受験資格って何なのか意味不明だが)ということを示せれば、弁護士以外の「法学部卒」で上述した従来通りの希望を持っている人々は安心してアメリカのロースクールに来れる点だろう。

2011年10月30日日曜日

「TOEFLも終わったし帰るか・・・」→「ぬわーーーーっっ!!」

 昨日TOEFLを受験した。結構スコア自体はどうでもいいのだが、俺ルールとして何やってても英語の公的な試験は最低年1回は受けるというものを勝手に作ったので、ブルックリンまで行って受験してきた。朝は雨がちょっと降っていたが、まあそんなに気にするほどでもないしなと思って普通にパーカーを着て外出した。しかし、TOEFLが終わって外に出てみると、外は吹雪になっていた。
 「おいおい・・・マジか・・・」とつぶやいてしまった。かなり激しいぼた雪が風でガンガン吹き荒れていて(非常事態宣言が出ていたらしい・・・)、これちょっと死ぬ思いをするかもしれない・・・と思って覚悟を決めてパーカーのフードみたいなのを頭に被って吹雪の中地下鉄の駅まで向かうことにした。
 半端ない雪の量だった。変に水分が雪の中に含まれているので、背負っていたリュックもパーカーもすぐにびしょびしょになった。「ふうううっふうううんっ」とか声にならない音を鼻や口から出しながら地下鉄の入り口まで向かった。寒すぎて歯はがちがち鳴っている。地下鉄の構内は暖かい記憶があったので、早くそこまで行きたいと思った。
 やっと辿り着いた地下鉄の入り口には、KEEP OUTと書かれたテープが貼られ、階段にはパイロンが置かれているのが目に入った。「・・・ぬわーーーーっっ!!」と心の中で絶叫した・・・。

2011年10月29日土曜日

GLOW BALL の感想

 実は俺はIFDの書類を出すことで頭がいっぱいだったので直前まで忘れていた(IFDの書類も終わったし、ペプシでも飲みながら「早く準備しろやボケッ」「罠とか使ってんじゃねーよつまんなくなるだろがアホッ」「出たよW属性が」とかプロハンみたいな悪態を(心の中で)つきながらモンハンをしようと思っていた)のだが、NYUでGLOW BALLなる、ロースクールの生徒達が乱痴気騒・・・「仮装ダンスパーティー」をするイベントが不謹慎・・・「ロースクール生主体の企画」としてVanderbilt Hallといういつも授業が行われている場所で開催されるということを思い出したので行ってみた。
 俺は全然コスプレやら踊ることには関心が(もちろん)無いが、アメリカに行ったら一度はこういう「学生が馬鹿騒ぎをしている場面」とかを見ておきたいと思っていた。日本のクラブとかフルブライト奨学生の集まりだとダメなのだ。「学生」が主体になって馬鹿をやるという点がポイントだ。なぜなら多分こういうのを見ておかないと、キングの「キャリー」のダンスパーティーの場面とか、なんであんなにアメリカの学生にとって重要なのか理解できないと思っていたからだ。
 感想だが、俺の想像以上に皆「真面目に」コスプレしてきていてびっくりした。こういうイベントは本当にアメリカの学生にとって重要らしい。偽マリオ、偽ルイージ、偽オバマ達が大音量で音楽がかかったダンスフロアと化した講堂で踊り狂っていた。俺は黒人の妖精さんやリンクに話しかけられたりして「ああ・・・うん」みたいな返事をした記憶がある。俺は日本の就活生のコスプレ(すいません嘘です準備してないだけです)をして行ったのだが俺みたいな適当な格好している人間の方が少数派であった・・・。NYUのロースクールに来る人はコスプレの本場日本でユクモノ装備一式とか作って持って行った方が良い。

2011年10月28日金曜日

まず一匹目(International Finance and Development Fellowship Program)

まず5本のうちの一本目となるIFD(International Finance and Development Fellowship Program)に書類を提出した。
このプログラムは対象となる派遣先が世銀などの法といっても経済や開発に近い機関になっているものだ。一応6つほど派遣先があるが、もちろんこの中で俺が狙うのはローマのInternational Development Law Organization (IDLO)ただ1つである。なぜならここでやっていることが(違う機関であっても)おそらく俺が将来飯を食うためにやっていくことの中身になる可能性が高いからだ。NYUのキャリアカウンセリングのおばさんが言っていた通り、実際この機関と俺のバックグラウンドと関心はかなりフィットする。
 しかし、ここがNYUという、US Newsでアメリカで最強と評されている国際法のプログラムがある場所なので話は別である。特にILSには以前言った通り既にPh.D.を持っている奴や国際機関で働いた経験を持つ奴がいっぱい居て、俺など完全に小童なので、そいつらを凌がないとこれに勝つことは難しい。俺はレジュメのHonorsにTransitional Justice ScholarとFulbright Scholarship Programを書けるのだが、カウンセリングのおばさんは「で?これがデフォでしょ?」みたいな感じの反応だったので結構厳しい戦いになると思う。

2011年10月24日月曜日

論文3本(実質5本だよこの野郎)

 珍しくまともに勉強してますよという感じの話をするが、日本を出る前とサマースクール中に急いで書いたので全然期待していなかったが日本の学会誌に提出した査読付き論文を修正すれば採用されることになったので修正することになった・・・。
 これに加えてInternational Criminal Law Seminar と Transitional Justice のコースに出す論文も書かないといけないし、卒業後のNYUのIFDとILHRのFellowship用にも文章を書かないといけなくなった・・・。とりあえず今から年末までに5本の文章作成という今までの人生の中で最も短い時間で最も多い量の文章を書くことになった。むかつくのでNYU学内のコース用論文は学内誌に投稿できるような奴にして「この時期に俺は3本ぐらい履歴書に書けるような論文を書いた」っていう事実を作ってやろうと思う。いや・・・まあ期末テストもあるんだが・・・。人生VERY HARDモード継続中。

2011年10月23日日曜日

2011年10月22日段階でMHP3HDをアドパで比較的快適にやる方法

 アップデートされたという情報を入手したのでアドパに行ってみたが・・・絶望的なまでにフリーズする。俺に関して言えば普通にすると前より頻繁に(ほぼ90%の確率で3回以上同室でクエストに行けない)フリーズするようになった・・・。R2+△長押しで部屋から出られるようになったのは良いのだが、ときどき無理やりPS3の電源を落とさないと出られないような類のフリーズも存在する。
 こっちは息抜きでやってるのに全然息抜きにならないのが苛立たしかったので、いろいろ試行錯誤してみた結果、「HDのみで3人までメンバー構成して部屋をCloseにする」とものすごく安定することが分かった。HDのみでメンバー構成する方法も、3人でメンバー構成する方法も前から言われていたことではある。しかし、以前はHDのみだと4人で構成してもそこそこ安定していたのだが、現在では4人で構成すると結構な確率で上記のフリーズが発生してしまう(し、4人目が入った段階で1人目が「押し出される」というバグも結構な確率で起こる)ので、3人で部屋を構成することの有用性が比較的に高まったと言える。
 この方法を確実に実践するためには自らが率先してホストとして部屋を建てるか、建てられている部屋で自分がホストになるしかない。ただ、一応安定はするが、それは絶対ではないのが現状である。特にクエスト中のチャット、麻痺やガンランスの砲撃のエフェクト、凍土のベリオロス戦(なぜかベリオロスが寝に帰る高台自体がやばい)で止まりかけることがあったので、これらには注意しておく必要がある。まあ注意してもどうにもならないのだが・・・落石注意の道路標識みたいなものである。

2011年10月22日土曜日

New York・・・に慣れてきた(かも)

 散々まんまキングの小説に登場してくるニューヨークそのままだなという感じで過ごしていたのだが、2カ月ほど住むとなぜか慣れてきた。甘すぎるコーラ(「甘露!甘露!」)も、あまりおいしくないと思っていたマクドナルドも、誰が貼りつけまくっているのか分からないガムの跡(まじでまだニューヨークでガムを露骨に道路に吐きつけている人見たことないんだが・・・妖怪ガム吐きの仕業だと思う)も全然通じない時があってめんどくさくなる英語も、夜12時ぐらいに料理を作り始めたり、歌を歌い始めたり、突然声を出しながら唸りだしたりするインド人のおっさんも、別にこれはこれでいいんじゃないかと思い始めている。「住めば都」という奴である。
 まあ日本の方が全然良いんだけどな

2011年10月19日水曜日

New York で初めて酒を飲む

 今日は(わけわかんない人達と)酒を飲んだ。もっと話さないといけないことがあった気がするが、これで良かったんだという気もする。酒は社会における社交を促進するツールである。しかし、本来はこんな風に普段から俺達は自分の内面を他人にぶつけるべきなんだ、という再確認もさせる。「酒の力を借りて」というのは本当に真理を突く表現だ。俺たちはもっと話し合うべきだし、気持ち悪くても分かり合うべきだし、自分というものを他人に主張するべきだ。これが人間という生き物だし、そうやって俺たちや俺たちの祖先は生きてきた。酔っていようが素面だろうが、俺たちはそうやって生きていくしかない。自分は他人を負担するし、他人に自分を負担してもらうのだ。その繰り返しが生きるということである。

2011年10月16日日曜日

スペイン語にフランス語にアラビア語

 スペイン語とフランス語とアラビア語に共通するのは全部国連公用語になっていて、かつ俺が今後10年間の長いスパンで手に入れるべき言語能力である。特にスペイン語については、NYUに来た時に居た前年度のLL.M.生にも「あー結構フランス語が喋れたら良いって言うけど実はスペイン語が重要だよね」とか言われたし、最初のイントロダクションのころから周りには喋る人がいっぱい居たし、Granitoでも登場人物がスペイン語を喋りまくっていたし、極めつけはICTJのインターン先になっているオフィスで要される能力の1つとして挙げられている。という経緯で、なんとなく3つ目の言語はスペイン語にしようかなとか思い始めた。実は俺は大学1年のころ語学として履修していたのは中国語(なんとなく、という理由しかない)なのだが、あの頃に戻れるなら絶対フランス語かスペイン語をやっただろうなと思う。
 スペイン語を話す人口は世界で3番目に多いらしい。スペイン語に由来する日本語はチュパカブラらしい。これ日本語か・・・?とりあえず今は英語(mens rea とか erga omnes とか inter aliaとか non bis in idem とか prima facieとかやたら登場するラテン語含む)でやることばっかりなので、勉強みたいな感じじゃなくて趣味の1つみたいなスタンスでやっていこうと思う。

2011年10月9日日曜日

火災報知機クライシス in New York

 この国の火災報知機はものすごく頻繁に鳴る。まだ2カ月程度しか経っていないが既に7回程鳴って建物から強制退去させられた。アメリカに来るまでは5年間ほど火災報知機が鳴ったことが記憶にないので、アメリカでの2カ月でもう5年分以上の火災報知機が鳴る経験をしているらしい。
 火災報知機発動から強制退去まではもう1つのマニュアル作業にまでなっている。火災報知機発動→建物内に居る人々が(たとえ何階に居たとしても)非常階段のみを使って外に出る→建物を挟んだ道路に茫然と群れとなって立ち尽くす→消防車やパトカーがやって来る→火災報知機が鳴った原因究明作業に40分~1時間30分費やす→茫然と40分~1時間30分立ち尽くす→オーケー!!何も無いよ!!(毎回100%)→ぞろぞろと建物内に戻って終了である。
 この前のフルブライトのこまごまとした説明会(結局個別具体的なことは個別具体的に担当者に聞けっていうことを説明された素晴らしい会)では2度鳴って、1度目は冒頭、2度目は終わりで、1度目に鳴った時はワシントンパークで青空学級?となり9階から1階まで非常階段で下りて、くそ寒くて本当に残り15分ぐらいでわざわざ9階まで戻ったらまた鳴って再び非常階段で1階まで降りた・・・。あはは
 勘弁してほしい。別にグリニッジヴィレッジはそんなに治安の悪い地域でも無いし、上記した一連の流れに費やす手間は半分に縮減しても全く問題ないと思うのだが・・・・。この国はこの火災報知機以外にもセキュリティの厳しさでは間違いなく世界一(で漏れなく外国人を辟易させている)と思う。アメリカ人はアメリカ人でめんどくさい生活を送っているようだ。
 

2011年10月2日日曜日

「J.D.かと思ってた」

 タイトルは国際法の授業で隣に座っているナイジェリアから来た女の子の俺に対する台詞である。J.D.とは言っても別に俺がめちゃくちゃ英語がネイティブ並みにできるとか、勉強が死ぬほどできる様を評したものではなく、俺の見た目(日本人全般の見た目か・・・?)が子供っぽいのでJ.D.の学生と思われていたのだ。
 J.D.はLL.M.の学生に比べて平均年齢が低い。アメリカだとそのままストレートにJ.D.に来ると、大体日本で言う修士1年の年齢になるので、22~23歳ぐらいである。なのでJ.D.は実際のところ英語ができるぐらいで実質的にはLL.M.の学生に知識の点で負けていることもある。特にNYUのInternational Legal StudiesではLL.M.の方がまともなこと喋ってるんじゃないかという場面が多い。J.D.にICCのProsecution Unitで働いていた奴や既にPh.D.を取った奴が居る可能性は低いが、ここのLL.M.にはそんな奴らが結構いるのだ。しかも国際法の場合、英語になっただけでやってる内容は日本の法学部で教わる国際法と実質的に変わるわけではない。半面J.D.は通常ロースクール2年目ぐらいで人生で初めて国際法に触れる人も居る。Jose先生という結構面白い経歴を持つ国際法の先生もLL.M.がJ.D.の学生の自信を破壊してしまう可能性があるとか言っていた。
 というわけでこの「J.D.かと思ってた」という台詞は良い意味も悪い意味も両方含まれているだろう。俺が女だったら多分喜んだかもしれないが。同居しているインド人にも見た目が若いと言われてしまった(そして多分なめられている)し、俺は本当にガキ臭い野郎らしい。着実にスネークとかローランドみたいなおっさんになる道を辿っているとばかり思っていたのだが、どちらかと言えば今のところ吉岡清十郎寄りの道を辿ってしまっているらしい。
 

2011年9月25日日曜日

Columbia Universityで「南南協力」について聞く

 日本の指導教官に入った方がいいとか言われていたUN Forumというメーリングリストで、Columbia University のSIPA(School of International and Public Affairs)でUNDPで働いている人が「南南協力」について講演をするという情報を入手したので、また新しいJargonを作りやがってと思いながら行ってきた。本当に国連という所は素晴らしい官僚組織である。
 実はNYUでもColumbia Lawの科目を一部履修できるので、俺は最初取ろうかと思っていたのだが、時間的な理由で無理だった。NYUとColumbiaはまあまあ離れていて、地下鉄だと30分ぐらい、マンハッタンの南から北へ上がるルートである。しかも出る場所によっては山道みたいな所(テイルズとかスターオーシャンで良くこんな感じの場面繋ぎエリアがあったよねっていう場所)を登っていかなければならないので、帰りは暗くなっていて嫌な感じだった。
 Columbiaだが、まあ普通の大学だった。NYUも人が多いが、Columbiaも人が多い。人種も様々である。SIPAでは日本人の組織みたいなものがあるらしく、講演会には(多分)日本人らしき人々が沢山居た。俺はもう開発学の修士を取っているので今更SIPA自体に関心は無い(Ph.D.もあるが少数精鋭)が、留学先に日本人が居なくてさびしいかもしれないと思っている人はとりあえずSIPAに行けばいいんじゃないだろうか。多分ここはハズレということは無いだろう。
 さて「南南協力」についてだが、簡単に説明すると今まで「南北協力」で、北(先進国)→ 南(発展途上国)の流れで開発支援していたのを、今後は南(発展途上国) → 南(より未発展な発展途上国)という流れで支援しましょうというJargonである。こうすると、理論的には北(先進国)の価値観や理念でコントロールされず、発展途上国がいわゆるOwnershipを持ったまま支援できるだとか、「南南協力」の当事国が隣国で歴史的・文化的なバックグラウンドを部分的にでも共有していた場合、北のそういったバックグラウンドを理解していない国がやるよりもよりスムーズに支援と能力強化ができるという点でメリットがあると言われている。まあ発想自体はごくごく自然で、発展途上国が発展して余裕が出てきたら考えられそうな戦略だなと思う。特にOwnershipは近年の国際協力における流行語大賞をあげても良いぐらい重要視されている概念なので、先進国が主役にならない開発支援の枠組みを考えるに当たって有用だとは言える。
 この概念について、例えばやばいやばいと言われながらも紛争研究のケーススタディに事欠かないアフリカにおける紛争は減少の傾向を見せているので、今後さらに平和構築が有効に機能して紛争後社会が安定し、開発が進めば「南北協力」より「南南協力」が開発援助において主流になる可能性もある。講演していた人が言っていた通り、この「南南協力」はまだ研究が進められていない新しいJargonなので、今開発系の学位課程修士1年とかで「やべーまだ何も修士論文の中身考えてねーけどそんなことよりさっさと修論終わらせて社会人になるまでネトゲでもしよう」とか言う人は、とりあえずこれについて書けば論文には「今まで先行研究はこの視点を見逃していた」、「まだあまり学会では触れられていない」とか定番のセールスポイントを書けて、中間発表とかで発表者も指導教官も聞いている人も困らないだろう。

2011年9月23日金曜日

Granito: How to Nail a Dictator 感想

 何かTransitional Justiceの授業の一環として、Granitoという映画を観てこいとかメールが来てたので行ってきた。NYUの近く(歩いて2分ぐらい)には場末の場末みたいな、キングの小説に登場してきそうな小さいシネコンがあるのでこういう時に便利である。
 一応俺はこの分野の専門家の卵の卵の卵・・・・すなわちモンスターハンターなのでこの映画について述べておく必要があるだろう。この映画は中央アメリカに位置するグアテマラ(コーヒーで有名)で、1954年に転覆された政府に代わり生まれた親米独裁政権の手で20万人の国民が虐殺され、近年になってようやくこの虐殺に加担した政権のトップ達を「戦争犯罪者」として裁くための文脈が国際的・国内的に形成されてきたことを追ったドキュメンタリー作品である。本作品は3部構成から成っており、第1部が内戦と虐殺の経緯、第2部が戦争犯罪法廷を開くまでのプロセス、第3部が今後の展望について述べられている。
 この映画の見どころについて、Naomi Roht-Arriazaってこういう人だったんだとか、エンドクレジットに何かNYUでTransitional Justice教えている先生の名前とかが載っていたなどといったマニアックな点は置いておいて、「20万人」といった抽象的な数字では語ることのできない被害者やその遺族の思いや、アメリカという大国の責任を描いている点にあると思われる。
 冷戦期の親米独裁国家樹立→内戦の典型事例の1つがグアテマラである。以前スネ夫とジャイアンの例で述べた通り、アメリカというジャイアンは、やたらスネ夫を作りたがる傾向がある。とりわけ9.11までは、親米である限りアメリカはこういった独裁政権という、自分が大層に掲げている自由民主主義や人権といった理念に反する政権があっても見逃してやるというダブルスタンダードで動いていた文脈があり、作者及び被害者が指摘する通り、このグアテマラにおける虐殺は、親米独裁政権を資金的に援助していたアメリカにも多大な責任があるだろう。ニカラグア事件のように現政府 v. 反政府組織(アメリカの支援付き)という構造があって、ニカラグア政府が国家としてアメリカは国際法違反だとか言えばいいのだが、グアテマラのケースは、既にアメリカの支援によって政府が転覆されて、その政府が自国の国民を虐殺しているので、現政府(アメリカの支援付き) v. 国民(反政府組織)という構造になる。こうなるとここで言う「国民」は国際法の主体にならないのでアメリカの国際法違反を直接訴えることはできず、せいぜい米州人権裁判所に訴えるか、国連の人権委員会なりがRecommendationsをグアテマラにするかどちらかが取りうる策であった。しかし、法律論的にはどちらも強制執行能力(やるとしてそもそもグアテマラを支援しているアメリカがやるのだろうか)があるのかという点で問題があり、また国際政治的には冷戦期で他の国連機関と同様、人権委員会(系)といった組織が十分に機能していたのかは不明な状況がある。結果として、クソのカスみたいな理由(一部の虐殺は政府と癒着していた地主があの土地に住んでいるマヤの人々が邪魔だから「反政府組織」ということにして排除してくれと訴えた結果行われたらしい)で20万人が殺されてしまった。
 さて、作品の内容であるが、かなり克明に1982年という、グアテマラがジョージ・オーウェルの『1984年』のようなろくでもない時代だった頃の状況を映し出している。作者は当時自作のドキュメンタリー映画のためにこの国を取材しており、その際に独裁政権の軍と反政府組織両方に取材することに成功している。なので、反政府組織狩り中の政府軍のヘリに同乗して取材していた作者に、現代のグアテマラで元反政府組織の一員が「あの時ヘリのパイロットを撃ってたらあんたは死んでたね。はは」とか言うシーンもあった。こういった死が隣り合わせに存在していた現実を描いたシーンは他にもあり、例えば政府軍が虐殺の対象者を名簿を持ってチェックする場面で、「この名簿に名前が載ってたらあいつは死んでた。はは」とか普通に言っててああこれが当時のグアテマラだったんだなということが分かる。
 また、タイトルのGranito(砂の粒)の意が表す通り、この虐殺の問題に内戦中、内戦後の現代で戦い続ける「砂の粒」のような一人ひとりの個人の役割が映画中では強調されている。「法外科医、国際弁護士、遺族、現地人権活動家など、これらの人々は一人ひとりでは小さな「砂の粒」だが、協力することで大きな力を生み出すことができる」という教科書のようなメッセージがこの映画には込められているだろう。カンボジアのクメール・ルージュを対象とした戦争犯罪法廷と同様に、グアテマラの事例でも当時虐殺を命じた軍政権のトップ(これぞ悪人といった男である)はかなり老齢になっているようなので、Transitional JusticeにおけるProsecutionにいつもつきまとう「時間との戦い」が今後の問題である。何せ虐殺の証拠(Command Responsibilityを問うための当時の作戦や具体的な指示等)は秘匿・消去されている場合が多いのだ。目的達成のためには一人ひとりのスペシャリストの協力が不可欠となる。この作品では彼らがどのように協力するのかということが、特に2部において描かれている。
 他方で、「教科書のような」と述べたとおり、若干作品構成はくどくて(作者の個人的なメッセージやらが強いのはいいのだが、もう少し「ドキュメンタリー」っぽくして作者が何か虚空を見つめたりフィルムを見つめてたそがれたりする描写を削ってくれるとありがたい)少し鼻につく感じはあったと思ってしまった。小中学校の人権教育の教材としては十分な役割を持っているが、2時間ほど観客をひきつけるような面白さを持っていたかと言われると、それは持っていないと言わざるを得ない。事実俺の前の席でこの映画を観ていた女の子は途中で寝てしまって、隣のラッキー(女の子がどんな女の子か見てないのでラッキーかどうか不明)な男に寄りかかっていた。まあこういった鼻に付くメッセージ性というのは、作者のグアテマラという国やその国に住まう人々に対する思いの表れと解釈すべきなのだろう。グアテマラの虐殺という事例に関心のある人が勉強目的でTSUTAYAで借りて観る映画ということで良いのではないだろうか。

2011年9月19日月曜日

鍋が食べたくなってきた in New York

 何かNew Yorkは急にすごく寒くなってきた。つい先日まで街を薄着の男女や性別不明の人々がうろつきまわっていたはずだったのだが・・・。何かこっちに来てから精神と時の部屋に入っているかのごとく、時間の経ち方が不明瞭になってしまったので実は長らくNew Yorkに暮らしていた人々にとってみればもう普通にこれぐらいの気温になって当然の時期なのかもしれない。そして俺は順当に鍋が食べたくなってきた。
 New Yorkという場所はこういう時、こういう日本人にとって便利である。先日行ったパールなんたらとかいう店もそうだが、小型の鍋を買うのにそれほど苦労しそうにない。しかももうおなじみになったサンライズなんたらとかいう店で、簡単に日本で売られているものと同様のごましゃぶとぽんしゃぶのたれや、白菜などの野菜も購入できるし、最近は全然日本と暮らしている時と同じような生活になってしまった。朝飯なんかは納豆まで食っていやがる・・・。これはこれで良いのだが、他方で外国に居るのに日本と同じような生活で、時折「あれ?俺ってアメリカの『文化』とやらを学ばないとダメなんじゃなかったっけ?納豆と味噌汁食ってるけど」という感覚を抱く。まあ今更シリアルとピザ食って生活しろって言われてもやらないが。今のところアメリカの食生活から学んだことは「外で食う場合は割高になるのを我慢しろ。牛丼屋なんて存在しねえ。味も妥協しろ。店員の態度も妥協しろ。店の使い勝手も妥協しろ。まあ、何だ・・・諦めろ」ぐらいである。とりあえず俺の見解だと、アメリカという国はあらゆる場所で極端な格差が発生していて、俺が見ている食文化というのはかなり下の方にあるものでないだろうか。上を見るのは今じゃなくもっとおっさんになってからということらしい。うん、そう思うことにしよう!
 というわけで、「上の食文化」が見えないただの引き籠りは、何の問題もなくアメリカでも日本と同様に鍋を食って勉強してモンハンをすることにした。将来アフガニスタンとかスーダンとかで生活するようになって日本食が食えなくなってモンハンができなくなったらどうするんだという気もするが、日本食が普通に手に入ってモンハンもできるんだからしょうがない。

2011年9月18日日曜日

「次」のモンスターハンターについて

 俺がアメリカに来ている間に日本では新しいモンハンの話題が出ている。一見、もう今後のモンハンは全部3DSで統一されるように見えるような発表のされ方である。
 俺は3DSを持っていないので、今回も3の時のように「モンハンのために新しくハードを購入する」かどうかということが、今後のモンハンをやる上での前提となるらしい。しかし、今回のモンハンが俺のような者に対し、新しくハードを購入してまでプレイさせるような魅力があったかというと、少し説得力に欠ける気がする。何せ、そもそも3DSに興味が無いどころか、3D機能も、タッチペン?で操作する機能も俺は必要としておらず、店頭で触った限り画面が小さいし操作もしにくそうだったので、中立的な評価どころか、マイナスの評価をしているのだ。3DS自体で俺に3DSを買わせるインセンティブを持たせることができない以上、新しいモンスターハンター3Gがどれほど魅力的であるかが問題となる。
 この点、今のところ俺の印象は良くない。伝統的に各シリーズで「主役」の扱いを受けるパッケージモンスターはブラキディオスという、はっきり言ってパッケージモンスターとしては歴代最低のビジュアルを持つモンスターである。ボルボロスやハプルボッカみたいなキワモノポジションにしか見えない。また、何より3→P3→3Gという、3回目のモンスターの使い回しというのが少し気になる。今のところ有意な差異化が図られるどころか、上記→に沿ってバージョンアップしているだけのように(しかもめんどくさいことに全部ハードが違う)見えるので、上記→の根本である3にあった水中戦を増やした(元に戻した)だけではあまり魅力的だとは言えないと思う。
 操作については文句を言ってもやれば結局慣れるものなのでいいとして、さらに問題であるのは3DSが携帯機としてPSPと同程度のネットによる協力プレイの状況を作り出せるか、ということである。今のところ「公式」にはアドパのような特別なソフト(あったとしてWiiでやるのだろうか)も無いし、KAIなどの「非公式」のソフトを使うしかないようだ。中にはアドパよりKAIの方が良いという人もいるようだが、俺としては今のところ「公式」のソフトを介さないと安定しないので使い辛い。特にアメリカに居ると、以前の記事で書いたようにアドパ以外の有効な接続方法が無いので、代替する接続手段がないと結構俺の使い方に関して言えば購買意欲が削がれてしまう。購買意欲の構成要素として、3DSがネットワークに繋げるかどうかというのは個人的に結構大きいポイントなので、発売日までにこれが可能だという情報を手に入れない限り俺は新しいモンハンも3DSにも関心を持たないだろう。
 より根本的なことを言うと、売り方に関して言えば、なぜ基本的な世界観・システムが同様であるソフトをわざわざ3回別々のハードで出さなければいけないのか、少し意味が分からない。悪質な完全版商法にしか見えない。わざわざユーザーがこの流れに沿って3回別々のハードを買ってCAPCOMについて行く必要は今のところ無いのではないだろうか。今出ている情報を見る限り、MH3・MHP3・MH3Gは結局殆ど同じ話(モンハンには「話」が無いので「話」に当たる部分はシステムやモンスターになる。この3作品はそれが基本的に同じで言わば「モンスターハンター3系」)なので、Wii・PSP(PS3)・3DSの内、自分が持っているハードで出たものを買って楽しめばそれで済む話だと思う。俺に関して言えば「PSPバージョン(HD含む)」のものを買ってプレイしたので、もう「モンスターハンター3系」が持っていたコンテンツは消費してしまったということだ。
 というわけで、「次」のモンスターハンターについては、あのリオレウスの背中にハンターがしがみついてガシガシ剣を刺しまくっていた「モンスターハンター4系」に期待することにしよう。

2011年9月9日金曜日

ご飯を炊く!→ 感涙

 アメリカに来てから1カ月経つが、重要な問題の1つが食事だった。確かに、アメリカには日本食のレストランなり、今まで食べてきたものの延長線上で食べられるものはあるのだが、「毎日の3食をどうするのか」という問題は、好きなものを見つけて食べるということとは違うと思う。もちろん俺がボンボンで金なんかいくらでもあるしなんなら授業料も自腹で払ってやろうかという野郎だったら別に自炊なんかしなくてもいい。NYUの周辺にはいくらでもレストランがある。
 しかし、苦学生にとって、やはりNew Yorkは基本的には買い食いには適さない町なのだ。俺の感覚だと1食5ドルを超えたあたりから高いな・・・と思ってしまうので、SUBWAYやマクドナルドで買って食べたとしても高いなという感覚がある。やはり自炊をした方が安い。
 そこで、俺は採りうる最善の策として、この1カ月間は、朝:フレーク(人間の食べるものじゃない)、昼:パン(日本のパンと比べると全然おいしくないが、Amy's Breadのパンだったらまだ許容範囲)、夜:パスタのサイクルを維持していた。毎日のパスタだが、これはもともと日本に居た頃から料理することができたのではなく、アメリカで練習して作ることができるようになったものだ。パスタは安い。ソースは余裕で1週間使えるし、野菜をちゃんと食べることができて栄養の面でも問題ない。俺はメジャーなパスタとして、カルボナーラ、ボロネーゼ(ミートソースの時もある)、ペペロンチーノを順番に1カ月間料理していた。正直イタリアに留学したわけでもないのに何で俺は毎日パスタを作っているんだろう・・・と思う時がけっこうあったが、上述した新しい調理の技術を習得する喜びも手伝って、なんとかこれまでやってこれた。
 しかし、やはりパスタが上手く作れるようになって、味が板に付いてくると流石にうんざりしてきた。ちゃんとおいしいのだが、やはりもっといろんなものを食べないと飽きてくる。そこで、何とか日本の米を手に入れてご飯を炊いてやろうと思い立った。
 ネットで検索してみると、New Yorkには結構日本食のための食材が手に入る「日系スーパー」なるものがあることが分かった。俺はとりあえず少し近場だったSunrise Martに行ってみた。場所はCooper Squareの近くである。全然大きくないので分かりにくいし、メインの売り場が2階でいきなりエレベーターで上がることになるが、入ってみると日本人の店員が普通にレジを打っているのが目に入った。肝心の米だが、若干割高だが、結構品ぞろえは豊富である。米以外にもネギや納豆、日本のお菓子やカップラーメンまで、普通に日本にあるスーパーのような品ぞろえである。俺が素晴らしいと思ったのが日本のサランラップが買えることだ。アメリカにも当然ラップは売られているが、最初にKマートで買ったラップは日本のものとは違う場所に刃が付いていて、本当に使いにくいし、すぐに切れなくなってしまってうんざりしていたのだ。
 そこで米を買った後、今度は和食用の器が必要だと思い、探しに行った。本当に簡単な食器を日本から持ってきておけばよかったと思ったのだが、アメリカのデパートの普通の食器売り場にはなかなか日本人がダイソーなり適当な所で買うぺろんぺろんの味噌汁用の食器などが売られていない。似た系統があったとしてもでかすぎるボウルだったり、皿のサイズもとても小鉢とは言えないサイズで和食に適さないものばかりである。「違うんだよ。こんなごわんごわんした奴じゃなくて、あのぺろんぺろんのクソみたいな食器が欲しいんだよ俺は!!」と本当に店員に詰め寄りたくなる。
 さて、俺がネットで見つけた店はPearl Riverという、ラブホテルみたいな名前の雑貨屋である。ソーホーにあるユニクロを過ぎて更に下ったところにあるこの店は、サイトの情報だと中国系?のものばかりで、なんか陶器のちゃんとした器ばっかりありそうで、あのぺろんぺろんの奴はなさそうだな・・・と期待していなかった。
 ところが、実際に行ってみると、New Yorkに在住してて安い和食器がほしい奴は全員ここに行くべき店だなと思わされた。素晴らしい。俺の欲しかったものはここに全部ある。ちゃんとぺろんぺろんの奴もあったし、地下に行くと電気ポットや炊飯器、日本人が普通に使っているキッチン用品などが全てあった。しかも日本のお菓子まで売られている。最初にKマートとかいうアメリカで無難そうなデパートに行くんじゃなくてここに来れば良かったと本当に思った。俺はそこでぺろんぺろんの食器とポッキーを買って家路についた。Snickersなんか食いたくねえんだよ!!
 しかし、俺は売られていた炊飯器は買わなかった。ちょっと彼女から聞いていた鍋で炊く方法を試してみたくなったのだ。鍋炊きご飯の作り方については白ごはん.comという素晴らしいサイトを参考にさせていただいた。初めてやることだし、最初にKマートで買った鍋なので少し不安だったが、思ったより全然上手く炊けた。そして一口食べてみると、アメリカで食ったものの全ての中で最も美味いではないか。1カ月以上口にしていなかった故国の味につい興奮して近くに居たインド人に「お前日本に来たら絶対日本の米を食べろよ!世界で一番美味いからな!!」とかうざいことを言ってしまった。

2011年9月6日火曜日

MHP3HDはダメだ。俺はやりたくなくなった。

 前回の記事でMHP3HDは「クソでもないかも」しれないゲームソフトとして述べたが、個人的には「ダメだこのゲーム。全然ダメ。めんどくさい。こんなめんどくさいことに耐えてまでやりたくない」という気持ちが高まってきた。
 アドパで「HDお断り」、「PSPのみ(orHDのみ)」といった部屋が乱立しているが、HDを使っている人はたとえHDのみの部屋に入ったとしても多分めんどくさい思いをする方が多い。俺がアドパでMHP3HDを使って体験した症状は下記の通りである。

・新しく部屋に人が入るとそれまで部屋に居た人がフリーズもしくは接続を切られる。

・オンライン集会所に行こうとしていて、接続画面が表示されている時に新しく人が入ると接続を切られ、L字型のチャット画面がL2を押しても表示されなくなる。

・クエスト中に突然フリーズしてBGMは流れたまま画面だけが停止してコントローラーによる操作を受け付けなくなる。発生確率の高いバグの1つ。クエストが終わったタイミングでセーブする前にフリーズすることすらある。

・「ルームから退出しました。ゲームをセーブせずにアドホック・パーティーへ戻りますか」というこれを書いた人の頭を疑わざるを得ない文章が表示されて、はいを選んでもいいえを選んでもどちらにしても再起動することになる(当然入っていた部屋からは退出してしまう)。しかも1人で訓練所に行っている時ですらこの文章が表示されることがある。ちなみに実際にはHD版で「ルームから退出」して「ゲームをセーブせずにアドホック・パーティーへ戻る」ことはできない。そもそも「ルームから退出」する(当たり前の)機能なんて無いのだから。完全に意味不明。

・クエスト中にメンバーの誰か(特定の1人が多い)の接続が切れてオフラインになり孤立する。発生確率の高いバグの1つ。

・アドホック・パーティー起動後にMHP3HDを起動しようとすると起動の途中で画面がフリーズする。

・クエスト中にチャットをすると画面が停止しかけることがある。実際停止して上記フリーズの症状が発生することもある。

・部屋を建ててもコメントがうまく表記されないことがある。全く空欄になる場合や、謎の漢字(中国語?)が表示される場合がある。しかもアドパを使っている人それぞれに違って見えるようなので、部屋を建てている人はコメントがうまく表記されているか確認する術がない。ちなみにこのバグはPSPを使っている人にも発生する模様。

・部屋に入った順番が入れ替わって表示されることがある。後から入った人がホストになる場合もある。

 MHP3HDに関しては、一応「HDのみでやれば安定する(かも)」、「PSP Remaster アドホックモードを切断することで安定する(かも)」といった情報があるが、実際は安定しない。たとえHD限定部屋を建てても、アドホックモードをゲーム設定から切断しても上記バグは発生し続ける。なので、俺はせっかく買ったMHP3HDをしばらく使わないことにした。別にゲームの本質自体がクソになっているわけではないが、俺の使い方に限って言えば、アドパを利用する限り上記バグが俺の時間とやる気を殺ぐので、やっていてめんどくさい。
 次に使うときはアドホック・パーティーがアップデートされて上記バグが改善された場合である。改善措置を実施しなかったらしなかったで企業としては(ある意味大企業らしい)潔いクソっぷりだが、わざわざPSPリマスターという企画のためにお粗末なシステムを作った結果、現状アドパでHDとPSPユーザーが分かれていることや、HDを使っている人がほとんど「バグがあって当たり前」、「突然接続が切れて居なくなってもしょうがない」と思って我慢して(あるいはもう見切りをつけて)いることを、製作した人々は考慮した方が良い。「文句があるならやらなければいい」、「たかが5000円もしないゲームごときで対応するだけ時間と金の無駄」といった態度は確かに自由主義経済で市場原理が働く「前提」がある限りある意味正しいが、このソフトを購入した10万を超える消費者の印象は少なくとも良くはならないだろう。(ある意味)残念なことにPSPリマスターという企画もアドホック・パーティーもモンスターハンターも「これで最後です」というものではないので、「損切り」の如く逃げ場がない以上、生産者は責任を取った方が今後のために無難である。
 もっともバグだらけのゲームを作るだけ作って売るだけ売って逃げた企業なんていくらでも存在するのが実状なのだが。所詮「たかがゲーム」なのである種の不備のある家電や車のように人の生死に関わらない分、企業の責任感も薄まるらしい。売った車のブレーキが利かなかったら「これが仕様です」とか言うと確実に訴訟で負けるしマスコミは叩きまくるが、売ったゲームがバグだらけで「これが仕様です」とか言っても言い逃れできる商売なのだ。ゲームを買った消費者の権利なんてそもそも無いに等しいと思われているのかもしれない。なので、買ったゲームが(ゲームの本質とは無関係の理由で)動かなくてうんざりしたら、諦めてそのゲームをプレイすることを止めるしかない。

2011年9月3日土曜日

セントラルパークに行ったついでにメトロポリタン美術館にも行く

シープ・メドウ。俺が行った時は閉まっていて謎のおやじが一人中に居た。

 Fallも始まって、最初の授業(ゼミ)の課題図書が論文約20本、本約10冊ぐらいになっていて(結局真面目に読んで行ったら全然関係ない話ばっかりされたが)、今後もこんな感じだとアメリカに来たのに図書館と大学しか行かなかったっていうことになる可能性がある・・・しかも彼女も隣に居ないと俺が外に出るインセンティブなんて前提として90%減の状態だ・・・と考えた結果、頑張ってセントラルパークへ行くことにした。なぜか俺はFallもSpringも金曜日が全く空いていて、しかも来週の月曜日が祝日なので4連休だったのでチャンスだと思ったのだ。
 結構早い時間に着いたので、リスを捕ま・・・写真を撮ることにしようと思ってリスを探したのだが、全然見つからず、NYUのOISSの横の茂みで2回遭遇したのにセントラルパークまで来て遭遇できないって何なの・・・とか、小学生の頃トキワの森でピカチュウを延々探し回ったことを思い出しながら1時間ほどうろうろした。走っているおじさんおばさんや、犬の散歩をしている人々が沢山いた。
 しかし全然見つからなかったので、もう疲れてきたしもういいよ。OISSの隣の茂みに居たリスの写真でも撮ってセントラルパークに居ましたってことにすればいいよこんなんと思ったので、美術館を目指すことにした。しかし広い広い。原付があればいいのにと何度も思った。

ベセスダの噴水。それはもう噴水だった。


メトロポリタン美術館外観


 20分ほど歩いて美術館に到着した。でかい美術館である。全然買う必要なかったのだが、事前にウェブで学生用チケット(13ドル)を購入していた。入る前に手荷物を預ける必要があるのだが、以外なことにカメラ(及び写真)は商業目的でなかったら使っても良いらしい。ただし、撮っちゃダメという表示がされている作品もあった。
 メトロポリタン美術館には、アメリカ、ヨーロッパ、アジア(日本含む)、現代美術、エジプト、ローマ、キプロス、アフリカ、オセアニアなど、世界各国の美術作品が展示されていて、詳しく観ていくと全部観終わるのに1週間ぐらい要するんじゃないかというほど作品数が種類・数ともに多い。俺はエジプトコーナー的な場所から観て行ったのだが、内部が広く更に複雑なので、マップを読んでも良く分からずに苦労した。日本人観光客(らしき人々)も結構居て、彼らはガイド?の人に説明を受けながら作品を観ていた。ガードマンらしき屈強な男女も多数居る。
 うろうろしていると11時半ぐらいになったので地下のカフェテリアに行って食事にしたのだが、高い・・・そして無駄に多い。ダブルチーズバーガーの付属のポテトだけで一食いけるんじゃないかという量だった。前の女がチキンを頼んでいたが、3人前ぐらいあるんじゃないかという量だった。ハンバーガーはバンズが冷たくてそんなにおいしくなかった・・・。寿司も売られていた。アメリカの美術館でわざわざ日本人が寿司を食べるってどうなの・・・と思ったので食わなかったが、後から考えると寿司の方が良かったかもしれない。

Agnes Northropの"Autumn Landscape"純粋に美しい作品



弓を射るヘラクレス。説明を見てなかったので作者は不明。こんな格好で射ってたら弓道部だとぶっ飛ばされる。


アメリカ人Jackson Pollock の"Autumn Rhythm (Number 30) 前衛的である。


インドの作品"Seated Four-Armed Vishnu" こういう系統の作品の前で記念撮影をしていた人はほとんどが合掌したポーズを取っていた。


鈴木基一の『朝顔図屏風』

 日本の作品については、アジア枠という扱いで、2階のアジアコーナー的な場所に中国や韓国などと一緒に展示されていた。個人的には日本の作品は良く他の国の作品と差異化が図られていたと思う。人間の肉体の美しさなどは(裸率の高い)ヨーロッパの作品などは良く描けていると思うのだが、静謐な空間や平穏といった概念は日本の作品の方が本当に醸し出すのが上手い。


野良リス発見!!

 本当は近くのアメリカ自然史博物館にも行こうかと思ったのだが相当疲れたので帰ることにした。何だよ結局リス居ねーじゃねーかよと思っていたのだが、椅子に座ってリスにぽいぽい餌をやっていたおやじに遭遇し、リスを撮影できた。結構誰も興味を示していなかったので、アメリカでリスを見かけることは野良犬を見かけるようなものらしい。

2011年8月30日火曜日

MHP3HD 感想

 やってる場合じゃないがMHP3HDが届いたのでやってみた。前回書いた記事で「思いの他クソ」と思っていたのだが、「思いの他クソでもないかも」に改める必要がある。
 まず全体的なことを言うと、確かに手抜き感は否定できない。作った人はユーザーの利益よりも(というか犠牲にして)会社の利益を取ったのだろう。このゲームをプレイすればやった人間のほとんどが小学生からお爺さんお婆さんまで「こうすればもう少し良くなるのになあ・・・」という点に簡単に気づくことができる。何もかも中途半端である。綺麗綺麗と売っていたグラフィックは細部(と言ってもHDで拡大されたので正確には「細部だった場所」)が荒い。アドホックパーティー→ゲーム開始の流れは遅い。ロード時間も本当にインストールされているのかと疑いたくなるスピード。頻繁に接続が切れる。野良ハンター殺しの「部屋から出られない仕様」・・・。このゲームは簡単に叩くことができる。
 他方で、この「簡単に叩くことができる」という評価は、実は評価する視点の水準を上げすぎている嫌いもある。前提として「PS3という、少なくとも性能だけだったら現在世界で出回っているゲーム機の中で最高クラスなんだから、さぞMHP3はグラフィックが綺麗になっているだろうし、ロードも早いだろうし、接続も安定するだろうし、処理速度も速いだろう」、「450万本も売れた言わば『国民的』ゲームなんだから、そのゲーム製作に携わった企業はユーザーの期待を裏切らないだろう」という期待があり、その期待がことごとく裏切られているので、このMHP3HDは現状「クソ」という評価になっているのだと思われる。
 この前提を抜きに評価することはある種の仮説を呈することになるので意味があるのか不明だが、俺の考えだと「思いの他クソでもないかも」ぐらいがこのゲームの評価・感想として妥当だと思う。もちろん俺はこのゲームの製作に間接的・直接的に携わったソニーとカプコンという企業の無能性は上記した誰でも分かる欠点ゆえに「誰でも分かっ」たと思うし(特にソニーは今年に入ってこれでゲーム関連で二度目の失態)、何より、アメリカでこのゲームが450万本も売れていたら(売れないけど)、クラスアクションでも起こされていたんじゃないかと言いたくなるほどの、「無能性」とは無関係に「不誠実」な広告・販売(上記した「誰でも分かる欠点」は広告にも公式HPにも事前に表記されていない)は、擁護できないし、擁護したくもない。新車と思っていたBMWが再塗装されていただけで訴訟を起こされているんだから、「素晴らしいと思っていたゲームがクソだった」だけで訴訟を起こしても(勝つか負けるかは抜きにして)少なくとも不条理ではない。買ったものの価値が全然違うので詭弁だが。
 しかし、難しいとは思うが上記した「期待」を抜きにやってみると、「まあ・・・うーん・・・モンハンやってるな俺」ぐらいは思うことができる。そして「うーん・・・・まあPSPよりはグラフィックましになったんじゃねえの?」ぐらいは思うことができる。加えて、上記した欠点が常に100%発現するわけではなく、「運」に依存していることなので、「運」が良く、さらに部屋がクソ部屋じゃなかったら、この「モンハンやってるな俺」という感覚は味わうことができる。というわけで、このゲームを買って、「運」が良く欠点が発現せず、クソ部屋に入らなかった人にとっては「思いの他クソでもない」ゲームがMHP3HDである。そして、「運」が悪く欠点が発現しまくって、更にやっと入った部屋がクソ部屋で出る度にXMBからゲーム終了を選ばなければならなくなった人にとっては「思いの他クソ」みたいなゲームがMHP3HDである。

2011年8月27日土曜日

ハリケーン襲来!!

 日本では宇宙空間でガンダムのごとく戦闘している弐号機の映像が流れたり何をやってたのかよく分からない総理大臣が辞任する意思を(やっと)固めたりやっと発売されたHDバージョンが思いのほかクソ(まさかの野良ハンター殺し仕様)だったり、いろいろあったようだが、New Yorkでは内容より手続き的な側面がめんどくさかったテスト(土壇場でいきなり説明するんじゃなくてここにある情報を事前に一部重要なとこだけでもいいんで添付ファイルで流してくれませんかね。いや、ピクニックとか飲み会の案内よりそっち優先だろ)の後、「アイリーン」なるハリケーンが直撃するかも・・・という状況になっている。
 これは恐ろしい。大学からもフルブライトからも緊急時にはちゃんと逃げろというメールが来ている。こっそり論文を投稿したり、テスト(まだ「テストみたいなもの」)が終わってFallが始まるまで一息いれようというところにこれである。個人的にはまだハリケーン「カトリーナ」の猛威をニュースで観た記憶があるので、いやこれ油断してたら死んじゃうんじゃないかなー・・・とか思っている。人生初のアメリカでいきなりハリケーンに遭遇するとは思わなかった。いきなり非常事態宣言が出されている場所で今俺は暮らしているらしい。今は晴れているんだけど・・・。

2011年8月23日火曜日

New Yorkの住環境について

 フルブライト奨学金の詳細について述べた際に強調した通り、たとえフルブライターであってもNew Yorkの住環境というものはいろいろ考慮しないと痛い目を見る可能性がある。何より、家賃が意味不明に高いのだ。日本の水準からすれば「月10万も払ってるのにこの程度なの?」と言われてもおかしくない。もっともこのNew Yorkという都市は、日本のセブンイレブンやローソンで230円とかで売っているサンドイッチに7ドルぐらいの額を付けてしまう、まさに金が全てを支配する場所なので、この場所では意味不明な家賃も不条理ではないのかもしれない。
 さて、俺個人の住んでいる大学の寮は、他と比較すれば(家賃の点に関してのみだが)「まだマシ」な部類に入るようだ。New Yorkではそこそこまともな場所に住もうとすると、1カ月の家賃で1800ドル以上を取る(獲る)場所などざらにあるらしい。学生寮ですら1カ月2000ドルを取る(獲る)場所があるらしく、日本人の感覚からすればとても「学生」にアドバンテージを持たせる料金設定とは考えられない。
 以前述べたとおり、俺の暮らしている部屋は家賃が安い代償として強制ルームシェアなので、数日前まで生粋のアメリカ人J.D.の学生と、もう学位とNY州の弁護士資格を獲り終わってこれからローマへ行こうというLL.M.の留学生が住んでいた。俺は大学生の時も強制的な部分的ルームシェアの状態で4年間過ごしたので、この3人の生活はそこまで不快というわけでもなかった。何よりJ.D.の学生は夏休み中だったこともあり、(俺も出不精だが)俺以上に引き籠りになっていたので気配そのものがなかった。
 しかし、彼らが8月の途中で消えて、新しくインド人が入ってきてから、やっぱりこの「強制ルームシェア」は安い家賃の代償だったなと思わされた・・・・。このインド人、本当にうるさいのである。夜10時ぐらいに料理を作りだして鍋などをガンガン叩きつけたり、11時以降に他のインド人?らしき人々と謎の言語で大声で喋るのだ。自分の部屋で喋れよと思うのだが、なぜか共用キッチンのある場所で喋るので丸聞こえである・・・。なるほど、引き籠りのルームメイトは引き籠りの方が良いらしい。

2011年8月19日金曜日

フルブライト奨学金の「全額給付」の詳細について

 フルブライト奨学金は一応「全額給付」が基本となっているが、内定後にもらう黄色い紙も、最終的に決定した後にもらうIIEからのTerms and Conditionsも、"mandatory fee"は払うとか、結構広い解釈も可能なのではないか・・・という書き方がされていて分かりにくい。そこで今回は実際にどれだけ出たのか(今の段階で出ているのか)記載しておこうと思う。


フルブライトが直接大学に支払うもの

(1)授業料(Tuition)
 これは文句なしに全額出た。ロースクールは半期で約200万という、意味不明だと言わざるを得ないぐらい高い。教科書と家賃と食費と生活費が全部込みで更に生活している場所がNew YorkかBostonなどでこの額だったら初めて妥当になる金額だと思う。

(2)保険料(Insurance)
 これも全部カバーされた。フルブライトも独自の保険がかかる仕組みだが、NYUなどはそれでは足りないので大学の保険に入らないといけないらしい。この「大学が指定してくる保険」の料金も"mandatory fee”に含まれるらしい。

(3)履修登録費用(Registration Fee)
 全く謎の項目だがNYUだと500ドルを超えていた・・・。ぼったくりもいいところだが、これも上記した"mandatory fee"に含まれるらしいのでカバーされる。



フルブライトが直接大学に支払うわけではなく、フルブライターが定期的に受け取る金銭から大学に支出しなければならないもの

(1)家賃(House Rent)
 たとえ大学の寮で、Student Accountで授業料などと同列に請求されていたとしても「フルブライトが大学に直接支払う金銭」ではなく、「フルブライターがフルブライトから受け取る金銭」で賄う必要がある。それではどこに住んでも住んだところに合った金銭が支給されるのか、というと、そういうわけではなく、地域ごとに固定された額がフルブライターに支給される仕組みになっている。例えば俺の場合、NY州という枠になるので、「生活費」として支給されるのは月々1805ドルである。これは例えばその他の食費なども含んで「生活費」としているので、フルブライト奨学金以外に全く金の当てがない場合、この額で賄える場所を自分で探し出さなければならない。「自分で」と強調したのは、フルブライト奨学金が住む場所を紹介してくれるわけではないからである。これは奨学生に内定した(あるいは内定するつもりの)人は覚えておいた方がよい

(2)電気代や水道代等 (Living Cost)
 上記した通り、これも「生活費」で賄えるようにしなければならない。もっとも、アメリカの場合はもともと家賃が電気代や水道代込で設定されている場所が多いので、それほど困ることではない。ただし携帯電話の料金は別である。

(3)教科書代等の学費(Academic Fee)
 これも基本的には定期的に受け取る金銭を自分が管理して支払う。

2011年8月15日月曜日

New Yorkで地下鉄に乗って

 地下鉄を利用して「(広い意味で)俺の分野」の先輩に当たる人と会ってきた。New Yorkの地下鉄はとにかく構内が暗くて汚いが、雨が降っていたのでそれはもう下水道のようだった。
 アメリカで地下鉄に乗るのはこれで2回目である。1回目はNYUの英語クラスで裁判所を見学に行った時に乗ったのだが、以前書いたように風邪で朦朧としていたため一刻も早く帰って寝たかったのであまり記憶がない。自発的に乗ったのは今回が初めてである。
 乗り方は地下鉄構内の複雑性に反してシンプルで、メトロカードを購入して改札でスライドするだけで乗ることができる。料金も一律2.25ドルで、乗り方に関して言えば日本の地下鉄よりは簡単である。ただし、迷路のようなむわっとする構内を歩いて目的の電車に乗らなければならない。電車の中は寒いのに構内はむわっとしていて温度差が激しい。しかも電車内の椅子はカッチカチである。一般的なシートが固いという意味ではなく、叩くとコンコン音がするという質のカッチカチである。メトロカードのシステムよりこれと構内を整える作業の方が必要なのではないか・・・。快適さは皆無である。
 さて、この地下鉄に乗って適当な?カフェでいろいろ話を聞いてきた。話の内容は俺個人にとってまあまあ面白いのだが微妙にマニアックなので割愛する。そこで小一時間程度喋った後、近くにあった紀伊国屋に連れて行ってもらった。
 HUNTER×HUNTER29巻が普通に売られていた。アメリカに行ったらしばらく日本の漫画は読めないかもなと思っていたのだが、New Yorkでは全然問題ないらしい。そこにあったのは普通の日本の紀伊国屋であり、店員も日本人が多く、新書から司馬遼太郎まで、本当に普通の紀伊国屋の品ぞろえだった。(HUNTER×HUNTERは7.4ドルもして割高だったが)普通に日本語で書かれた本を購入できる。別にアメリカに行く前に日本の作品を読んでおこうとか思う必要がなかったな・・・とムッキムキになってしまったゴンさんを見ながら思った。

2011年8月13日土曜日

ボブスト図書館へ行く

 NYUのメイン図書館であるボブスト図書館へ行ってきた。図書館のオリエンテーションはまだだが、俺はそんなの待ってられない。
 入るといきなり駅の改札みたいになっていてびっくりした。10階以上階数があり、中央が吹き抜けでぶち抜かれていて、今まで見た図書館の中では群を抜いて「芸術的」と思わせる作りになっていた。床もテカテカしている。
 一見使いにくいかもなと思っていたのだが、少し慣れると非常に分かりやすい作りになっている。蔵書数は(当然英語の文献ばかりだが)すごく沢山あるし、どこに何の本があるかも慣れるとすぐに分かる。海外の図書館利用は生まれて初めてだが、それほど探している本を見つけるのに苦労することはなかった。OISS(Office of International Students and Scholars)にフルブライトからの小切手を貰いに行った時に利用方法に関するピンク色の紙を貰ったので、俺のような人間が探している本が6・7・8階に固まっているということもすぐに分かった。
 また、貸出期限に関してはまた1段階レベルアップした気がする。日本の学士だと大体長くても2週間、修士・博士だと学位論文作成中とかでなければ大体普通は2カ月程度なのだが、NYUのMasterやDoctorは4カ月が通常サイクルである。8月に借りると12月に返すことになるので、下手したら教科書を買わずに図書館で借りてやり過ごすこともできるかもしれないと思った。

2011年8月7日日曜日

New Yorkでアドパに行く


 安いテレビを買ったので持ってきたPS3を繋げてアドパに行ってみた。日本と離れているのに驚くほど快適である。
 実はアドパに行く前にKAIの方も試してみたのだが、あっちは全然だめだった。日本でやっていたまま繋げると、EnglishとかSouth Americaを選んでもエスタになる確率が非常に高くなってしまう。Japanを選んだ場合、部屋に入るとPING値が平均して200という、かなり高い数値になってしまい、とてもではないがゲームができる状態ではなかった。ギルカも全然送れない。それに対して理由は知らないがアドパはものすごく快適である。ほとんど日本でやっている時と同じ状態でできる。
 とにかくこれでHDバージョンを迎える準備は整った。今のところ週1でできればいい方だが、実はMHP3は「週1でできればいい方」の人の方が楽しめる作りになっているので、結果的にこれで良いのかもしれない。HDバージョンについてはまたボロい商売始めやがったなこいつらとは思うが、PS3でできるのは嬉しいので素直に踊らされてみる。

2011年8月6日土曜日

イェーーーイ!

 今日から2日授業が休みなのでやっっっっっと部屋を掃除できる。アメリカで生活していくための準備ができる。どっかのアホがさっさとDS―2019というぺらい紙を俺に送ってくれてさえすれば手に入っていた1週間の準備期間を丸々失ったので、この1週間は授業→(合間に何とか手続き的な準備)→寝る→授業の繰り返しで、ほとんど俺が日本を出る前に送った段ボールなどは整理されずにそのまま部屋に放置されていたのだ。モンハンなんて触ってもいませんよ
 しかもアメリカに来てから(俺らしいことに)いきなり風邪を引いてしまって、せっかく来たのに授業を休むわけにもいかず、本当にこの1週間が心底うんざりする一週間だった。一応ニューヨークに来たのだが、俺はまだ日本より劣っているスーパー、劣っている家電量販(?)店、劣っているATM、劣っているマクドナルド、横暴な店員、勝手に閉まる部屋の(鬼)ドア、人を殺す目的でかけられているであろうエアコンしか発見しておらず、「え・・・ここって世界経済の中心部がある場所だったよな・・・?」という感想しか持っていないため、時間があれば早く「すげえよアメリカ。U・S・A!」みたいな感想を持てる場所に行きたいものだ。

2011年8月1日月曜日

New Yorkのユニクロへ行く

 昨日New Yorkのユニクロに行って49ドルのジーンズを買った。日本で買って持ってきていた(と思い込んでいた・・・?「一体いつから私がジーンズをもう一本持ってきていると錯覚していた?」だよ畜生。)ジーンズを紛失していたためだ。アメリカではまだNew Yorkにしかないみたいだが、俺の人生においては「大体俺の住んでいる場所の近くにはユニクロと焼肉屋がある」というパターンが続いているので、アメリカにおいてもこのパターンを踏襲しているらしい。まだいい感じの焼肉屋は発見していないが。
 俺の住んでいるNYUの寮(Washington Square Parkの辺り)から、ユニクロがあるSOHOまで大体歩いて(順調だと)15分ぐらいで行ける。田舎のチェーン店のようにこれがユニクロですと言わんばかりの看板は無いが、東京などにある街中の一軒がそのままアメリカにある感じに外観はなっている。
 中身は日本のユニクロよりはやっぱり綺麗である。この前の投稿で書いた通り、俺は今のところアメリカの多くの建物、通りが「汚い」(特に俺が通ったあらゆるストリートには必ずと言っていいほど黒くなったガムの残骸が大量にへばり付いている。俺の想像だとBroadwayはもっと全般的にキラキラしている予定だったんだけどな・・・)と思っているので、日本を代表する企業であるユニクロの店内は、皮肉なことに「俺の想像上のNYC」に合致する最初の場所だった。店内は3階建てぐらいになっていて、行ったのが日曜日だったからか人でいっぱいだった。俺が今まで訪れたことのあるユニクロでは最高レベルの混雑度合いである。陳列している物は大体日本と同じなので、日本のユニクロを何度も利用したことがある人には本当にとっつきやすい。結構商品に「日本の材質と技術で作られたものです」という表記がされている場合が多く、なるほどユニクロはこうやってアメリカで戦っているんだなというのが分かる。今の所NYUの本屋もドライヤーを購入した電気店も、出口で「レシートチェック」(Hey Sirと怖いおっさんおばさんに呼び止められて買った商品のレシートと商品をじろじろ見られる漏れなく日本人だったらめんどくせぇ・・・と思ってしまうサービス)なるものがあったのだが、この店は無い。
 さて、こうして関心する部分も多かったのだが、ジーンズの裾上げに2時間も要するという点は、まだまだ日本のサービスの水準からすればアメリカのユニクロは不便だなと思った。"How long does it take?" と聞くと "2 hours." と返答が帰ってきて、これだと漏れなく客はめんどくせぇ・・・と思ってしまうだろう。俺が行ったのが混雑している時だったからかもしれないが、俺はめんどくせぇ・・・と思った。日本と同じで無料なのは良いのだが、日本でこれだと他の店がこれよりダメじゃなかったら俺がジーンズをこの店に買いに来ることは多分無いなと思う。ここがアメリカのニューヨーク店じゃなくてソマリアのモガディシュ店などだったらまだ仕方無いかもなと思えるのだが・・・。

アメリカ生活の始まり

 アメリカに到着した。途中で時間の感覚が分からなくなったのだが、少なくとも10時間以上は飛行機の中(当然エコノミー)だった。
 まずまあ色々失敗した。来る途中の飛行機がとりあえず全てにおいて失敗していた。成田からサンフランシスコ経由だったのだが、その便は3席あるうちの真ん中が俺の席になっていて、両サイドを本当にサイズのでかい男と女に挟まれる形になっていた。成田を出てから少しすると、お休みタイムみたいになって電気が消えて俺も寝ようかなと思ったのだが、無理だった。俺の左に座っていたサイズのデカイ男が、俺の方を向いて寝始めたからだ。つまり目線で言うと左から→↑↑になっていて、しかも俺に配分された座席のテリトリーを完全に侵す形で眠り始めた・・・・。俺は諦めてアオアシラを殺す作業に集中した。途中、右の女がトイレだかに行った時に隣の男を起こして通路まで彼女が出るのを手伝ったのだが、その後に彼女からガムを貰った。
 ようやくサンフランシスコの空港に到着したのだが、結構どこに行けばいいのか説明が無くて当惑した。日本の空港の方が多くの点でまだ親切である。俺の航空チケットが土壇場で変更されたせいでゲートも分からないし、座席も決まっていなかったので冷たい現地ユナイテッド航空のスタッフにいろいろ聞きながらゲートまで行った。飛行機に乗るまでが大変だった。朝10時ぐらいに着いたのだが、休むこともできないままNY行きの飛行機に乗った。そして、この飛行機も意味不明に最悪だった。へー急に決まったのに今度は窓側じゃんラッキーと意気揚々と乗り込み、NYに着くまでに勉強しようっと。そして疲れたら昨日(昨日かどうか不明)一睡もしてないし寝よう・・・。と思っていたのだが、俺の前に座っていた家族連れの子供が本っっっっっっっっっっっ当に大きな声で泣き喚き始めたのだ。それはすさまじいスタミナだった。泣き疲れるという言葉なんてこの世界に存在しないんじゃないかというぐらい延々泣き喚き続けた。しかもしまいにはなぜか前のシートの背もたれから俺たち後ろの3人が座っているところを向いて泣き喚き始めた。本当に勘弁してくれ・・・。全然勉強も睡眠もできなかった・・・。
 サンフランシスコの時間で朝10時に出て、大体6時間ぐらい(この状況で)飛んでやっとJFK空港にニューヨークの夕方6時ぐらいに辿り着いた。もう完全に疲れ切っていたし、うんざりしていたのでタクシーでさっさとNYUの寮に行こうとしたのだが、時間も時間なので渋滞に捕まってしまい、寮の近くに着いたのは午後9時を過ぎたぐらいだった・・・。
 肝心の寮なのだが、欧米の「普通」が良く分からないが、俺は日本の方が大体のアパートが綺麗だと思った。空港から眺めていたアメリカの多くの建物についても同じことが言えるのだが、経年劣化以外の理由で生じた汚れが本当に多くある。ああなるほどここがアメリカなんだなと思わせられた。
 とりあえず部屋まで上がって俺は溜まっている洗濯物を寮にあるランドリーに洗いに行くことにした。そして1時間30分後、乾燥が終わったジーンズのポケットに、最初の飛行機で女から貰ったガムがこびりついているのを発見した・・・。隣のデカイ男みたいにNo thank youって言えば良かったと激しく思った。これが俺の人生におけるアメリカでの第1日目である・・・。

2011年7月29日金曜日

"GOOD LUCK MY WAY"

 ビザを入手した。
 こんなもんを入手するためにこんなに一生懸命になるとは思っていなかった。こんなに俺の障害になると思っていなかった。でもなんとかしないといけない状況になったら、なんとかなると思ってなんとかするしかない。「もうなんとかならない」(by麻倉葉)と分かっていても「なんとかなる」(by麻倉葉)と思うしかない。今のところ俺の人生はこの繰り返しである。多分今後も俺はそうする。そうやって生きていくしかないからだ。
 そして、ビザを入手したということは、やっと俺の旅が始まるということを意味する。この時をずっと待ってたぜ。

2011年7月26日火曜日

もう一度「宇宙の話をしよう」

 実は現在クソのカスみたいな理由でまだアメリカ合衆国の地を踏んでいない。英文健康診断書の時と同じように、ここで言う「クソのカスみたいな理由」を作り出した人々(DS-2019を俺が2ヶ月ほど前に知らせている渡米予定日の1週間前にやっと送ってきた馬鹿共)を、俺は怒らないことにしようと思う。
 馬鹿に付ける薬は残念ながら本当に無いのだ。純然たる事実として存在しない。多分俺が怒鳴っても来年もこの「クソのカスみたいな理由」を作り出した人々は、「クソのカスみたいな理由」を作り出し続けるだろう。そして「クソのカスみたいな理由」を作り出すことに対して何の責任も負わないだろう。それが他人に迷惑をかけているという事実に対して何の感想も持たないし、毎日を機械のように(性能の悪い機械だな)「クソのカスみたいな理由」を作り出すための時間に充てるだろう。「クソのカスみたいな理由」を作り出して得たお金(なぜそれでお金が得られるんだろう?)でおかずやらご飯やらを買い、家に帰ってシャワーを浴びて、ご飯を食べて、テレビを観ながらビールを飲んで、「今日の『仕事(クソのカスみたいな理由を作り出す仕事)』も終わって今日も終わってめでたしめでたし」で1日を終え、次の日も同じことを繰り返すだろう。俺のような「卑小な」人間は、「訴訟」や「城」での手続きに巻き込まれたヨーゼフ・Kみたいなものである。カフカの小説が素晴らしい点は、こうした「クソのカスみたいな理由」と、それを生み出し続ける人々と、上述したように「馬鹿に付ける薬がこの世界には存在しない」という事実と、そうした事実が「卑小な」人々に迷惑をかけているということを「今そこにただ存在する出来事」として描いている点である。
 というわけで、ただ自分の夢と野望と志のためにアメリカで勉強をしたいだけの俺は、宇宙飛行士が「宇宙飛行士」として毎日を過ごすように、「自分の夢と野望と志のために勉強をしたいだけ」の人間として今のところ毎日を過ごすしかない。「クソのカスみたいな理由」を作り出し続ける人々と同じように、俺は俺として大きな夢と野望と志を持ち続けて、毎日を生きるしかない。少なくとも言えることは、俺は「DS-2019を小学生でも「非常識」と分かるような時期に送ってきて迷惑をかけても全く謝罪もしないし責任も取らない人々」の一員ではなく、ただ「自分の夢と野望と志のためにアメリカで勉強しようとしている人々」の一員だということである。

2011年7月21日木曜日

鋼の錬金術師 嘆きの丘(ミロス)の聖なる星 感想

 日本を出る前に日本で作られた映画を観ておこう、ということで丁度やっていたハガレンの映画を観た。
 感想であるが、途中まで問題設定が分かりやすく一本道に作られていたのに、最後になって色々な(必要かどうか分からないような)どんでん返し+(新)キャラ登場があったせいで結構ぐちゃぐちゃになったものの、「ま、あんたはすげぇよ」という主人公の台詞や態度で「へーじゃあ良かったんじゃねぇの?」という「雑感」を得られた作品だった。
 まあFAになってから原作がほとんど丸々テレビで流れた(そして途中でコミックスを追い抜いて最終回に辿り着いた)作品だし、もう「終わっている」ので、この映画はおまけのファンサービスみたいなものである。そういった観点でこの映画を観れば、もう魔法みたいになっちゃってる錬金術も、途中まで異常に強くて人を殺しまくってた狼キメラの失速感が激しいことも、人2人やれば「あれ」ができるんだったっけ・・・ああそうかあの練成陣が「素晴らしい」ので正当化できるのかな?という疑問も、ほとんどライター扱いだったあの人も、全て許容することができ、まあちゃんと全部出るべきものは出てるから、この作品の原作が終わってしまって寂しい思いをしているファンは(保証はしないが)喜ぶのではないかと思う。
 1つこの映画で良かった点を挙げると、(魔法みたいになっちゃってることは置いといて)錬金術対錬金術の戦いが(やっと)まともに見られることだと思う。原作ではエドもアルも傷の男やホムンクルス達と戦ってきたのだが、「同格の錬金術師」と戦っている描写はあまりされていなかったと思われる。一応キンブリー対アルや、「お父様」との戦いなどは錬金術対錬金術なのだが、キンブリーは爆破しかしないし、「お父様」は最終的に謎のビームみたいなものを撃ってきたりして、この映画のように「いろいろなものを互いに錬成して戦うシーン」というものはそれほど存在しなかった。その点、この映画ではいろいろなものを錬成してテクニカルに戦う描写が沢山あるので、戦闘シーンは観ていて飽きるものではないと思う。

2011年7月16日土曜日

Drive a Truck!

 3年ぶりに自動車を運転した。できればやりたくなかったが粗大ゴミを捨てに行くためには仕方が無いので腹をくくって軽トラックを運転した。
 俺は住む場所が変わる度にトラックを運転することになってしまう。前回運転した際に事故を起こしたのでもうやりたくないと思ったのだが、今回も運転するはめになった。ニューヨークでは流石に無いよね・・・?絶対こんなん俺の人生では役に立たないと思っていた運転免許が案外要所要所で役に立っているらしい。
 しかしやりたくなかった運転も、やってみれば久しぶりで案外楽しいものである。運転したのはオートマの車なので、ほとんどマリオカートみたいなものだ(ちなみに俺は小学生の時にマリオカート64をやりこんで、ちゃんとマリオサーキットで1分30秒を切り、近くのゲーム屋に公式ライセンスカードを貰いに行ったことがある。あれはドリフトとキノコを使うタイミングが重要だった)。用事が終わって車を返すときに少し寂しい思いがあった。俺の人生で俺が自分の車を買って自分で運転する機会があるのか未だに不明である。ニューヨークに居る限りは無いと思うが。

2011年7月15日金曜日

ビザ面接の思い出

 実は先週の金曜日ぐらいにビザ面接を受けに東京の米国大使館に行っていた。
 なので、実は「思い出」と言うまで記憶が風化していないのだが、非常に印象的に俺の記憶に刻まれた。俺は面接時間が朝9時ぐらいだったのだが、初めてビザ面接を受けるので少し緊張して、8時20分ごろにはもう大使館近辺にたどり着いていた。多分俺が一番始めの順番だろうから、少し待たされるのかもしれないと思ったのだが、別の意味で待たされることになった。ディズニーランドのアトラクション前のごとく、長蛇の列ができていたのである。
 正直これには少しびっくりさせられた。子供連れの家族から外国人まで実に様々な人が既に列を成していたのだ。皆一生懸命である。受付も担当していた警察官らしき人も大変そうだった。
 かなり長い時間待たされた後、複数のセキュリティチェックを受けて内部に入るのだが、内部は俺の想像と全然違っていて、映画館のチケット売り場みたいな感じになっていた。「面接」も一瞬である。名前と渡米目的と俺がフルブライターだということぐらいしか喋っていない。指紋を採る時間の方が面接よりも長かったかもしれない。
 しかし、俺はDS-2019無しで面接を受けたので、当然不許可の通知が(その場では)降りた。実はビザ面接には抜け道っぽいものがあり、東京の米国大使館に限りDSなしでも面接が可能なのだ。当然DSなしでやった場合はその後に再び署名入りのDSを大使館に送らなければならないので、二度手間になるし手続き的な問題があるのでやるべきではないが、俺の場合は渡米まで3週間を切っているのにまだDSが来ていないという意味不明な状況だったのでやらざるを得なかった。人生初のビザ面接が抜け道っぽい手続きだったというのは本当にたどたどしくていかにも初めて外国に行く人らしい。フルブライトも狙って俺になかなかDSを出さなかったのかもしれない。

2011年7月12日火曜日

斜陽 感想

 太宰治の「斜陽」を読んだ。
 適当に物語の筋(筋なんてあるのか)を説明しておくと、田舎で生活していた没落貴族であるかず子と、そのかず子が「崇拝」している母の下に、かず子の弟であるヤク中の直治が戦争から帰ってきて、ろくでもない生活を送っている作家の上原を含めて、(この文脈だったらまあある意味順当に)皆それぞれ苦悩を抱えていく・・・という話である。
 太宰治はいい意味でも悪い意味でも純粋な目を持っている。彼は本当に透き通った真実を描くことに長けているが、描き出される真実は全然人を喜ばせる類のものではない。「普通」に生活している人が必死で隠そうとしている類の真実である。彼の目にはおそらくこの世界はそういった喜ばせる類のものではない真実が満ちているように見えていて、物を書く力があるが故にそれをほとんどそのまま「透き通った真実」として読者に見せることができる。彼の本を読むと、本当に文章を書くことということは、村上春樹が指摘したように「救い」にはならないということが分かる。彼は書かなければならない物語を書き、書いた物語で多くの人間に「欲しかったもの」を与え、(多分)彼の「欲しかったもの」を彼は手に入れられないまま、命を絶った。
 さて、「斜陽」は、(少なくとも多くの読書家には)説明する必要のないほど有名な太宰治の小説である。「斜陽族」という現象が起きたように、多くの人間がこの本で描かれている「真実」を欲しがった。登場人物の数は少ないが、読んだ本の解説にも書いてあったように、俺はこの本を読んでドストエフスキーの作品を想起した。全く違う国の話で、ドストエフスキーの方は登場人物も多いが、それでも描いている「真実」には通底する「寒々しさ」がある。特に上原や直治のような役割の人物を見ると、スヴィドリガイロフを筆頭に、ドストエフスキー作品で登場する、どうにもならない現実を別の「現実」を与えてくれるようなもので誤魔化すものの、結局誤魔化した方が、より「良く」どうにもならない現実を見てしまう人々を思い出させる。
 また、この作品の中でかず子をどう理解するか、という点は非常に興味深い。読む人によって、彼女がこの物語の中で辿り着いた結論が「破滅」なのか「再生」なのかという点で解釈が分かれると思う。俺が凄まじい文章だなと思ったのは、「この世の中に、戦争だの平和だの貿易だの組合だの政治だのがあるのは、なんのためだか、このごろ私にもわかって来ました。あなたは、ご存じないのでしょう。だから、いつまでも不幸なのですわ。それはね、教えてあげますわ、女がよい子を生むためです。」という部分である。こういった終盤の彼女の考えが、上原など、自分から去って(滅んで)行った人々との決別を意味しているのだとすれば、彼女は自分を「再生」したのかもしれない。
 

2011年7月7日木曜日

蕎麦

 アメリカより日本で食べた方がかなりの確率で美味しいものの筆頭が蕎麦だろう。と思ったので蕎麦を食べてきた。
 食べ過ぎた。量というより普通のざる蕎麦を大盛りにして食べたので、質の点で途中で飽きてしまうという問題が発生した。しかし結果的にはもう半年以上は蕎麦の顔も見たくないという状態になったので、これでアメリカで蕎麦を食べたくならずに済む。
 東京には蕎麦屋が多い(と思う)。俺はかなりの確率で東京で蕎麦を食べている気がする。つゆは濃い。濃い味以外の特徴として、関東の蕎麦屋では高確率でそば湯が食後、もしくは食中もう大部分食べ終わったのでしょう?というのを見計らったかのようなタイミングで出てくる点が挙げられる。しかも説明無しで登場する場合もあるので初体験の人は大変である。俺の場合はそこら辺の食券を買って頼むシステムの蕎麦屋で、俺がまさに鴨南蛮を食べ終わらんとしたときにすっと店のおやじが急須のようなものを持ってきて「蕎麦湯です・・・これをつゆ・・・・しゃい」とか、途中何を言ってるのか分からないような説明を受けて困惑した覚えがある。まだ食べ終わっていなかったので、「これでつゆを割って下さい」という意味なのかと思って、なるほど関東のつゆは濃いからな、だったら最初から薄いつゆにしろやそしてもっと早く持って来いやと思ったのだが、隣で食べていた人をこっそり見ると、食べ終わった後に残ったつゆの中に湯を入れて飲んでいるのが見えた。
 戦慄が走った。東京のざる蕎麦のつゆなどは本当に醤油みたいなものである。それを飲むなどこの人は大丈夫なのかと思ったが、これは試してみるチャンスだと思ったので、後で絶対ググってこいつが大丈夫なのかどうか暴いてやろうと思いながら、食べ終わった後彼の真似をして鴨南蛮の残りのつゆの中にどばどば「蕎麦湯」と呼ばれる液体を入れて飲んだのが俺と蕎麦湯の出会いであった。
 調べてみるとニューヨークにもSoba-yaという「小学五年生」とかの漫画で登場してきそうな安っぽい名前の蕎麦屋があるらしい。ニューヨークのそばつゆは薄いのか濃いのか楽しみである。少なくとも今は全然行きたくないが。

2011年7月6日水曜日

新選組血風録 感想

 司馬遼太郎の「新選組血風録」を読んだ。俺にとっては「人斬り以蔵」、「燃えよ剣」に続いて3冊目の司馬遼太郎作品である。
 この人の文章の特徴は、「無骨」という点に言い尽くされるだろう。ヘミングウェイのようにできる限り修飾語を排して短文で文章を構成する特徴に加えて、この人は人に媚びるような(分かってくれとこちらに訴えるような)描写はせずに、あくまでこちらの構成的な解釈とは無関係であるかのように1つの情景が現実世界で流れるように文章が書かれている。特に読者は斬り合いのシーンでそう感じるのではないだろうか。
 こういった基本的な文章がもつ性質に加えて、この人の「過去を視る目」というのは個人的には面白い。なぜなら、彼は過去の出来事をそのまま「過去に発生した出来事」として描くのではなく、あくまで現在文章を書いている自分の視点で描いているからである。なので、現在では過去の歴史上の出来事はどのように理解されているのか、現代人の視点から見て過去の出来事をどう解釈すればよいのか、ということが文中で示されることがたびたびある。こういった性質は「歴史マニア」であることを文章を読むために要さない点で有益だろう。一言で言ってしまえばとっつきやすいのだ。
 さて、上に挙げた「燃えよ剣」が土方歳三の生涯を描くことに焦点が合わせられていた作品であったのに対し、今回取り上げる「新選組血風録」は、「新選組」という、1つの「武装集団」(勤皇と佐幕という、相対立する2つのイデオロギーの表れが攘夷志士と新選組であるとするならば、「武装集団」という言葉は表現するに足りないが)を巡る様々な出来事を描いた物語である。今は歴史ブームのおかげでわざわざ語る必要が無いかもしれないが、少なくとも1つの「佐幕」というイデオロギーを持って結成された「武装集団」ではあったが、その内に所属する人々は政治的というよりは「人間臭い」思想に従って行動していたということを描き出した点で、この作品には価値がある。幕府を支える治安維持組織というのは歴史の教科書的な理解であり、局長の近藤勇は「侍になりたい」という純粋な野望ゆえに新選組を作り、土方歳三は侍を体現する新選組という組織の存続に全てを賭けて死んだのだ。そしてこの「武装集団」を構成した人々も、この組織で権力を得るために「政治」を行った谷三十郎や、反対に権力に関心の無い沖田総司や井上源三郎、この組織を自分の思想のために利用しようとした伊藤甲子太郎、小つるとの安寧欲しさに怯懦に陥ってしまった鹿内薫など、1人1人自分の思いを持った人間が1つの「武装集団」の中に居たのだ、ということが描かれている。
 俺はキングの作品の感想を書いた時に何度か述べたように、きちんと人間を描こうとしている物語が好きなので、そういった観点からは「胡沙笛を吹く武士」や「沖田総司の恋」などについて語るべきかもしれないが、物語として真っ直ぐな美しさを持っていたのは「菊一文字」だと思う。キャラの立ち具合からすればずるいと言われてもおかしくないほどの性質を持った人物として描かれていた沖田総司故に「菊一文字」で描かれているような、「これが侍を描いた物語だ」と言えるような「真っ直ぐ」な展開が生まれるのかもしれない。なぜ彼があらゆる表現媒体で常に美青年として描かれなければならないのかということは、司馬遼太郎の作品を読めばなんとなく分かる。

2011年6月28日火曜日

ソード男子 (5)

 3日ぶりに外に出ると暑くてくらくらした。快楽は「地球温暖化なんか嘘」「ゴミの分別とかは時間の無駄」とか、どこかの環境評論家みたいなことを言ってクーラーをガンガン効かせていたので、7月にも関わらずすごく寒い思いをしていたのだが、やはり外は暑い。居心地の良かった彼の家に戻りたいと思った。(結果的に)仲良くなったので、どうせだったらもっと泊まって遊んで帰ろうかと思っていたのだが、「親御さんを心配させちゃならねぇ」という、そもそもお前のせいで心配させているんだろと言いたくなるような言い分で僕は部屋を追い出された。
 朝10時を過ぎていたので、京浜東北線の電車の車内はすいていた。自分1人で電車に乗るのははじめてなので僕は心配で、蒲田がどこにある駅なのか緊張しながら車内の路線図を眺めた。快楽がググった結果によると、僕の家まではこの電車に乗るのが一番近いらしい。僕は乗降口付近に陣取って視線を上に向け続けた。
 蒲田駅に着くと僕は安心して電車を降りた。この駅の近くには数回来たことがある。東口に向い、改札にポケットの中で握り締めていた切符をかしゃんと通すと僕は自分の家に向かって歩き始めた。
 20分ほどかけて、僕はゆっくりと歩いて家に向かった。歩きながら快楽の事を思い出していた。僕は知らなかったが、彼がネットで調べた情報によると8月中旬にある編入試験を受ければ2学期からでも僕の高校にも転入できるらしい。既に7月になっていて、8月の編入試験まであまり時間が無い。僕は勉強ができることが唯一の取り得だと自分で思っていたので、彼に勉強を教えてあげようかと言ったのだが、「孤児の底力舐めんな」と言われて断られた。そもそも彼が中学にもちゃんと行っていたのか怪しいので、やっぱり無理強いしてでも勉強を教えておくべきだったと思った。しかし彼の所へ行こうにも僕は上手い口実を思いつかないし、何より彼の所へ行くまでのいろいろな過程に辟易した。家に帰って引きこもりたいという思いが強くなりつつある。
 僕の家が見えてきた。玄関が開いていて奥へと続く廊下がまる見えになっている。掃除でもしているのだろうかと視線をめぐらせると、小さな庭に面した戸の窓ガラスが完全に割れていた。ギザギザした割れ目に金属バットが凭れるようにして立てかけられている。庭の芝生に飛び散ったガラスがきらきらと太陽の光を反射していた。
 僕は自分の家の前で立ち止まって少しの間何が起きているか把握しようと努めた。どう考えても誰かが暴れた跡だ。僕は暴れたのはろくでもない兄に違い無いと思った。お父さんもお母さんも3日前は嬉しそうに僕を頑張れと言って見送ってくれた。絶対あのロリコン野郎のせいだ。あいつ頭がおかしくなったんだ。
 家に入ろうとする僕の頭には僕以外が全員死んでいる光景が浮かんでいた。血のイメージが浮かぶ。僕は本当に心細くなって胸がざわざわした。玄関に近づくと、割られて表面がへこんでしまった靴入れと、廊下に打ちつけられて花と水がぶち撒けられていた花瓶の残骸が目に入った。僕はスリッパも履かずに花瓶の残骸をつま先立ちになって避けながら奥へと進んだ。スニーカーソックスのつま先から水が染み込んで来た。
 めちゃくちゃに荒らされたリビングには、表面が引き裂かれて中身が見えている革のソファーに座って眼鏡を外して煙草を吸っているお父さんと、床で胡坐をかいている兄が居た。鼻に大きなティッシュの塊を詰めてうつむいている兄の横には、電池を入れる場所の蓋が外れて、電池を失い、中のスプリングが見えているテレビのリモコンが投げ捨てられていた。お父さんの眼鏡は床の上で右側のフレームが外れてレンズは粉々になっていた。
 

2011年6月24日金曜日

路面電車にて (終)

 中電前の電停で巧は路面電車を降りて行った。純子はあのような老人がさも当然のようにICカードを使って電車料金を清算したことに可愛らしさを覚えた。
 純子はがたがた音を立てる電車に揺られながら、窓から見える景色を見つめていた。

 市役所から中央郵便局に向かう道を着慣れていないスーツを着た若い女が歩いている。彼女は4回目の企業説明会へ向かうところだ。手に鞄を提げて無表情のまま早足で会場へ向かっている。ストッキングをぱっちりと履いた足は寒そうな印象を与える。彼女には人に言える夢が無かった。英語は分からないし、資格を持っているわけでもなかった。しかし彼女は現在付き合っている彼氏との生活を守るという漠然とした理念に従って先を急いでいた。彼氏の大阪の企業への就職は失敗してくれれば良いと思う。
 彼女とすれ違うようにしてベビーカーを引く女が歩いていた。長くなった髪を後ろに結い、ベビーカーの中の自分の娘を気にすることもなく、真っ直ぐ表情を緩めずに前を向いて歩いている。彼女は姑と二人きりになるのが嫌だった。夫は娘が生まれる前に姑の貯金で買ったエスティマでいつも通り早朝に家を発った。今日彼に持たせた弁当には冷凍食品のから揚げが入っている。姑の嫌いな冷凍食品が。彼女は朝亡霊のようにむっくりと姿を表し、夫の弁当を見て渋面を見せていった女のことを歩きながら思い出していた。平和記念公園で姑が手芸教室へ出かけるまで時間を潰すのが習慣になりつつある。
 鷹野橋へと曲がる道にはいつも通りタクシーが数台連ねるようにして停車していた。この時間にタクシーを利用する客はあまり居ないが、彼らにとってみればここに停車することは商売ではなく1つの習慣になっているのかもしれない。あのタクシーが純子の朝を構成する要素の1つであるように、タクシーの運転手にとっても、この時間純子が乗る路面電車が通ることは朝の景色の1つなのかもしれなかった。
 突然、大きな風が路面電車を揺らした。大き過ぎると言った方が良いかもしれない。路面電車は急停車し、純子は前のめりに路面電車の床に叩きつけられた。
 外のタクシーは風で歩道に乗り上げていた。運転手がドアに手をかける暇も与えず、強さを増した風は車体を持ち上げてそのままひっくり返した。運転手の視界は揺れながら反転した。
 スーツを着た女は市役所の出入り口の辺りまで吹き飛ばされていた。プリントアウトしたGoogleマップと筆箱などが入った鞄が風に奪われた。彼女はとっさに携帯電話をポケットから取り出そうとしたが、空にある大きな光が彼女の注意を奪い、網膜を黒く焼いた。刺すような顔の痛みと、びゅうびゅうとした風の音が彼女の意識に残った。
 ベビーカーを引いていた女は路地の曲がり角を曲がった場所で道路に前のめりにつっ転ばされた。彼女の手から離れたベビーカーはおもちゃのように赤ん坊を乗せたまま空を飛び、彼女から離れて行った。ベビーカーが彼女の手から離れた瞬間、彼女は一瞬の驚愕を覚えつつ、朝見た姑の顔を思い出し、大きな解放感を感じた。すぐに背後から巨大な熱さが体が覆い、彼女の世界は電源を落としたテレビの画面のように暗く塗り潰された。
 
 純子は県病院前のアナウンスが聞こえたのでジーンズの尻ポケットにある財布から小銭を取り出した。向かい側を眺めると、明るさを増した建物と車が行き交う道路が見えた。朝始発電車で乗り合わせた面々の姿はいつの間にか消え、違う乗客が自分の前には座っていた。純子はじゃらじゃらとした小銭で清算を行った。彼女はゆっくりと乗降口を降り、いつもの業務を行うため、歩いて仕事場へと向かった。

(了)
 

2011年6月21日火曜日

"Law is a battleground of political conflict"


 「法とは政治的闘争の戦場である」というこの言葉は、NYUが最初の一歩として行うIntroduction to U.S. Lawの授業の課題図書の1つに挙げているLAW101:Everything You Need to Know About American Lawのかなり冒頭の部分に書いてある言葉である。多くの人間には多分どうでもいい言葉かもしれないが、実は俺にとっては重要な言葉である。
 一般的には法律は、「衡平・公正」といった理念に基づいて行使されるべきだとされており、「妥協・打算」といった政治的闘争とは距離があるべきだと(建前では)されている。しかし、この課題図書に頻繁に登場する堕胎の問題など、いわゆる「ハードケース」と呼ばれる問題群に遭遇した際、法は「衡平・公正」といった理念では対処できない政治的闘争の現実に直面してしまう。1つの「公正な」基準で堕胎の可否を判断できるのか?胎児の生きる権利と母親の生むことを選択する権利はどちらがより手厚く保護されるべきなのか?堕胎に対する不処罰が半ば黙認されている日本では考えられないことであるが、アメリカではこの問題をめぐる政治的闘争の結果、殺人事件まで発生している。
 俺がまだ法学部の学生だった頃に出会ったブラウン判決やロー判決を通じて見たのは、まさにこうした「法とは政治である」という現実であり、今やっている「移行期の正義」など、この現実を踏まえなければ考察することすら難しい問題である。上述した法が本来「有しているべき」理念に従って移行期の正義を論ずれば、おそらくほとんど全ての事例を許容できないものとして批判できるだろう。そこで観察される事実は、まさに「政治的闘争の結果としての法」、「政治的闘争の結果としての正義」だからである。自分の親を殺した人間、自分を少年兵にして最悪の人生を歩ませた人間、自分の手足を切断して陰惨な拷問を加えた人間と、「共存」、あるいは「和解」をせざるを得ない、一見してろくでもない現実の中で、過去の不正義を「正義に基づいて」どう処理するかということを考察しなければならない。まさに「神を作り出すような作業」である。
 俺をここまで進ませた言葉に5年ほど経って再び出会うというのは非常に感慨深い。これがあるから学問は止められねぇなと思う。そしてまた、この言葉から俺の学問の始まりである。

2011年6月20日月曜日

「留学への道程」で俺が書き忘れていること

 もう半分ブログのテーマ等はどうでもいいのだが、一応留学ブログとして始めたわけだし、もう名実共に2011年度フルブライターになって留学する運命が確定したこともあり一区切りがついたので、ここら辺でまだこのブログに書いてなかった留学関連のことを書いておこうと思う。


1.出願した大学(俺が行きたかった順)

(1) New York University School of Law LL.M. in International Legal Studies

(2) Harvard University Law School

(3) Northwestern University School of Law LL.M. in International Human Rights

(俺にとってどうでもいい大学1)University of Virginia School of Law

(俺にとってどうでもいい大学2)University of California, Berkeley School of Law

最低5校とフルブライトの紙には書いてあったので5校出したのだが、4月ぐらいによくその紙を読んだら多くの人は10校ぐらいは出すとか書いてあったので大体10校ぐらい普通は出すのかもしれない。


2.利用した留学関連サービス等

アゴスの無料オンラインサービスで過去の出願結果やクラスサイズは見た。エッセー等は既に合格レベルのものを自分で書けていることを2年前の戦いで確認していたので、「新装版 大学院留学のためのエッセーと推薦状 (留学応援シリーズ)」を読んで自作。TOEFLも自学。面接も自習。金が無い。


3.獲得した奨学金等

日米教育委員会フルブライト奨学金(全額給付。大体占めて7万ドル(570万円ぐらい)
伊藤国際教育交流財団日本人奨学金(両立不能なので申し訳ないが内定を蹴った)
Transitional Justice Scholars Program(金は貰えないがインターンの機会とNYUの特定科目の履修登録優先権を獲得)


4.アメリカでの住居

大学の寮が決定済み。他の学生と(強制)シェア。家賃は1ヶ月1300ドル(大体10万円ぐらい)。ちなみに俺の今住んでいるアパートの家賃は3万円なので部屋は狭くなるのに家賃は3倍になる。


5.アメリカでの生活準備等

銀行:シティバンクのe-セービング円普通預金とドル建てのものを作成済み。

携帯:現段階ではアメリカで契約するかどうか不明。日本の携帯は海外だと通話料が高くなるので解約予定。寮の各部屋に固定電話用の電話線は引かれているらしい。

航空券:キャンセル待ちとか言われていたが実は取れているらしい。フルブライト奨学生は基本的にタダ。

ご飯:アメリカの電圧対応の電気釜を持って行くかどうか思案中。「宇宙兄弟」の溝口(「聞いているか真壁!!」の人)みたいに「僕には合わない・・・・」とか思うどころか、最近は(彼女と食べるもの以外の)食べ物がどうでも良くなってきたので買わない可能性あり。

服:多分日本のもので対応可能。しかしニューヨークは雪がすごいらしいのでダメかもしれない・・・。NYじゃなくてMAの話だが、大学の時の俺の恩師はハーバードの寮で雪国出身の留学生が寒過ぎて泣いていたとか言っていた・・・。

ビザ:DS-2019がフルブライトから来ないので話が進まない。実は現在の最重要項目。

運転免許:(実物のNYをまだ見た事ないから分からないけど)都会でしかも半分大学に住むようなものなので、国際運転免許証は申請しない。

2011年6月14日火曜日

2011年度フルブライト奨学生オリエンテーション&レセプションの感想(兼反省会)

 昨日、日米教育委員会事務所と米国大使公邸(大使館の横の屋敷)で2011年度奨学生のためのオリエンテーションとレセプションがあった。
 いきなり反省から入るが、俺は自己紹介の時に俺の研究内容をうまく(かつ短く)伝えられなかったと思う。「移行期の正義」の中に「平和構築」という違うJargonを重ねて説明してしまったので、知らない大多数の人々に非常に胡散臭い印象を持たせてしまった(実際レセプションの時に都市再生機構で働いている人に説明したが、これぞ「胡散臭いと思ってる顔」という顔をしていた)。別に自己紹介ぐらいどうでもいいかもしれない。しかし、レセプションの時に再会した、俺を内定させた面接官と喋った際にも、「面接の時に『そもそも移行期の正義とは何か』といった少し君にとって厄介な話をしたが、今後君が研究を続けていく上で君の研究を知らない人にも君の研究内容を簡潔に説明する技術は必要不可欠だよ。ほら、じゃあ君は何を勉強するためにアメリカに行くのか試しに言ってごらん?」と言われたし、俺は今後この(まだ認知度の低い)分野の専門家になるにあたって短いフレーズで的確に、具体的な研究内容を喋る技術をもっと磨かなければならないと思った。
 これと若干関連していることだが、俺はルース駐日大使と喋るのを完全に忘れた。オリエンテーション中の質問タイムの時に質問すれば良かったのだが、上述した理由で「移行期の正義って何?何言ってんの?」、「平和構築?はあ?」みたいなリアクションをこの人がするかもしれないと思うと、本当にそのやり取りが(まだ俺の説明する技術では)めんどくさいと思ってしまって、時間も限られてるしレセプションの時に回そう回そう・・・と思っていたら気付いたらレセプションが終わっていた。もう会わねぇだろうな・・・。
 とまあ反省することはあったのだが、ほぼ1日缶詰だったオリエンテーションには結構うんざりした部分もあったものの、レセプションは料理も酒もおいしくて素晴らしかった。俺は結構飲んでいたので、他の奨学生以外にも、国務省で働いている日系のアメリカ人(外見は完全に日本人)と、「日本人の祖父から習った日本語が難しいんだけど」とか、かなりどうでもいい話もした。ルースさんと喋りに行けよ・・・。
 とにかく、この1日を通じて分かったのは、フルブライト奨学金は俺が思っている以上にこの世界では特別であるということである。フルブライト奨学生は、自分が奨学生として選抜されたことを自身の生涯における重大な出来事の1つに挙げてもよいだろう。少なくとも、俺は俺の大切な人に話すべきことがこれで1つ増えたと思う。
 

2011年6月9日木曜日

LIFE 6 SENSE 感想

 最近発売されたUVERWorldの新しいアルバムLIFE 6 SENSEを入手した。前回のLASTが結構いいアルバムで、何度も聴きたくなるような曲が多かった分、今回のアルバムには個人的に期待していた。
 まず特筆しておくべきは「CORE PRIDE」だろう。俺はこれまでこのバンドを理解したかったら「D-tecnoLife」か「激動」を聴くべきだと思っていたが、新たに「CORE PRIDE」も加えるべきだなと思う。シングルが出た段階で感想を書こうかと思ったぐらい「これがUVERWorld」という味が出ている曲である。率直な歌詞と複雑で多様なメロディーがUVERWorldの持ち味だが、この曲はこの全てが高い水準で発揮されていると思う。何より個人的には「白昼夢」や「いつか必ず死ぬことを忘れるな」という曲よりこの曲の方が今この国(特に何か心から欲しい物を手に入れようとしている人々)に必要だと思った。
 「CORE PRIDE」に加えて印象的だったのは上述した「白昼夢」と「いつか必ず死ぬことを忘れるな」である。こういった歌に対する距離感というのは人それぞれだと思うが、今年の文脈からすればおそらく聴いて「近い」と感じた人の方が多いと思う。特に、歌の前向きな内容からすればなぜ「白昼夢」という、ある種後ろ向きなニュアンスを含んだタイトルであの歌が題されているのか、ということは非常に興味深い。ここで述べた「距離感」と関連付けて言えば、やはり他者の不幸はどこまで行っても自分自身とゼロの距離として理解できないという事実があるのかもしれない。その意味で他者の不幸はどこまで行っても非現実(的)なことなのかもしれない。
 しかし、程度はあるが人間は「共感」という不思議な能力(半ば意思に反する形で機能する場合が多いと思うので『性』と言った方が正確かもしれない)を持っているので、複雑なことにそういった「非現実」をそのまま「非現実」として感得しない。他者の痛みを自分の痛みとして置き換えて考え(させ)る性質がある。「お前に何が分かるのか」と言われても、そこで諦めることを許さず、分かろうとさせる性質がある。そしてその複雑な心境の中、自分の「現実」を生きなければならない。まさにそのような状況で自分の「現実」を生きている者にとっては、より自分自身に近い距離でもって非現実(的)な「白昼夢」が繰り広げられた文脈が現在の日本にはある。
 このように考えると「白昼夢」という歌は、「白昼夢」を体験した、悲惨な出来事から離れているが、共感を持ってそれを理解した者の立場の歌だろうと思う。この普段より力強い声で歌われた歌のように、「白昼夢」を体験した人々には、「白昼夢」を体験している側だからこそできることや、考えられることがあるのかもしれない。「白昼夢」を「白昼夢」としてではなく、ゼロの距離の「現実」として体験した人々が居るということを考えながら、それぞれ自分の「現実」を生きなければならない。そういったことを考えさせる歌だった。

2011年6月6日月曜日

Plant Lover


 昨日彼女と一緒に植物園に行った。想像していたよりかなり沢山の種類の植物があったので、回るのに結構時間がかかった。
 俺は植物が好きだ。初代ポケモンの草タイプの虐げられっぷりから、今でも草タイプに生存権は無いと思っている俺が言えることではないかもしれないが、俺は植物が好きである。しかし、俺の彼女は植物に詳しいので、正確に言えば俺はその説明を聞くのが好きなのかもしれない。
 個人的にはサボテンがいい感じだと思ったので写真はそれを使おうかと思ったのだが、この写真に写っているマドカズラという、素で葉に穴が開いている(虫食いではない)植物が結構印象に残ったのでこの写真を使うことにした。しかしググってみると案外沢山情報が出てくるので、結構本当の植物愛好家にはメジャーな植物なのかもしれない。
 多分俺は8月からほぼ大学で生活するようになると思うのだが、植物を見る日常があるのか・・・。アメリカで運よく見かけた印象的な植物は俺が彼女に解説してあげられるようにちゃんと勉強しようと思う。

2011年6月3日金曜日

MHP3 マイセット装備 (4)

 MHP3が発売されてから半年が経過したので、何となくもう行きつくところまで行ってるような気がする。あとはお守り次第。

(1) 匠汎用(水強化)

武器スロ1 流水【1】(全開【1】)
荒天【冠】 防音【3】
荒天【衣】
アカムトサクンペ 防音【3】
ダマスクコイル 全開【2】、匠【1】
荒天【袴】 全開【2】 
龍の護石(研ぎ師8、水属性攻撃5)

力の解放1(スロ2の場合2)、斬れ味レベル+1、水属性攻撃強化+1、耳栓、砥石使用高速化

昨年MHP3マイセット装備(1)に書いた匠汎用を新しいお守りで強化したもの。スロ2のロアルドロス原種武器に適している。スロットが1の場合は水属性攻撃強化か力の解放2の二者択一になる。


(2) 匠集中耳栓装備

武器スロ2 研磨【1】×2
レックスUキャップ
レックスUメイル
ダマスクアーム 匠【1】
ダマスクコイル 匠【3】
レックスUグリーヴ 匠【3】
王の護石(溜め短縮3)研磨【1】、短縮【1】、防音【1】

斬れ味レベル+1、集中、探知、耳栓、砥石使用高速化

斬れ味レベル+1と耳栓と集中を共存させた装備。探知はおまけで付く。


(3) 匠回避装備

武器スロ不要
荒天【冠】 匠【1】、研磨【1】、回避【1】
ベリオSメイル 回避【2】
ダマスクアーム 匠【1】
ダマスクコイル 全開【2】、全開【1】
荒天【袴】 研磨【1】×2
王の護石(回避性能5、砲術-2) 回避【2】

回避性能+2、斬れ味レベル+1、力の解放+1、砥石使用高速化

太刀使いが喜ぶであろう構成の装備。ベリオSと荒天【袴】が色的に比較的調和があるのでまあ許せる方。俺は回避性能があまり個人的に要らないのであまり使わない。たまには使うか、と思った時に使う。


(4) 旧金色・真に近い装備2

武器スロ不要
荒天【冠】 短縮【3】
荒天【衣】
ディアブロSアーム 抜刀【2】
荒天【帯】 短縮【3】
荒天【袴】 匠【1】×2
王の護石(溜め短縮3) 抜刀【2】、抜刀【1】

斬れ味レベル+1、集中、力の解放+1、抜刀術【技】

MHP3マイセット装備(2)で書いた旧金色装備を思い出させる構成の装備の強化版。武器スロが要らなくなったことで剛角剣の装備を可能にさせ、なぜアーティラートを残してくれなかったのかという思いに浸ることができる。


(5) 王族の招宴対策装備(素匠大剣スロ2用装備)

素匠大剣 千里【1】×2
レックスUキャップ
レックスUメイル
ディアブロSアーム 抜刀【2】
レックスUフォールド 神護【1】、研磨【1】×2
レックスUグリーヴ 抜刀【2】、抜刀【1】
王の護石(溜め短縮3) 研磨【1】×3

自動マーキング、集中、耳栓、抜刀術【技】、砥石使用高速化

自動マーキングというおまけスキルのせいで何となく2ndの頃のレックスS一式を思い出させる装備。アルレボを担いで汎用にしても問題ない。火耐性が12あるので、王族の招宴の際に死角からのブレスを食らっても即死は免れることができる。


(6) 匠狩猟笛3

武器スロ1 研磨【1】
ジンオウSキャップ 鼓笛【1】×2
荒天【衣】
ダマスクアーム 跳躍【1】
ダマスクコイル 跳躍【3】
荒天【袴】 研磨【1】
城塞の護石(回避距離6、笛7)

斬れ味レベル+1、回避距離UP、力の解放+1、笛吹き名人、砥石使用高速化

個人的な極限に近づいた匠狩猟笛の装備。もうこれで十分。


(7) 貫通弓用集中ランナー装備2

武器スロ不要
陸奥・覇【烏帽子】 達人【2】、回避【1】
陸奥・覇【胴当て】 回避【1】
ネブラUガード 強走【3】
陸奥・覇【腰当て】
陸奥・覇【具足】 強走【3】
王の護石(回避性能5、砲術-2) 回避【2】

見切り+2、集中、ランナー、回避性能+1、貫通弾・貫通矢UP

以前書いた貫通弓用集中ランナー装備1の見切りを更に上げた装備。これももう十分。


(8) 太刀厨を楽しむための装備

武器スロ2 防音【1】×2
大和・覇【兜】 防音【3】
大和・覇【胴当て】 早復【1】
大和・覇【篭手】 斬鉄【1】
大和・覇【腰当て】 
大和・覇【具足】 防音【3】
龍の護石(斬れ味4、笛-2) 斬鉄【3】

見切り+2、集中、耳栓、心眼、業物

大和と言えば集中と心眼で太刀を傍若無人に振り回せる装備なので、更に太刀厨を加速させるために耳栓と業物を付けてみた装備。武器スロ2の太刀を担ぎオトモの装備を2匹とも武者Sネコ装備にしてアグナコトル亜種に大回転斬りをこれでもかと撃つと気分は太刀厨。

2011年5月31日火曜日

パイレーツ・オブ・カリビアン/生命の泉 感想

 先週末に彼女とパイレーツ・オブ・カリビアンを観に行った。某国民的海賊漫画のおかげで海賊は日本人になじみの深いものとなったが、今作では「黒ひげ」や「人魚」など某国民的海賊漫画を意識させるようなキャラクター達が登場していた。残念ながら主人公は体が伸びたりしないし、特に際立った剣の腕があるわけでもない若干某国民的海賊漫画の船長とは違った意味で頭のねじが飛んでいるので、それを武器に戦うのだ。ジャンプで連載されている場合はこんなに主人公らしい能力の無い主人公だと余裕で打ち切られそうな気がするが、今作の黒ひげや、前作のディヴィ・ジョーンズなどの他と一線を画す能力を持った者がことごとくジャックと比べて残念な頭の持ち主なので、そこを上手く利用してなんとかやっている・・・らしい。前作からギブス君とバルボッサ(と付属のサル)を除いて全員主要メンバーの総入れ替えが行われた。
 さて、肝心の内容であるが、個人的にはまあ楽しかった。「まあ」と付けたように、俺はもうワールド・エンドで終わりにすれば良かったとは思うが、他方で、両津やジェームズ・ボンド的な位置付けてジャック・スパロウの話が延々続いてもファンは喜ぶのかもしれないとも思う。話の下地がいわゆる「海洋冒険ロマン」みたいなものなので、某国民的海賊漫画が延々続けられるように、旅の内容と求めるお宝と登場する敵を変え続ければ延々シリーズを続けることもできるとは思う。少なくともランボーやジョン・マクレーンよりはキャラクターは魅力的だろうし、主人公が基本的にパワーアップしないため、某死神漫画(最近はただの念能力漫画)のように敵と主人公の能力競争を延々続ける必要もない。「何・・・だと・・・?」と言わせ続ける必要も無いし、実はそれは幻覚だったとかいう展開も必要ないし、実は隠された能力があったとか後で言う必要も無い。何よりジャック・スパロウの性質上、登場人物のリストラにそれほど理由がいらないのでシリーズを続ける点では便利である。ジャックに「孤高の海賊」という肩書きを付けたのもある程度の連続性を保ちつつも物語の刷新を自然に行うための戦略なのではないかと思う。
 仮にジャック・スパロウの物語に一本の筋のようなものがあるとしたら、それはバルボッサとの因縁と作り手側は考えているのだろうなと思った。露骨なネタバレになるのであまり詳しい内容には立ち入らないが、やはり今作でギブス君以外にバルボッサを継続出演させたことには意味がある、と考えるべきだろう。物語中でもバルボッサの働きは中々重要なものだった。
 一応今後もシリーズが続きそうな気がするが、前作のエリザベスと違い、新たなヒロインであるアンジェリカは本編中では描写が結構薄かった点が気がかりである。終わり方としては次の話で彼女のことにもう少し触れそうな気はするが。まあ、あくまでペネロペ・クルスが「パイレーツはもう十分!」とか言い出さない限りの話である。

2011年5月30日月曜日

I made the first step.

 NYUのTransitional Justice Scholars Programへの参加が許可された。多分日本人がこのプログラムに入るのは初めてなので、とりあえずフルブライト奨学金に提出した俺の研究計画の第1の関門をクリアしたことになる。
 フルブライト奨学生の実績がキャリア構築に有用だという考えは(表向きには)あるが、俺としてはこれで後先考えずに思いっきりやれる。明日死んでも後悔しないように今勉強しよう。

2011年5月25日水曜日

ハンティンググリップについて


 書こう書こうと思って書けないでいたのだが、先月末にハンティンググリップを購入した。俺はこれまで最高で15時間連続でPSPを酒を飲みながら操作し続けてモンスターを殺害し続けたことがあるのだが、形状の関係上、PSPを長時間操作するのは手が疲れる。そんな時に頼りになる(と期待されている)アイテムがこのハンティンググリップである。
 使ってみての感想であるが、確かに普通にPSPを操作するよりは手になじむ。一応設計上いわゆる「モンハン持ち」も可能になっているようだが、俺はモンハン持ちをする必要性を未だに感じないのであまり意味が無い。それを差し置いても快適である。
 もっとも、MHP3HDの様に、今後のMHPシリーズがPSP(NGP)とPS3でセーブデータを共有して、外ではPSP(NGP)を使い、家ではPS3を使う場合は、このハンティンググリップはお払い箱になるかもしれない。実物を見た事がある人は分かると思うが、割合大きいので、鞄に入れて持ち歩くことは少し難しい。それに加えてどう考えてもPS3のコントローラーで十分PSPより快適に操作できるので、家でハンティンググリップを使う機会は無くなると思う。というわけで、写真のハンターズモデルのPSPと合わせてこのハンティンググリップはある種の記念品みたいなものになるだろう。
 俺はこれを多分アメリカに持って行くと思うので、道を歩いていて「これは何だ」と聞かれた時に、「これは非実在害獣と戦うための私の狩猟道具です」と答えられるように英語を勉強しておこうと思う。

2011年5月24日火曜日

CLOUD NINE 感想

 少し前に入手したアルバムだがT.M.RevolutionのCLOUD NINEの感想を書いておこうと思う。特段の理由は無いものの、今まで触れていなかったが、俺は(abingdon boys schoolを含めて)西川貴教の歌が好きだ。理由は簡単で、俺は朝を無理矢理早くしているので、テンションを上げる曲を聴かないとやっていけないからだ。俺が2010年に最も聴いた曲はNaked Armsであり、TOEFLを受験する前は高確率でNaked ArmsとSWORD SUMMITを聴いていた。これらの曲が無かったら俺はTOEFLで100点を取れなかったかもしれない。
 さて、内容についてであるが、水に映る月など気に入った曲もあったのだが、実は聴いたのが初回生産限定盤Aだったので、(当然)付属していたイナズマロックフェス2010の映像の方が印象に残った。個人的に嬉しかったのが、SWORD SUMMIT→cross wise→Zips→魔弾~Der Freischutz~→LOVE SAVERという俺が好きな曲の流れである。俺は原曲の方が好きなので、Zips以降がUNDER COVER版じゃなかったらもっと嬉しかった。本人も「殺人メニュー」とか舞台上で言っていたが、上記の流れを歌い終わった後は崩れるようにして舞台に倒れこんでいた。
 俺はこのライブ映像を観て改めて西川貴教すげー!という感想を抱いた。今年で15周年だが、T.M.Rは何年経ってもT.M.Rだということをファンに再認識させるようなパフォーマンスである。今年の1月に喉の調子が悪くなってしまったようだが、本当にご自愛していただきたい。少なくとも2010年度の戦いについては、俺はこの人の歌に力をもらったことを感謝したいと思う。実際は高校生の頃から毎年聴いているので毎年力をもらっているわけではあるが。

2011年5月23日月曜日

MHP3 人気武器ランキングTOP5

  2ndGの時もやったのでせっかくPS3で発売されることが決定したことだし、ここら辺でMHP3における人気武器ランキングを載せておこうと思う。PSNさんが1ヶ月以上機能停止しているので最近はKAIに手を出している。一応俺のギルカ上の友好度は約2500ぐらいなので、下記のランキングはそれぐらい通信プレイをやった上での個人的な概観である。

1位 ファーレンフリード (種類:弓、攻撃力:230 スロット:1 属性:無)

この弓を見かけない日が無いと言えるほど普及している弓。やはり(1)シルソル一式というテンプレ装備と相性が良いこと、(2)今作のシステム上ガンナーの方が戦い易いこと、(3)弓なので弾数制約が無くほとんどのビンが使えるなど運用が簡単そうに見えること、(4)連射弓であり最初から溜め4が解放されていて汎用性に優れること、といった要因でこれを使って戦うハンターが多くなっているのだと思われる。この弓の使用者の層が厚いので、曲射を連発する下手糞から、クリティカル距離を保って弱点を溜め3~4で正確に撃ち抜く上級者まで幅広いハンターに出会う。大連続狩猟やクエ回し部屋が討伐対象モンスター名をチャットに挙げないクソ部屋だった場合にこれを担ぐのは有効。


2位 煌黒大剣アルレボ (種類:大剣、攻撃力:190、スロット:2、属性:龍45)

アルバトリオンの素材を用いた武器は素で切れ味が白なので、15もSPを使う斬れ味レベル+1を無視できる点で優秀だが、中でも多くの人が使っているのがこの大剣である。使っている人の装備の構成はシルソルかユニクロかダブル抜刀が多い。大剣は操作が簡単な割に与えるダメージが大きく、さらにガードが可能であるため生存確率が上がるなど、今作では武器種自体が他と比較すれば優秀になっているため、手が出し易い。なので、当然抜刀術を発動させているのにこの大剣を振り回す意味不明な人から、ダブル抜刀で尻尾切断やスタンの奪取など、戦局全体に影響を与えるような動きをする人まで幅広い人に出会う。


3位 漆黒爪【終焉】(種類:太刀、攻撃力:190、スロット2、属性:龍34)

2位と僅差で多くの人が使っているのがこの太刀(というか鎌)である。個人的には太刀の操作方法が2ndGのままだったら余裕で2位になっていたかもしれないと思うが、今作では太刀は隙だらけ+時間がかかる+他の人の邪魔という大回転斬りを当てるめんどくさい作業が生じたので上記した大剣と比べれば武器種そのものの性能が下がっている、と言わざるを得ない。しかし初心者にとっては他武器の絶望的なリーチの短さともっさり感を鑑みると太刀は(まだ)手が出し易いと考えられるのかもしれない。注目すべきはこの武器の特殊効果であり、アルバ装備一式にこの太刀を担いで「こん」「よろ」とか言うと、他の人に若干の戦慄を覚えさせ、もれなくフレに呼ばれたくさせる。この特殊効果と大回転斬りを加えて優秀な対人武器である。


4位 夜刀【月影】(種類:太刀、攻撃力:180、スロット2、属性:無)

3位と同率でランクインしてきそうだなと思う武器がこの夜刀である。もっとも上記3位で述べた通り太刀の使い勝手の悪さから、2ndGの頃よりは使用人口が減ったし、1位のファーレンフリードと比べればその3分の1ぐらいの使用者数の割合かと思う。この太刀にも特殊効果があり、ナルガS一式を装備してこの太刀を担ぎ死ぬと、その他の人々に「やっぱりな」と思わせることができる。そしてこの太刀を経て3位の【終焉】へと至る。いろいろな意味で【終焉】へと至る。


5位 凶針【水禍】 (種類:ライトボウガン、攻撃力:210、リロード:普通、反動:中、スロット2)

阿武祖龍弩に続く今作のお手軽ライトボウガン。龍を除く全属性速射が可能なのでどのクエストにも持って行ける。発射音がポンポンである。そしてどこに銃口があるのか一見して不明。


真1位 ロアル・ノアorブリザードタビュラor鳳仙火竜砲or王牙弩【野雷】+W属性ライトボウガン装備

上記したランキングの1位以下は実はあまり意味が無い。なぜならMHP3はこれらのライトボウガンを使ったTPSだったからだ。本当にありがとうございました。CAPCOMの次回作にご期待下さい

2011年5月18日水曜日

「死ぬほど痛いぞ」→I made it again!!

 今日破傷風とジフテリアの予防接種がようやく終わったのでフルブライトに証明書を提出した。ジフテリアを打った後に、「反応がすごいかもって言ってましたけど、やっぱり痛いですねジフテリア」って医者に言ったら「破傷風の方が死ぬほど痛いぞ。痛い痛い」とか、情緒不安定なガンダムパイロットみたいなことを言ってきた・・・そして実際痛かった。ジフテリアより重い感じの痛みである。
 これでようやく留学前の健診・予防接種関係の作業が全て完了した。あとはもしかしたら歯医者に行くかもしれないが、俺は生まれてから一度も虫歯になったことが無いので、他にやることがあったらそっちを優先しようと思う。とりあえず住んでいるところの掃除とか、論文の作成とか、英語の勉強とか、ビザ面接用の書類作成とか、ユナイテッド航空のキャンセル待ちの件とか、やることは沢山ある・・・。
 

2011年5月16日月曜日

サマースクール決定

 フルブライトから連絡が来て、俺はフルブライトのサマースクールを「免除」になり、代わりにNYUのサマースクールに参加することになった。このNYUのサマースクールは8月1日から2週間に渡って行われるものなので、日本を出るのは7月末ということになった。
 というわけで、他にNYUのロースクールに他国のフルブライターが来ていなければ、俺が他のフルブライターに会うのは6月13日の渡米前オリエンテーションとレセプションのみで、しかも日本人だけになりそうである。「横の繋がりが強い」とかフルブライト奨学金を評する人もいるが、俺の場合は(ある意味俺らしいが)この「横の繋がり」の構築を国際的な文脈で事実上無視してNYUで独走することになりそうである。

2011年5月10日火曜日

藤の花


 GW中に彼女と藤の花を見に行った。いつも思うが、俺が毎年やっていることの中でも俺にしてはそこそこ渋い行動だと思う。遊園地や動物園やモンハンじゃなくてただ花を見に行くのだ。渋い。COOLだ。いつか本当に「花の良さ」みたいなものが分かる日が来るのだろうか。
 そして今回の記事で初めて写真を使用した。1年間与太話だけを書き綴ってきてもう留学ブログの原型を留めていないが、今回の記事からついに写真が解禁である。New Yorkの風景やセントラルパークのリスや大学やセントラルパークのリスやリスやリスを写せればいいと思う。でも報復テロが本当に怖いんだけど・・・。

2011年5月6日金曜日

ソード男子 (4)

 「ほら、買ってきたよ、ほれ」3日前まで赤髪シンジ(仮)だった不死原快楽は僕にカップヌードルを渡してきた。「ちょ・・・エビ入ってんじゃんかー。僕甲殻類アレルギーだって言ったじゃん。」「ああ、そうだったなお前。じゃあ俺のスーパーカップと交換しよ。ほれ」僕はスーパーカップ鶏ガラしょうゆを受け取ると、ふにゃふにゃした食感を味わいながらずるずるすすった。
 3日前、赤髪シンジ(仮)は僕に拷問のような苦痛を2時間ほど与えた後、「分かったかボケ」と言い残してそのまま部屋を出て行き、帰って来なかった。僕は両手両足が不自由なままだったので、顔が鼻水と涙でずるずるになったままうつぶせで眠ることになった。彼に対する怒りは勿論あったのだが、あまりに昨日と今日とで状況が変わりすぎていたので、僕は疲れていた。意味が分からなかった。今日の朝は代ゼミの模試を受けるつもりで家を出たのに。
 彼が部屋を出てからしばらく僕は鼻息荒くぶしゅぶしゅ音を立てながら畳に伏していたのだが、1時間も経たないうちに眠っていた。夢は見なかった。
 「おい、和ちゃん、起きてよ。伸びるから。おい、ほら、おい」翌日はこの声と僕のわき腹をぐりぐりされる刺激で目が覚めた。「ぶっはは。いろいろ顔すごくなってんじゃねえの。畳の痕とか。ほれ、シーフード」見上げると赤髪シンジ(仮)がカップヌードルのシーフード味を僕に差し出していた。僕は反射的に体を起こそうとしたが、両手両足が繋がれたままであることに気付いた。「あーそれ、解いてやるわ。じっとしとけよ」赤髪シンジ(仮)は両手のカップヌードルとどん兵衛を畳に置くと、僕の手首に食い込んでいた紐をぐいぐい引っ張りながら解き、ついでに足首に厳重に巻き付いていたリードも外していった。「クソがもう・・・マジ誰が錠なんかかけたんだよ・・・ボケッ・・」赤髪シンジ(仮)はぶつぶつ言いながらぐいぐい乱暴に引っ張って僕の足首からリードを外した。「よしよしこれで動けるな。変なこと考えんなよ雑魚助。分かってんなおい。ほれ」彼は僕にカップヌードルを差し出した。僕は差し出された白いカップを見ながら「いや・・・無理、多分それ、エビ入ってると思う・・・」と言った。
 それからすぐに僕達は畳の上に胡坐をかいてカップラーメンを食べた。どん兵衛の味が初めておいしいと僕は思った。かまぼこがうまい。全くの無言で食べたのだが、食べ終わるとすぐに赤髪シンジ(仮)は「自己紹介コーナーー!ウィィィィイ!!」と言って直立し、一人で盛り上がって拍手しながら「俺の名前は不死原快楽だー!!」と大声で僕に言った。「かいらく・・・さん?え?字は?」「快楽だって。快晴の『快』に円楽の『楽』。」「え、・・・本名なん、ですか?」「敬語使うなや。タラちゃんかお前は。本名本名。ド本名。え?何お前?馬鹿みたいな名前だと思ってんの?」「いや・・・別に」「お前な、俺がお前みたいな名前だったら逆に困るだろうが。サトシとかタケシとかカスミって顔じゃねえだろが。どっちかって言えばピカチュウじゃなくてマタドガスみたいな感じだろが」「いや・・・知りませんけど」「まあいいけど。それよりお前ってどこの高校なん?」「天木大学付属高校・・・」「ふーん。いいとこじゃんか。知らんけど。名前がな。いいと思うわ。じゃあそこにするわ」「え?」「だからそこにするんだって。俺の転入先」

2011年4月27日水曜日

PSNめ・・・!!

 昨日は結構お気楽な記事を書いたが、実はPSNの事件は深刻さを増しているらしい。ただ機能停止になっているわけではなく、クレジットカードの情報を含む個人情報が盗まれた可能性があるとか7700万人もPSNに登録していた人が居たというのも驚きだが、個人情報の漏洩は結構笑えない状況である。
 俺個人に関して言えば、3月に今まで使っていたクレジットカードの期限が切れて新しくなったまま、特にアドパ以外でPSNに用事が無かったため、PSNで設定変更し忘れており、(裏のセキュリティコードが確実に異なるので)多分クレジットカードについては問題が無い。また、個人情報もどの道今年中に携帯もプロバイダーも解約することになるので、付随して登録しているメールアドレスなどの情報も無くなるし、住所自体が半年以内にこの国じゃなくなる。というわけで俺は自然にこの事態に対応しているらしい・・・。
 昨日は「ご苦労様です」とか言っていたが、多くの人は「SONY何やってんだ!!」と思い始めているだろう。

2011年4月26日火曜日

PSNさん・・・

 もう結構大々的に取り上げられているが、PSN(Play Station Network)が機能停止状態になっている。先週は法事やら健康診断の件やらNYUの履修表で俺の取りたい授業が曜日被りまくっていたり、いろいろあったので、日曜日にちょっとアドパにでも行っていろいろ(精神的に)回復しないと・・・!と思って繋いで見たら接続不能になっているのに気付いた。未だに機能停止状態が続いているらしい。
 この件で俺が驚いたのはかなりの人間がTwitterなどでこの件に対する不満や不便だという意見を出した点である。Play Station 3ってそんなにメジャーなハードだったのか・・・。数年前まで(ひょっとしたら今でも)SONYさんのゲーム関連の商売は振るわなくなっているという論調が主流だったので、俺はPS3はWiiに比べれば完全に「失敗」で、家に置いてあったりすると「え・・・マジ!?お前PS3なんか持ってんの!?うわ・・・」みたいな反応になるのかと思っていた。なので今回の件も「PSNって何?知らない」で済まされるのかと思っていたが、俺の予想以上の反応がある。
 この点、今回の事件はメディア的にも面白いと言えば面白いからこんなに反応があるのかもしれない。「外部要因による影響」が今回の件の表向きの原因だが実は「アノニマス」という文字通り「匿名」のハッカー集団の手によるものではないのか、という意見がある。この「謎のハッカー集団」という存在が聴衆にとっては(俺などはコラテラルな被害としてアドパに行けないので単なる聴衆と言うより被害者だが)結構魅力的な響きである。勿論「ハッカー」という語は本来的にはコンピュータの知識に長けた者を指すプラスの言葉だが、現在ではコンピュータをいじって騒ぎを起こす「悪」として広く浸透している。やはり「悪」には「謎」の一面が欲しいのだ。それに加えてSONYという一流企業に対する「匿名」の人々の反乱は、権力に対する反骨精神や革命を想起させる。保証期限の理不尽な短さや、故障し易さなどでSONYに不満を持っている人々は大勢居るので、全く無関係の一般の人々に加えて、そうした人々にとっても憂さ晴らし的な需要があるニュースなのかもしれない。
 とりあえずPSNは(課金しなければ)タダのサービスなのに、休日返上で作業している(とSONYには言われている)人々は本当にご苦労様です。

2011年4月19日火曜日

I didn't make it (泣)→ 「宇宙の話をしよう」

 英文健康診断書を作成したと思っていたら、依頼した医療機関が抗体値と確認した日付を記入しておらず、頼んだのにレントゲンを撮っておらず、さらに破傷風とジフテリアは全く理解不能だがそもそも抗体検査すらしていないという事実が判明したのでやり直しになった・・・。
 特に破傷風とジフテリアは抗体検査していないということを英文健康診断書に書く前に説明しろよと激しく思ったし、何よりポリオの予防接種をしたため1ヶ月経過しないと両方予防接種もできない・・・。というかそもそも抗体検査していない項目についても抗体があるという適当な事実を記入されていたこと自体、本当にろくでもない医療機関だなと思わざるを得ない。金もらってやってるのに何やっつけで作ってんの?と思った。結局今現在埋められるところだけは埋めて提出し、5月中旬にジフテリアと破傷風の予防接種の証明書を提出することにした・・・。
 なるほど、俺は自分の親(だった人)も含めた連中がこの英文健康診断書作成でどれだけ愚かな振る舞いをするかを予め予測して行動すべきだったのだ。俺の親が存在しなくなる前に高校生の俺は「将来フルブライト奨学生になる予定があるんで」と言って(1人は死にかけていた)彼らから母子手帳を確保するべきだったし、医療機関にはただ「ここに書いてある9つの感染症について抗体検査をして下さい」、「ならポリオだけ予防接種が必要なんですね?」と言うだけではなく、「はしか、風疹、おたふく風邪、ジフテリア、ポリオ、百日風邪、破傷風、破傷風追加免疫はちゃんと抗体検査してもらえたんですよね?『もう書けるよ』『ポリオ以外は大丈夫だよ』とかおっしゃっていますけど、ちゃんと書類に存在する全ての項目の診断、全ての病原菌について抗体検査してもらっているんですよね?だからもう書けるとおっしゃっているんですよね?説明して下さいよ」とうざいぐらい聞くべきだったのだ。
 なぜかこの件について俺にしては珍しく本当に頭にきたのだが、俺はこのろくでもない医療機関を怒ったり恨んだり呪ったりしないことにしようと思う。「宇宙の話をしよう」(by南波六太)というわけだ。俺はフルブライターだ。医者じゃない。俺の母子手帳の所有者でもなかった。日米教育委員会の職員でも無い。それよりも俺はアメリカでの1年の準備をするべきだ。少なくとも、俺にはもう俺がアメリカで勉強する姿が見えている。

2011年4月15日金曜日

I made it!

 英文健康診断書の作成を完了した。母子手帳が紛失していたことで今は亡き母に少しイラっとしたが、抗体検査の結果、俺はポリオ以外の抗体を全て備えていることが判明したので、実はまめに予防接種を受けさせてくれていた母には感謝すべきなのかもしれない。
 ポリオの予防接種については本当に一瞬で終わったのでびっくりした。何かスポイトみたいな器具に入っている怪しい液体を口の中にぴゅっと打つだけである。気持ち悪い液体だったが別に耐えられないほど苦いわけでもなかった。既にツベルクリン反応と抗体検査の際の採血で2度注射を刺されていたので、絶対注射されるわこれ・・・と思っていただけに良かった。大人がポリオの予防接種を受けるのは珍しいらしい。3900円でできた。
 というわけで俺の予想よりかなり早く、そして安く(3万も使っていない)フルブライト奨学生の身分を確定するための書類を揃えることができた。母子手帳も無いし病院には断られるし、最初は一体どうなるのかと思っていたが、案外やればなんとかなるものである。
 

2011年4月14日木曜日

フルブライト奨学金攻略法 (終)

(9)の続き

5.おわりに

 ここまで、フルブライト奨学金攻略法を記してきた。フルブライト奨学金を取得するためには、1.英語能力、2.経歴・履歴、3.これまでの学業成績・業績、4.奨学金制度趣旨と研究計画の合致、5.推薦状、の全てについて、出願者が最大限の努力を注ぐことが求められる。
 しかし、フルブライト奨学金に内定したからと言って、その事実が水戸黄門の印籠かあるいはドラえもんのオールマイティパスのような効果を持つ、というわけではない。世間的には大学院受験の文脈で、「フルブライト奨学生」の肩書きを過大評価する傾向があるが、それは間違いである。トップスクールには「フルブライト奨学生」のような肩書きを持った人間がごろごろ集まってくるわけだから、「フルブライト奨学生」であっても戦いに負ければ落ちるところは落ちる。
 それでは期待しているほどの絶対的な効果を持たない「フルブライト奨学生」という事実を得るために何でこんなに一生懸命努力すべきなのか、と思う人もいるかもしれないが、俺の個人的な見解を言わせてもらえば、一生懸命努力しないと得られない内定の難しさこそフルブライトの狙いである。フルブライト奨学生になるための努力は、この団体が掲げる「将来のリーダー育成」という目標達成に自然に貢献する。内定を得るために確かな努力をした人間というのは、英語で海外の人々とコミュニケーションができ、確かな経歴でこれまでの努力の成果を示し、学業成績の高さと業績の多さで優秀であることをアピールでき、自身の関心が広く国際社会が抱える問題解決にあることを主張し、その関心分野における第三者の評価を得られた者である。奨学生がこれだけの資質を備えた人間でなければ、フルブライト奨学金としては(本来は)困るのだ。そして、一般人が求めているリーダーというのは、このような資質を備えた人間でなければ(本来は)困るのだ。各分野ごとに多くても年に3人ずつ程度しか採用しない理由はここにあるし、採用した人間1人につき(名目上は1年間限度無しだが)約1000万円程度の援助をする理由もここにある。したがって、フルブライト奨学金に出願する人間が最大限の努力をするのは、奨学金の根本的な理念上当然のことだと言える。
 俺がフルブライト奨学金受験について、単なる個人的な感想ではなく攻略法をこうして示したのは、単純に「この奨学金が求めるような資質を備えた人間がもっと世に出て世界をもっと面白くすればいいな」と思ったからである。少なくとも俺はこの世界はまだまだ面白いものになって楽しめるんじゃないのかなと思っている。フルブライト奨学金獲得を目指した全ての人間が、もっと世界を面白いものにできる者であることを願っている。

(了)

2011年4月13日水曜日

フルブライト奨学金攻略法 (9)

(8)の続き

4.フルブライト奨学金受験シミュレーション~満輝夫の場合~

満輝夫15歳
高校に入学する。
金が無くて自費で海外留学できないので、日本の大学卒業後にフルブライト奨学生として海外留学することを決意。
情報収集の結果、大学はどこでもいいが、将来大学院出願の際にGREやTOEFLの確固たるスコアが必要になると考え、テストセンターの席を確保しやすい都市部の大学に進学し、そこを拠点にして準備することに決める。
将来的に日本で大学教授になる夢を抱く。
柔道部に入部。部活と勉強を両立する。
アルバイトで貯めたお金で初めてTOEFL-IBTを受けてみるが40点台と撃沈。英語をもっと勉強することに決める。

それから3年の月日が流れた・・・

満輝夫18歳
志望していた大学に入学する。専攻は国際関係論
授業料免除と給付奨学金の恩恵を受ける。
周囲は就職就職、TOEICTOEICと念仏のように唱え出すが、輝夫はTOEFL対策に集中し、1年の後期で80点台をマーク。高校3年間の努力を確認する。
1年の前期からGPAが3.5以上になるように真面目に勉強する。
情報収集の結果、自分の場合は「学生」の身分で出願することになりそうだと考え、アルバイトを探す際にできる限り国際的な問題を取り扱うNGO/NPOや、国際会議の支援業務など自分の研究分野に関連した職業に従事して働く。
ゼミや授業で積極的に発言し、担当教官に認められるよう努力する。

それから3年の月日が流れた・・・

満輝夫21歳
都市部の大学に設置された大学院修士課程に進学することを決意する。
大学院に合格した後、卒業までの半年間で早くもGRE対策を始める。
4年時に受験したTOEFLで100点を突破。
国際関係論に関する卒論を執筆。
首席で大学を卒業。
GPA3.95

満輝夫22歳
大学院に入学。
授業料免除と奨学金の恩恵を受ける。
1年からGRE受験を開始。
1本学会誌に投稿論文を出す。
TOEFLが105点を越える。
修士論文の全体像を描く
「履歴書に書けるバイト」を継続
1年終了時に卒業要件単位を全て取得し、GPAは4.0

満輝夫23歳

〈1月~4月〉
TOEFLが110点に届いたので受験を終了。
GREは合計で1400点を越えるようになる。
5月に提出するフルブライト奨学金予備審査願書の構想を練る。主に自分が将来どうなりたいのか、明確なキャリアプランを立てておく。
推薦状を書いてもらう人を誰にするか決める。
修士論文の章立てを決める。

〈5月〉
フルブライト奨学金予備審査用の願書を書く。金が無いので業者には頼めないが、指導教官及び知り合いの留学生に頼んでチェックしてもらう。→締切前の1週間に「出せるレベル」にする。後は諦めるだけ→願書提出。神に祈る。
修士論文の第1章を執筆。

〈6月〉
予定通り、予備審査を通過。
学部時代のゼミの担当教官、授業やオフィスアワーで複数回交流のあった先生、そして現在の指導教官に推薦状作成を依頼する。
願書記入作業を開始。
英文成績証明書等の発行を出身大学・大学院に依頼。
修士論文の第2章を執筆。

〈7月〉
願書の清書を作成した後、最終チェックを1週間ほどかけて飽きるまで行う。
推薦状3通を入手。
推薦状と成績証明書と願書を封筒に入れてパンパンにした後、7月31日までに日米教育委員会に送る→「俺が勝つに決まってんだろ!!勝つのは俺だ!!」とか思いながら内心神に祈る。

〈8月〉
GREを受験し、合計1500点を越えたので受験を止める。
大学院出願校の目途を付ける作業を行う。気になる教授にはメールを送って自分の課題が研究可能かどうか聞く。
修士論文2章の続きを執筆。

〈9月〉
フルブライト奨学金最終審査に備えて面接の準備を行う。大学院の友達や後輩、姉や弟に協力してもらう。
大学院出願校を決めて出願手続きを確認しておく。
修士論文第3章を執筆。

〈10月〉
2次審査を突破。11月第1週に東京で面接試験があることを知る。
本腰を入れて面接の特訓を開始。指導教官にも模擬面接をしてもらう。
バイトのシフトを調整して10月末から試験日まで集中できる時間を確保する。
大学院出願用の推薦状作成を再び3名の推薦者に頼む。
10月末日に大学院出願用の英文成績証明書等の発行を出身大学・大学院に依頼。
出願締切の早い大学院の願書を書き始める。
修士論文第3章の続きを執筆。

〈11月〉
〈面接日当日〉
 最終審査の面接に臨む。面接前にマクドナルド赤坂見附店の2階で何を喋るか最終チェックを行う。必要に応じて親しい人に電話してチェックしてもらう。
 面接時間が近づき、覚悟を決めたら山王グランドビル207号の日米教育委員会事務局へ行く。面接会場のすぐ隣の部屋で10分から15分ほど待つことになるので、机の上にある「アメリカ留学公式ガイドブック」をぱらぱらめくったり(内定すれば後で説明会の時にタダでもらえる)何を喋るか頭の中に思い描く。呼ばれるとすぐに入室する。入室すると自分以外の人間が6人ほど居て、目の前に4人いかにも審査員っぽい人々が居ることを確認する。
 ハードな質問が4人から次々英語で浴びせられるが、「バカが・・・誰がかわすっつったよ。オレはメチャクチャ強ェんだ。こんなのダメージにもなりゃしねぇ」(機巧童子ULTIMO5巻、バイスの台詞より)と言わんばかりにこれまで死ぬほど練習してきた通りに真正面から自然に対応する。
 面接終了後は礼を言って部屋を出る。そして軽やかな足取りでラーメン屋へ行き、ラーメンを食べて帰宅。自分の全てを出し切った!と思いながら寝る。

面接した次の日から出願締切の遅い大学院出願用の書類を書き始める。
全ての推薦状を入手。
出願締切の早い大学院に出願。
修士論文中間報告会出席。

〈12月〉
フルブライト奨学金内定の通知を受領。酒を飲む。
Certificate of Fulbright Candidacyを出願予定校分日米教育委員会に依頼。
残る全ての志望大学院に出願。
修士論文第4章を執筆。

〈翌年の1月〉
修士論文第4章を執筆。
修士論文の「はじめに」、と「おわりに」を書く。
修士論文の最終チェック。

〈翌年の2月〉
修士論文最終報告会。フルブライト奨学金の面接に比べれば軽い。
修士獲得。
合格通知が来ないかそわそわし始める。

〈翌年の3月〉
第1志望の大学院から合格通知を受領。酒を飲む。
不合格通知も届く。フルブライトに合格してても案外どうにもならないところもあるんだなと悟る。酒を飲む。
母子手帳を入手して、さっさと英文健康診断書作成作業に移る。
日本の大学院を卒業。身分上フリーターへ。

〈翌年の4月〉
英文健康診断書入手。
合格通知とパスポートコピーと英文健康診断書とその他必要書類を日米教育委員会に送付。
フリーター生活開始。フロンティアもギスギスしてて面白そうだな・・・と思い始めるも時間的・金銭的な問題で断念。

〈翌年の5月〉
サマースクール情報を入手?出立日が明らかになる?

〈翌年の6月〉
フルブライト奨学生に任命される。
身分上はフリーターからフルブライターへ進化→攻略完了。

鼻水が止まらないので(終)に続く。

2011年4月12日火曜日

フルブライト奨学金攻略法 (8)

(7)の続き

(5)推薦状

 最後の項目は推薦状であるが、第5位にした通り、これはおそらく決め手にはならない。あくまで出願書類上で出願者が書いている内容を補足するために審査員が使うためのものが推薦状である。そもそも内容が無い場合は補足できない。
 しかし、推薦状は出願プロセス全般(内定後の大学院出願も含む)に渡って必要になる上、本来的には自分ではなく他人が準備するものなので、用意するのに時間がかかる点で注意すべき項目だと言える。おそらく多くの出願者がフルブライト用の3通と後の出願用の推薦状を書いてもらう推薦者を変えないと思うので、もし推薦者と日常的に連絡が取れない場合、この段階で出願先大学の推薦状も頼むことになる場合もある。個人的には予備審査に合格した後すぐに推薦者に依頼できるよう、あらかじめ頼んでおく必要は無いが、誰に推薦してもらうかは決めておいた方が良いと思う。そして、出願締切の最低1ヶ月前には推薦者に頼んでおいたほうが良い。推薦状が足りなかっただけでも願書が受理されない場合があるからだ。もちろん推薦状は英文である。和文で書かれると第三者による翻訳を付けることになって余計めんどくさくなるので注意である。
 また、それ以前の問題として、出願者が自ら推薦状の「下書き」を作らなければならない状況もおそらく多く存在すると思う。この場合はAMAZONなどで「大学院留学 推薦状」のAND検索をして、引っかかった本を参考にしながら自分で作るしかない。理想としては大学時代や職場で自分を良く知る目上の人(偉いより「良く知っている」ということの方が重要)に作成してもらうのが一番だが、英語が達者で出願者を知っていてかつ推薦状を書いてくれるやる気のある目上の人というのは、なかなか存在しない場合も多いと思う。とんだ茶番だが、例えば2人以上「下書きを書いてくれ」、「自分で書いてくれ」と頼んできた場合はそれぞれ推薦者に応じて内容を変えながら出願者が自分で作るしかない。この場合も、確かにやっつけ仕事みたいなものだが、やっつけでやらないこと。願書と同じく細心の注意を払って作成することを忘れないように。
 この自分で作成する推薦状の下書きについては、俺が説明するより上記の検索で出てきた本を読んだ方が早いが、一応大切なことを書いておくと、あまり素晴らしい内容ばかり書かない方が良い。素晴らしい内容ばかりだとどうしても嘘くさくなるので、自分で書く場合は意識して学生時代、あるいは職場において推薦者が分かるような短所を入れ込むことを忘れないように。また、例えば「課題に真剣に取り組む故に他人に対して厳しい態度だった」という定番のでっち上げ短所があるのだが、このように短所と言っても遅刻、不従順、虚言癖、犯罪履歴などの単純な短所ではなく、理由ある短所を書いた方が良い。これもろくでもない茶番だが、出願手続きは個々人の現実を汲み取ってくれないので仕方が無いと割り切るしかない。パーソナルステートメントやエッセイのように十分な時間を費やして作成すること。

 さて、ここまではフルブライト奨学金選考プロセスで戦うための力を手入れるための方法(戦略)を書いてきた。次は、より戦術レベルに近く、内定するためには、時系列順にどのように出願者が備え、対応しなくてはならないか、ということを例示してみよう。これから示す例のように徹底的に備えてくるとはっきり言って気持ち悪いが、まだ高校生や大学生で、かつ俺のように貧乏で自費で留学できる可能性が0%だという人にとっては特に有益だと思う。また、スネ夫やトンガリの如く「ママやパパがいくらでも留学費用や生活費を負担してくれるけど、お金がもったいないし、フルブライターのステータスは今後出世するために獲得しておきたいの」と考えている人にとっても具体的な戦い方のイメージが湧くので有益だろう。

少し眠いので(9)に続く

2011年4月11日月曜日

フルブライト奨学金攻略法 (7)

(6)の続き

(4)奨学金制度趣旨と研究計画の合致

 次は「奨学金制度趣旨と研究計画の合致」であるが、この項目については「英語で書く能力」の際に書いた内容とかなり重複する部分があると思うので、そこで書いたことについてはあまり焦点を当てないことにする。
 さて、この項目についての俺の順位付けから分かる通り、俺はこの「奨学金制度趣旨と研究計画の合致」についてはそこまで気を払うような内容ではないと感じている。「日米の相互理解に貢献するリーダー」といっても、別に将来外交官になって北米局とかで勤務する義務は無いし、時代錯誤もいいところの「アメリカかぶれの人」、「アメリカの手先になる人」みたいなつまらない人材をフルブライト奨学金が率先して育てているわけでもないので、書類や面接で「俺はアメリカが大好きだ」という内容のことを無理して書かなくてもいい。そもそもフルブライト奨学金が言っているのは「相互理解」であり、アメリカに対する一方的な好意や影響を意味しない。あくまで日本とアメリカ両国にとっての意義が重要である。
 というわけで、この項目についてはやはり何とでも言える、ということが分かる。もちろん「日米外交史におけるアメリカのリーダーの役割」、「サリンジャー文学における喪失と再生」、「現代アメリカにおける民族性の理解」などの研究課題だとものすごく簡単に「奨学金制度趣旨と研究計画の合致」について説明可能だが、「被災時における感染症予防」、「途上国における環境政策」、「水素発電と地球温暖化」など、フルブライト奨学金が該当分野に挙げる「グローバル社会の諸問題」や「現代社会が抱える問題」に貢献できる「研究」も、理系文系問わず無数に存在する。変に「別に俺の研究日米関係とかに関係ないしなあ・・・」とか考えずに、とりあえず現代の国際社会が広く抱える問題の解決に、自分の研究が貢献できることを予備審査で説明すれば(最終的に内定できるかどうかは別にして)そこであまり落ちることは無いと思う。
 この点、個人的にはあまり上記した意味で全く該当する研究分野に入らないものは思いつかないが、例えば「クマムシの生態」をそのまま研究課題に書いた場合は流石に予備審査で落とされるかもしれない。ただ、これも言い方次第で結構どうにかなるものであり、クマムシの生態を解明することがどのように現代社会の問題解決に役立つのか、ということを説明できれば、逆に面白い研究として際立たせることができるかもしれない。この意味でやはり「英語で書く能力」について述べた内容が重要になるだろう。
 また、よくある考え方だと思うが、「選考プロセスでフルブライト奨学金の成り立ちを知っているのか全て喋らされるのか」という発想もあるかもしれない。例えば他の奨学金では、伊藤国際教育交流財団については、書類で「奨学金制度趣旨と奨学生になるにあたっての抱負」を書いたが、面接では特に聞かれなかった。しかし知り合いのロータリアンに聞いた話だと、ロータリー奨学金の場合は成り立ちを全部知らないといけないらしい・・・。もっとも俺は多分ロータリーのような財団に嫌われるタイプの人間だと思うので受けてないから実際の所は知らないが。それではフルブライト奨学金はどうかと言うと、俺の場合は人生で2回行った面接で両方とも「君はフルブライト奨学金の歴史を知っているか」といった質問はされていない。
 他方で、それでは「フルブライトの制度趣旨やら歴史やらを完全に無視してもいいのか」と言えば、それは(当たり前だが)やはり無視すべきではない。就職の際に企業研究なしに入社試験や面接を受けることが自殺行為であるのと同じである。図書館で関連書籍を全部借りて読めとは言わないが、少なくともウェブサイトで述べている内容ぐらいは知っておくべきだし、受給内容や選考プロセスなども当然頭に入れておくべきである。

目がかゆいので(8)に続く

2011年4月8日金曜日

フルブライト奨学金攻略法 (6)

(5)の続き

 (3)これまでの学業成績・業績

 若干(2)で書いたことと重複する部分もあるので特に「業績」を得る手段については割愛するが、フルブライト奨学金に内定するためには優秀な学業成績を持っている方が有利になるだろう。先に述べたように英語能力と違って必須項目では無いが、成績は良ければ良いほど「有利」になる。
 当然だが、ここで言う「成績」は、(日本の場合は特に)学部生時代の成績を意味する。大卒後の学生の身分を持っていれば分かると思うが、日本の(専門職学位を除く)大学院の成績判定は死ぬほど甘いので、適当にやってもGPAは4.0に(半自動的に)なる。
 なので、フルブライト奨学生に内定するための「成績」を手に入れるための努力は、主として学部生時代に行っておくことになる。「行っておく」と書いた通り、これはやってなかった人には取り返しの付かない作業なので、その意味では重要である。どうやって成績を良くするのか、と言っても分野ごとにテストで求められる知識が異なるので俺がここで完全攻略法を示すことはできないが、学部生の人はたとえバイトをしててもサークルをしてても恋愛をしてても半ニート生活をしてても大学に行かずに資格試験の勉強ばっかりしてても、最低試験日1ヶ月前からは大学で求められるテスト勉強に集中するべきである。特に後期の期末などは毎年正月明け後かなり早いペースでテストが行われる場合が多い、ということは1年学生生活をすれば分かることなので、毎年「あーまた飲みすぎちまった・・・毎年毎年こんな早くにテストやる大学が悪ぃんだよ・・。え?あ、あのテスト昨日やってたのか・・・まあいいや」みたいなことにはならないように心がけた方が良い。
 また、この成績について言えば、どの程度の成績があれば奨学生になれる、ということは無い。もっとも個人的には「GPA3.5以下の奴はどうしてその分野の代表として奨学生になれるのか説得力に欠けるんじゃねえの?だって優秀じゃねえじゃん全然その分野の勉強できてないじゃん」、と言われても仕方ないと思うし、奨学生に内定した後、当該分野で全米トップ10に入り、かつスタンフォードやバージニアのようにクラスサイズが小さい大学に出願する場合は、この意味で「優秀じゃない奴」を大目に見てくれないかもしれないとは思う。何より同じような英語能力、経歴と研究課題を持った出願者が2人居て片方のGPAが3.0で、片方のGPAが3.8だったら、それは3.8の方を採用するに決まっている。いつか書いたようにこれはそこら辺を歩いているおばちゃんに選ばせても(変な下駄とかを履かせない限り)自明な事である。低いGPAでもどうにかなったケースというのは、たまたまこういった「真の競合者」が居なかっただけなので、「勉強しなくてもどうにかなる」、「成績が悪くてもどうにかなる」という言説に従うことは少なくともプラスにはならない。この意味で成績を良くするという作業は、実は選考プロセスにおける絶対的なアドバンテージを得るというよりは、「真の競合者」との戦いにおいて負ける可能性を減らすという意味でリスクマネジメントに近い作業である。

腹が減ってきたので(7)に続く

2011年4月7日木曜日

フルブライト奨学金攻略法 (5)

(4)の続き

 (2)経歴・履歴

 先に述べたように、フルブライト奨学生に選抜されるための経歴・履歴とは、「出願書類上で示した自分の関心と留学目的を補足し、整合性あるものとして審査員に感得させる経歴・履歴」を意味している。フルブライト奨学金の応募資格の1つに「学士を持っていること=大卒以上」という項目があるので、必然的に出願者は同分野の出願者とは単なる「大学卒業」の肩書き以上の履歴・経歴で差を付けるための努力をすることになる。ちなみにここで言う「大卒以上」とは「卒業見込み」を意味しないため、今年大学4年生になったばかりの人は応募資格を持たない点に注意しなければならない。今年大学4年の人は卒業した年の5月にはじめて出願できるということである
 実は俺は重要性の点で第2位にこの「経歴・履歴」を挙げたが、実際の所はそんなに差が付かないのではないかと思う。もちろん大学卒業後何もしていない人が「~大学~学部卒業」のみを履歴に書いて出願していた場合、「~大学~学部卒業、~大学大学院~学科卒業」を持つ人や、「~大学~学部卒業、~社~部勤務」と書いた人との戦いでは不利になるだろう。これは当然である。実際、特に「学生」の身分で出願した人について言うと、現在修士の人と博士に在籍している人(修士を既に持っている人)の割合で言えば、前年度も今年度も博士に在籍している人の方がより多く内定している。しかし、このような履歴を持っている「学生」はいくらでも出願してくるので、その意味では差が付きにくいと思う。これは実務の人も似たり寄ったりで、一流企業が三流企業に経歴の点で勝るのかと言えば、そういうわけでもないと思う。
 それではどうやって差を付けるような履歴を作るのかというと、やはり自分が書いた研究課題に対応している履歴を書けるのが一番良い。例えば「都市の公共事業」を研究課題として書く場合、出願者はそれに関連した学歴、論文、職歴(特に関連した業務内容)があるという事実を当然のごとく書くべきである。さらに、ここで言う「経歴」はあくまで「出願書類に書いた研究課題に対応しているもの」が望ましいのだから、たとえ学生時代にやった市役所の~課で行ったパートタイムであっても関連性が認められるのであれば書くべきだ。もちろん国際法を研究すると書いた人間がセブンイレブンのレジ打ちを職歴に書いてもポイントにはならないが、「~国際会議の支援業務を行った」、「~という国際機関でインターンを行った」という事実は当然ポイントになる。何より当該研究分野に関心を持っているという事実を補足するし、(1)で述べた英語能力の中身を作り、実際に書類と面接でそれをアピールできる。
 特に俺が採用されているLawの分野でLL.M.に出願しようと考えている人については、確かに職歴を持っている実務家の方が合格しやすいという側面がある。「専門職学位」の枠組みで出しているのだから、当然「実務経験」で何かアピールできるものがあった方が良い。これは後の大学院出願の際にもかなり重要視されるポイントである。日本の大学院に所属していて、これまで何もフルタイムで勤務した経験が無い人は、特に上述した意味での関連性を持つパートタイムや、インターンの機会を有効活用するべきだと思う。実際俺はNYUのアプリケーションにフルタイム勤務をNone listedにして、添付したレジュメやパーソナルステートメントでこれまで行ってきた「関連性ある」パートタイムについて書いて普通に合格している。 これは何もLawの枠だけではなく、専門職学位プログラムに出願する「学生」の身分の人全てに言えることだと思うので、この枠で出そうという人は、よく考えて日本での学部4年と修士2年、博士3年を過ごした方が良い。

たまには短くてもいいと思うので(6)に続く

2011年4月6日水曜日

フルブライト奨学金攻略法 (4)

(3)の続き

 英語で会話する能力について

 次は最終審査の山王グランドビルの日米教育委員会事務所で行われる英語面接で必要になる英語で会話する能力をどのように手に入れるかについて述べる。2次の書類審査が一番厳しいという話(感想)もあるみたいだが、最終審査も事実として結構落ちる人は落ちる。しかもこの最終審査の15分間で失敗してダメだった人は、俺のように留学する金が無ければもう一度来年5月の予備審査からやり直すことになるわけだから、出願者は全員クイズミリオネアの1000万円チャレンジの場か、LIAR GAMEファイナルステージに参加するつもりでギスギスした気持ちで臨むべきだ。「もっと楽しんでやろうよ!!」とかの意見は実際の真剣勝負の場を経験したことが無い奴のクソの価値しか無いアドバイスなので、最終審査に残った人はそんなもん無視して良い(というか無視せざるを得ない)。何十人も居る他の出願者を殺すつもりでやるべきだ。結局はそういうことである。後悔も満足も負けた後か勝った後に好きなだけすればいい。
 さて、フルブライト奨学金選考プロセスで必要になる英語で会話する能力とは何だろうか。この点に関してもTOEFLのスピーキングで必要になる基本スキル(リスニング能力を含めた会話能力、発音など)は皆準備してくるものなのでこのブログでは説明を省く。
 実は俺の考えだと(3)で書いた英語で書く能力を上手く備えた人間は、この英語で会話する能力のほとんどを自動的に手に入れることができる。少なくとも何を喋るのか、ということについて戦略的に備えることができる。この点について参考になるのが若干手前味噌だが実際去年の面接後に書いた俺の記事である。そこには俺が喋らなければならなかった内容として具体的に、

俺の専門領域について
何でそれを研究したいのか
専門領域の研究に必要な視点(Theoretical Framework) について
俺のキャリアプランについて
俺の出願先について
海外経験が全く無いことについて
専門領域の有名な学者

が面接官に聞かれた質問として存在した、とある。これを攻略法(3)で書いた「柱」に対応させてみると、

(第1の柱)
俺の専門領域について
何でそれを研究したいのか
専門領域の有名な学者

(第2の柱)
俺のキャリアプランについて
海外経験が全く無いことについて

(第3の柱)
俺の出願先について

(若干のイレギュラー)
専門領域の研究に必要な視点(Theoretical Framework) について

となり、1つのイレギュラーを除いて、全ての会話の内容が自分が出願書類に書いた内容を基にして喋ることができるものだということが分かる。したがって、出願者が英語で会話する能力を得るためにしなければならない準備とは、自分が提出した出願書類に書いた内容から推測される予想質問と理想とする回答を作り、質問に回答できるように何度も練習することである。つまり、就職や入試の面接を行う前にすべき当たり前のことを当たり前にやれ、ということだ。個人的にはたとえ仕事を持っている人であっても、10~11月の面接前の最低でも1週間前からは、この「作業」(だけ)に集中できる時間を取るべきだと思う。これは内定を得るためのアドバイスではなく、後悔しないためのアドバイスである。
 さて、書いていることなのでもうお分かりになると思うが、その「作業」をやってもそこから想定できない質問が審査員から発せられるケース(イレギュラー)が存在する。しかし出願者がその質問に出会ったとしても、俺は「おいおいそんなの聞いてないよ!!」とか言わないで欲しいと思う。そもそも他人と会話するということ自体、新しい発想を生み出すための契機である。テンプレートを使って会話を擬制するTOEFLのスピーキングとは違い、出願者が審査員と行うのは現実の会話である。上記したイレギュラーな質問は、俺とそこに居た審査員が会話した結果生み出された新たな問いの形であり、(おそらく)その質問をした審査員にとっても用意されたものでなければ、俺にとっても(発想の芽は頭の中にありそうだが)用意されたものではなかったのだ。実際の質問は「それでは君に理論的な質問をしよう。君は君の研究課題について、法学的な視点からアプローチするのか、それとも政治学的な視点からアプローチするのか?」といったものであった。
 それではこうしたイレギュラーにどうやって出願者は対処するための能力を備えれば良いだろうか。俺の見解では、(AGガンスのごとき)反射神経が必要になると思う。俺が去年の面接後に書いた記事の中で言う「聞かれた質問に真正面から素直に英語で回答する当たり前の力」とは、まさにこの会話の反射神経だ。あらゆる質問に自然に返答する能力が必要になる。
 この反射神経を(意識的に)鍛えるためには、日常的に英会話を行う場を設けるか、実際に自分が用意していない発想を持つ他人に質問してもらうのが一番である。この他人とは世話になっている先生でも、親でも、彼女でも、彼氏でも、兄弟でもおばあちゃんでもおじいちゃんでも良い。しかもあくまで「聞かれた質問に英語で回答す」れば良いのだから、質問してくれる人が全く英語を話せなくても良い。日本語で聞かれた適当な質問に対して、こちらは英語で回答するのだ。回答が上手くできているか不安だと言う人は、スピーキングの練習でいつも使っているレコーダーに録音して聞き返し、辛口の評価を付けて、何度も繰り返し練習すれば良い。この「事情を知る他人」が居ない全くの天涯孤独だ、という人については、難しいがとにかく沢山質問を考えて、沢山それに対する回答を即座に答える練習をしておくべきだ。
 また、少し記事が繁雑になるが、俺と同じように英会話において「スロースターター」だと自覚している人は、まさに面接当日、面接時間の前に誰か事情を知っている他人に電話して、上記した作業をしておくと良い。俺は実はこれまでやってきたあらゆる英会話の場面で、あらかじめ英語をある程度喋ってから実際の会話に臨んだ方が英語が上手くなる、という自分の性質を理解していた。なので、実際に昨年の面接前に山王グランドビル前の通りを挟んでちょっと行ったところにあるマクドナルドの2階で、彼女に携帯で電話して(他の人にはちょっと迷惑だが)「何でもいいから質問してくれ」と頼んで上記の練習をやってもらい、その流れで面接に臨んだのである。そこまでするのか、と思う人も居るかもしれないが、これは真剣勝負である。手を抜くと後悔が残るだけで何も良いことは無い。
 このように、フルブライト奨学金選考プロセスに要される英語で会話する能力は、具体的な努力無しに得られるものではない。2次の書類に通ったからと言って手を抜く理由はどこにも無いし、もっと言えばたとえ最終審査を経て内定してもLL.M.やMBAなら独自に面接がある学校もあり、合格通知を得ることが奨学生の身分を確定するための条件なのだから、実は内定後も英会話で手を抜けない状況があるということを忘れてはならない。

花粉症がひどくなってきたので(5)に続く